競争の中の敗者

_235  毎日、せみ時雨の中で目覚めます。
                 
 _240 あっちの木にも、こっちの樹にも、かるく5、6匹はいるでしょうか。

 下の写真の中央部、幹の左側にはクマゼミもとまっています。

 さて、いつか、「人類には《適正人口》というものがあるんです。だから人間は戦争をするんですよ」といった高校生がおりました。多分、誰かの意見の受け売りでしょうが。

 もちろん、彼は、適正人口の考え方からする《余剰人口》のうちには自分自身は入れていないわけです。昨日のエントリーにある「傲慢な若者」のうちの1人です。

 彼は「競争」を、生存競争と捉えていました。「弱いもの」がこの世から退場していくのは当然で、生物の宿命だ、というその論は、ナチスの似非生物学を思い起こします。

 中・高校生の心をとらえたこうした論法がいまだ健在というより、命を吹き返して若い人に働きがけているのにびっくり仰天した私ですが、たやすくそんな論を受け容れてしまう危うさはどこからくるものなのか、しばし考え込んでしまいました。

 エリートになるように教え込まれ仕向けられて幼い頃より人と凌ぎを削り、地元小学校というちっぽけな世界からさらなる世界へ向かっていった子供たち。

 競争そのものが自己目的化していると、結果に一喜一憂しながら、良ければ傲慢な物言いに拍車がかかり、悪ければノーベル賞受賞を妄想したりします。ただしそんな中でも、まだ幼さを残す照れ笑いは、ある意味で救いでしたが。

 そんなごく普通の青年の心の隙間に、巧みに忍び寄っていくのが、弱いものの退場は当たり前だ、という感覚です。自分だって弱いものの1人だ、という自覚はありません。それを認めるのは、生存競争の敗者と自分を位置づけることになる、という恐怖感があるのかもしれません。

 あくまでも、自分は強く正しくないといけない。そうでない自分を想像するのは怖ろしい。

 いいじゃない、弱くても。ひとりじゃないよと、一緒につぶやきたい。

 昨晩のNHKスペシャルで、旧ユーゴスラビアに住む劣化ウランの被害者の女性がいいました。
「米国は強大な国です。大きな国は何でもできるが、私たちは何にもできない」

 こう言う人がおかしいのではない。言わせてしまう世の中がおかしいのだと思います。

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連想:安倍晋三とイノベーション→競争

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野ひめゆりが咲きました。ピンポン球の中に丸ごと入ってしまいそうなくらい小さな花です。

Photo_38  さてさて、「なにがイノベーションだよ」「本当に意味が分かってんのか」――と、冷笑を買った安倍長官の話しが最近のニュースにありました。

 「人口が減少するが、この国はどうしたらいいか」と司会の石原伸晃に問われて「キーワードは2つある」ともったいぶった後、「イノベーションとオープンだ」と続けたらしいのですが、後がいけなかったようです。

「イノベーション」と聞いて、私は思わず最近読んだル・モンド・ディプロマティーク日本語版に載る「競争理論は検証可能か」という小論を思い出しました。

 社会科学高等学院研究部長ジャック・サッピール氏が、新自由主義経済学者の、「競争は善だ、というドグマ」のもとで、疑問さえ差し挟む余地がなくなった現況に警告を発しているものです。

 競争が何よりも新たなイノベーション(革新)のダイナミズムであるという考えも、宗教に近いような信仰である、と退けています。

(安倍晋三氏がこういった意味でイノベーションを使ったどうかはわかりません。)

 最後に氏は、ロシアの民営化、エンロン事件、ワールドコム等々のスキャンダルに多くの専門家が関与していた事実をあげて、新自由主義経済を推進する学者たちが、金と権力のために、社会に多大な損害を与えるそうした神話をあたかも科学的真理にみせかけ、さらにはまっとうな経済学研究に対する疑念を抱かせるに至った現状を指摘しています。

 国鉄・郵政の民営化、ホリエモン、村上ファンド等々、この国にも、そうした事例に事欠きません。

「もっとも利己的な目的に突き動かされた個人間の競争」を、子供を育てた母親としても、また多少とも他家の子どもさんと直接関わり合った経験から考えてみると、競争は善なのか、悪なのか、という問題のたて方は無意味なように思われます。その意味でも、競争理論は検証不可能といえそうです。

 競争によって、頑張った子が報われるというのも、一種の信仰に近いものがあります。報われないときもある、と認めるのは、当事者にとっては辛すぎますし、競争に駆り立てるものにとっては都合が悪すぎます

 競争によって意欲をかき立てられて精進する子もいれば、競争に心身をすり減らして呻吟する子もいます。

 一人ひとりの個性もありますが、意欲を出して競争に取り組める場合と、競争で心の発達にゆがみの出る場合とどこがどう違うのか、やはりずいぶん考えさせられました。

 少数の親しいものの間で競争を強要されるのは、かなりな重荷を背負わされることになります。また、競争で能力が伸ばされるどころか、むしろ良い芽も摘まれて萎縮する結果、競争から降りる人も出てきます。

 その間の当事者の心の葛藤は想像を絶する場合が少なくありません。

 ことに血を分けた兄弟姉妹の場合、ただでさえ意識せざるを得ないところに、親や教師に比較されて優劣に言及されるのは酷いとしかいいようがありません。逃げ出しようにも逃げ場がありません。

 そのきょうだい間の〈競争〉というモティーフは洋の東西問わず神話、聖書にもあらわれてますし、映画『スタンドバイミー』の中で主人公の少年が流す涙も思い出しますね。

 競争には必ず勝者と敗者がいますが、成功体験しか、あるいは失敗体験しか知らないという人はまずいません。多かれ少なかれ、誰しもが成功と失敗をくりかえし、達成と挫折を味わっています。

 誰しもが、優越感と劣等感の間で揺れ動いた経験を持っています。

 そして成長期の攻撃性が、外に向けられて反社会的な行動ることもあれば、「ひきこもり」のように自己の内に向けられて苦しむ場合もあります。

 それでも、競争のもつ正の側面に刺激されて意欲を燃やす人もいれば、負の側面にのみ込まれるように、傷ついて競争から降りようとする人もいます。さらには、傷つきながらもがむしゃらに挑んでいく人もいるところが、人間です。

 そんないろいろな子供たちを見て、どうしても私が納得できなかった子が、競争にとらわれて、競争に勝つことが自己目的化した子たちです。

 競争にひたすら勝って進んでいくことを有言・無言のうちに親に要求されても、成長するにつれ、その要求に応えることが難しくなります。そして小さな挫折を抱えるたびに自尊感情は損なわれ、親の要求に応えられない己にもどかしさどころか、罪悪感さえ感じることも。

 さらにアイデンティティの混乱が重なると、自尊感情は容易に傲慢さに転化される形で修復されたりします。 

 若い人の傲慢な言動の陰には、劣等感にうち震えている姿が見え隠れすることもよくありますが、傲慢と、その裏返しともいえるコンプレックスの絡む罠から抜け出すことは簡単ではありません。

 結局、この競争社会に身を置きながらも、競争そのものではないところに価値を見いだしたものの方が幸せだ、ということになりそうです。

(新自由主義経済の「競争」の話しから、大分脱線してしまいました。m(_ _)m)

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ワーキング・プア――働いても働いても豊かになれない

 昨日のNHKスペシャルで、働いても働いても豊かになれない、働く貧困層、ワーキング・プアの問題をが取り上げらていました。

 あいにく私は終わり近くになってから偶然見たのですが、見ているこちらの方が、胸も痛くなって、辛くなります。

 チラッと目にした農家の方の日焼けした顔を見たとき、思わずWTOの農業交渉を思い出して、このままでは悪くなることがあっても良くなることはないのでは? という考えが頭をよぎります。
 

 入院して9年になるアルツハイマーの妻を持つ、紳士服の仕立てを本業にする老人は、町の人口も減って注文もなくなり、かろうじてお直しで細々と仕事を続けています。

 6万の年金は妻の入院代に消え、介護保険料その他の値上がりにはとても耐えられそうにありません。

 生活保護を受給したくとも、100万の貯金があってはできない。妻の葬式費用にと貯めてきた100万だが、取り崩さざるをえないだろう、という話です。

 仕事場の壁には、優秀な仕立て技術を讃える賞状がずらりと掛かっています。私が育ってきた時代は、手に技術があったら食べていける、といわれていました。でも今は、たとえ町に人が戻ってきても、そういう時代ではないのでしょうね。

 長年、真面目にこつこつ、懸命に生きてきた人が、晩年になって食うや食わずの生活を送らざるをえない社会って、いったいなんだろう、と疑問とも怒りともつかない感情がむくむくとわき上がってきます。

 会社をリストラされ、妻にも先立たれ、深夜勤務も含めて1人で3つの職を掛け持ちしながら、やっと子供2人との生活を維持している男性。

 また親から養育拒否や虐待を受けた子供たちが暮らす養護施設の、普通の生活がしたいと願う子供たち。

 なにも特別欲深なことや贅沢なことをいっているわけではない、ごく当たり前の平穏な生活への願いでしょう。

そして最後の若い路上生活者。

 うちの子どもと年齢もほとんど変わりません。親に捨てられたも同然の生活を中高校生の頃から送ってきて、その頃から働き続けてきたようですが、30を過ぎると勤め口もなくなったとか。優しい眼をして、欲もなく、本人はその日の食べ物にありついただけで安心していました。

 人を踏みつけてでも上にはい上がろう、などという欲も持ち合わせていない人たちばかりなのでしょう。むしろ、他人に道を譲ってしまう人たちかもしれません。一様に穏和な、いい顔をしていました。

 そして、働いても働いても、豊かになれない……。

 最後に3人の識者が指摘する問題は、

 人口の10~20%が社会の底辺に沈殿する怖さ一代で終わらない貧困の状態。社会から排除された状態。 

 所得格差が教育の格差になること。公教育の充実の必要性。税金を投入すべきこと。

 トライできない社会は、社会全体の衰退という結果を招くこと。社会の再生産ができないこと。

 などでした。

 キャスターの説明では、各自治体でも、こうした生活苦の実態は把握していないそうです。

 そして、努力が足りないのではない。意欲のない人はひとりもいなかった。子供たちが未来の希望を失うような社会ではいけない、という言葉で番組は終わりました。

 階層分化がいわれて久しい私たちの社会で北九州の餓死については報道されましたが、その他の具体的な姿がなかなか見えてきませんでした。いえ、想像力を使えば、容易にわかることでしょう。でも、想像と実際の姿を目にするのでは、やはり違います。

 いつの間にか、私たちの社会は、ここまできてしまった、という思いに揺すぶられます。

 兵器こそ使わないけれど、これもまた暴力だ、暴力が猛威をふるう社会だ、という思いにとらわれます。

 これからの5年間で、文教科学費も社会保障費も削られていきます。防衛費は、表向きは削減されていますが、内閣官房予算等に含まれているものを勘定に入れていません。

 まさか、この国の指導者たちまで、ライス長官のごとく、「新しい日本の産みの苦しみだ」、なんていうのではないでしょうね。

 こんなのおかしい、こんな社会はおかしい。

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ホロコーストの闇

_149 _150_1 ラムズイアー。子羊の耳の意を持つこのハーブ、可愛らしいピンクの花が咲きますが、びっしりと産毛のような白い毛が生えた柔らかい葉っぱは、さわるとほんわり柔らかくて、癒されます。

 政府と政権与党の横暴に腹の立つあまり、とりあえず邸の麗子嬢とゆっくりお茶を飲む暇もゆとりもない方々は、是非身近に置くことをお薦め致します。

 先日から、東ヨーロッパの小さな町で起こったホロコーストを取材した本を読んでいます。かなりなボリュームで、原書ですから、少々時間がかかり、ブログの更新内容を考えるゆとりがありません。もちろん、麗子嬢やばあやとの楽しいお茶の時間は後まわし。

 とても重たい本です。(もちろん、重量のことではありません)。

 言葉をなくすとか胸が突かれるとかいう言葉だけでは、とても言い表せないほどの衝撃です。ホロコーストといえば、日本ではアンネの日記とかアウシュビッツを思い浮かべますが、息を潜めた隠れ家生活の日常や絶滅収容所での体験とは違う、ポーランドやウクライナ各地の町や村でおこった大小さまざまなユダヤ人虐殺の実態が、家族の歴史と共に描かれています。

 虐殺そのものも、あまりにすさまじく、当分の間私の頭から去りそうにもありませんが、その殺戮が、ドイツ・ゲシュタポのみならず、その協力者、昨日まで隣人として共に生活をしてきた人々の手によって行われたことに、また違った恐怖と衝撃を味わいます。

 日本でも、沖縄戦の最中、壕に逃げ込んだ若い母親が、泣いている赤ん坊の口を塞いで窒息死させた話を聞きますが、ちょうど同じようなことが、ゲシュタポがユダヤ人探索をするときにも出てきます。

 でもそれよりもおそろしかったのは、そうした探索の最中に、お産を迎えた妊婦の話でした。

 周囲にいる人の懇願空しく産気づいた女性が広場に引きずられていく。陣痛が始まると、そこにある大きなゴミ箱の上に引っ張り上げられ、お産の痛みに苦しむ姿が群衆にさらされる。それを見つめる人々は、冗談を言いあい、罵声を浴びせる。子供が生まれるや、赤ん坊は臍の緒のついたまま、すぐさま母親の腕からもぎとられ、群衆の中に投げ飛ばされる。人々は生まれたてのその赤ん坊を踏みつける……母親は血を垂らしながら、数時間その場に立ちつくす。そして駅へと引っ立てられていき、絶滅収容所行きの貨物列車に詰め込まれる……

 20世紀に入ってからも、フランスでは公開処刑が行われていたことを、カミュか誰かが書いていました。普通の市民が、今日はギロチンだ、という日、喜々として処刑が行われる広場に駆けつけるわけです。

 おまけに東ヨーロッパでは、20世紀になっても、ときどきユダヤ人の住まいが襲撃されるポグロムが起こっていました。社会不安のはけ口だったのでしょう。

 国家保安部長ラインハルト・ハイドリッヒという人物が、この東ヨーロッパのホロコーストの指揮を執ったのですが、実際に手を下したのは、ゲシュタポのみならずこうした普通の人々でした。もちろん、中には絶滅収容所行きトラック(ユダヤ人輸送には、列車だけでなく、家畜運搬用のトラックも使用されました)から逃げ出した人を救ったり、パルチザンになってユダヤ人と共に闘った人は、少数ですがおりました。

 でも、昨日まで、平和に暮らしていた隣人が、こうして牙をむくことがあるのは、旧ユーゴスラビアでのボスニア・ヘルツェゴビナの内戦でも顕著に見られたことでした。

(あああ、頭の中がいっぱいでうまくまとまりません。今日はここまで)

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ロンドンのメイドスタイル

_125 _128 深紅の薔薇はブルグント88。ビロードのような花弁です。(葉っぱに病気が出始めています。やっぱり消毒しないといけないのかなあ)

 さてさて、10数年前の話になりますが、はじめてのロンドン旅行でびっくりしたのは、やはり人種間格差を見せつけられたときです。

 ハロッズ近くの繁華街に店を構える有名喫茶店での経験ですが、この喫茶店は、なんでも革命のフランスを逃れて来た人が始めたという、二都物語を地でいくようなお店です。

 満員の店内を動き回ってサービスしているのは、ブルー(だったと思う)のストライプのワンピースに白のエプロンをつけた、まさにメイドスタイルのアジア系と思しき女性たち。我が家の隣のお嬢さん、おばさんたちと変わらぬ顔立ちに、つい日本語でオーダーしそうになってしまいました。

 (南方アジア系の人たちは、けっこうみなさん、実年齢より若く見える人が多いですよね。それなのに、ウェイトレスをしていることから年配者ではないと思うのですが、ちょっとくたびれたような表情でふけてみえて、おばさんのイメージでした)

 無愛想なのか疲れているのか、にこっともしない浅黒い丸顔の、あまり自信のなさそうな表情に、ちょっととまどったことを覚えています。

 その「メイドさん」タイプの女性たちを指揮・監督するのが、すらっとして金髪の、アングロサクソン系の若い女性。白のブラウス、黒のタイトスカート、赤のベスト、といったいでたちです。きびきびした表情と態度で、フロアーの隅々まで目を光らせています。

 そして店内を統括しているのが、黒いスーツの、やはりアングロサクソン系のスマートな男性。

 この3者は、服装が違うだけではありません。目の動きをはじめとした表情から態度、歩き方まで、まるで違うのです。

  要求されている仕事の中味によって、これだけ人間の外見にも差が出るのか、と愕然とした1日でした。

 

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詐欺だあ!

Scan10001jpg 我が家にも、とうとう詐欺の魔の手が忍び寄ってきました。

 あんた、何をしたんだ? とは外出から帰った夫の第一声です。手にした私宛のハガキには「民事訴訟特別告知書」と書いてあります。

以下はその文面です。(管理番号のところには、それらしきものが記してあります。)

  • 民事訴訟特別告知書

    管理番号( ) 

 この度、ご通知致しましたのは、貴方の利用されていた
契約会杜、又は運営会杜側から契約不履行による民事
訴訟として、訴状が提出されました事を御通知致します。
以降、下:に設けられた訴訟取り下げ申請期日を経て訴
訟を開始させて頂きます。このまま御連絡無き場合には、
原告側の主張が全面的に受理され裁判後の措置として
給料差し押さえ及び、動産物、不動産差し押さえを執行
官立ち会いのもと強制的に履行させて頂きますので裁判
所執行官による「執行証書の交付」を承諾して頂きますよ
うお願いすると同時に、債権譲渡証明書を一通郵送させ
て頂きますので、ご了承下さい。
 訴訟問題及び、訴訟取り下げのご相談に関しましては
当局にて承っておりますので管理課職員までお問い合わ
せ下さい。なお、ご本人様以外からの内容確認等は一
切お答えできません。以上をもちまして訴訟告知
とさせていただきます。
※訴訟取り下げ申請期日 平成18年5月12日
〒100-0013
東京都千代田区霞ヶ関2丁目6番地5号
法務省管轄支局民事管理事務局
0120-105-776(管理課)
受付窓口平日9:OO~17:00

 以上です。

 これが届いたのが11日で、期日は翌日に迫っています。

 慌てて記載されているところに電話しました。グラグラ腹を立てながら。

 心当たりがありませんから、訴状の内容を教えてください。取り下げ申請期日が明日になっているではありませんか!

 電話で応対するお兄さんの言葉遣いと口調がどうもおかしい……役人にしてはやけに締まりのないしゃべり方だ……背後で人の話し声が聞こえる……

 途中で夫に替わっても、訴状内容は教えられないという。期日は明日だ、といっても、大丈夫です、という返事。

 昼休みの時間が終わったら、友人の弁護士に電話しよう、と考えていてふと、詐欺ではないかしら? と思いつきました。ためしにネットで検索すると、ありました。法務省のHPにも載っています。

 考えてみたらおかしいところは随所にあります。

 コレクトコールの番号が載っているのを見て、夫は一瞬、裁判所も親切になったものだ、と思ったといいます。でも、役所がコレクトコールを使うはずがない。

 多色刷りもおかしい。

 こんな個人情報に関わることがハガキでくること自体変だ……などなど。

 まったく人騒がせな。

 それにしても、下手な文面です。主部と述部がかみ合っていません。

 でもこれでも、ひっかかる人がいるかもしれません。

 お気をつけください。

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格差社会の先進地イギリス――ABC1とC2DE、あなたはどっち?

  3,4年前イギリスに遊びに行ったとき、まさに古典的な乞食を2度見てびっくりしました。両方とも繁華街の地下鉄駅を出た歩道に座っていて、1組は若い男性ひとりで、あとの1組は若い男女のペアでした。コートを着る季節でしたから、寒いでしょうに。



 男性ひとりの方は、首から大きな段ボール板に「I'm hungry」と書いて、首からぶら下げていました。ペアの方は座り込む目の前に、お金を入れる容器を置いていました。



 そしてこれよりショックで、今でも脳裏に焼き付いているのが、リージェント公園の植木の茂みに隠れるように座っていた、黒いコートを着ていた男性です。



 ウィークデーのお昼頃のことです。友人と散歩を楽しみながら歓声を上げてその場に飛び込んだ私の目に飛び込んできたのは、左手にビスケットの菓子パックを持って食べていたところで私の声に驚き、こちらを向いた顔でした。いかにも「ギクッ」とした様子がうかがわれ、当惑の色を浮かべていました。「失業中でお金がなく、ビスケットでお腹を満たしている」と、とっさに私は感じ取ったのですが。



 当時イギリスは、不況に喘ぐ日本とは異なり、好況という話でした。ヒースローからロンドン中心部へ向かうバスから見えた沿道の建物には「let(貸家・貸間)」の貼り紙がよく見られ、工事中の立て看があちらこちらにありました(もっとも日本ほどではありません)。トラファルガー広場付近も大きな工事の真っ最中。



 そして、前回行ったときよりずっと目立っていたのが中国系。日本人かな、と思うと、聞こえてくる言葉は中国語ばかり……。



 世界の縮図を目の当たりにして、今度当惑したのは、私の方でした。



 日本でも何かと揶揄されることの多い政治家ですが、イギリスでも色々ありますね。一般向けのユーモア本でも、いわゆる新経済政策を貫いたサッチャリズムへの痛烈な批判を、笑わせる小咄に仕立てたりしています。



 さらにびっくりするのが、社会階層あるいは社会的階級が確固として存在することを認めていること。個々人のアイデンティティの1つとして、その人の背景を説明するのに、出身階層に関する記述が、色々な場面でなされているわけです。



 最近、台所に立ちながら、NHKテレビで格差社会の問題を取り上げているのを再三耳にしました。



 格差社会の先駆者であるイギリスをちょっと見てみましょう。



 上流階級は雲の上人で別でしょうが、社会的なランク付けとして、ABC1・C2DEというものがあって、それぞれ個人を紹介するのに使われているのを見たときは、驚きました。カルチャーショックです。



 ちなみにそれぞれの文字は何を意味するかというと、



A:上位中流(いわゆるお金持ち。長者番付にはいるような人も、英国国教会の指導者たちもここ。全人口の3.4%)



B:中位中流(銀行頭取、医師や軍人など。全人口の21.6%)



C1:下位中流(銀行員、お坊さん、学生、農園所有者など。全人口の29.1%)



C2:上位下流(熟練工、農園の雇われ人など。全人口の21%)



D:中位下流(非熟練工、郵便配達員、漁師さんなど。全人口の16.2%)



E:下位下流(生活保護世帯、年金生活者など。全人口の8.8%)



 



 さて、我が家はどうなるのでしょうか。夫は時々、堅実な仕事へ出かけていきますが、すでにリタイアしていて、おまけに年金もまだ貰っていませんから、Eにも入りません。辛うじてどこかに入れようというのであれば、さしずめE2下位下位下流といったところでしょうか。いや、一応自力で生活していて、保護受けていませんから、E1上位下位下流といったところでしょうか。

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自民党の憲法草案は、憲法違反

 とくらさんの所で真名さんがコメントした「憲法改正案について、根本的な疑問が一つある。」件について、長くなりますから、コメントではなく新たな記事としてエントリーします。



 真名さんは、「現在の憲法は、『条項追加・削除型』の改正はできるけど、全文から全面的に書き換える全面廃棄・新設型の改正はできないはずだと思う。」と指摘されて、具体的にその根拠も説明されていました。(ここにある「全文」はおそらく変換ミスで、正しくは「前文」だと思います。)



 真名さんのおっしゃるように現行憲法は元英文で、the Constitution of Japan に掲載されていました。問題の96条は以下のようになっています。



CHAPTER IX AMENDMENTS



Article 96



1)


Amendments to this Constitution shall be initiated by the Diet, through a concurring vote of two-thirds or more of all the members of each House and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon, at a special referendum or at such election as the Diet shall specify.
2)
Amendments when so ratified shall immediately be promulgated by the Emperor in the name of the people, as an integral part of this Constitution.


 日本語では次のように訳されていまして、これが、私たちの教科書その他で目にする憲法の条文です。



第九章 改正



【憲法改正の手続き、公布】



第九十六条 この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が此を発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票に置いて、その過半数の賛成を必要とする。



2 憲法改正について、前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。



 この憲法と「一体を成すもの」の意のintegral partとは「構成部分」の意で、全体を構成するのに必須の要素を指します。



 Amendmentについてオックスフォード英語辞典は、



 普通名詞としてのamendmentは、テキストや法律を改正するためのminorな、つまり小さな変更や追加であると定義しています。



 また固有名詞Amendmentは「合衆国憲法の追加条項である」としています。



 なるほど、1787年に制定された合衆国憲法には人権に関する規定がなかったために1791年に最初の修正条項10ヵ条が追加され、現在まで奴隷制の廃止等、26ヵ条が追加されています。ですからこれは、憲法制定時の精神に基づいて追加されたものであることが判ります。私たちがアメリカ流を取り入れるのであれば、弱肉強食の経済活動ではなく、こうした憲法に対する姿勢の方であって欲しいですね。



 この憲法改正問題について、手元にある一橋出版の『憲法の解説』には、次のように説明されています。



 日本国憲法は、簡単には変えられず(硬性の憲法)、改正には大変厳しい手続がいる。これは、憲法が国の根本を定める法として、安易に改められることをとどめる役割を負っている。



 改正には限界がある。一般的にその限界としては、前文に書かれている内容とされている。いいかえれば、憲法の基本方針を明らかにしている前文の内容まで改めることは、「改憲」の範囲を超えてしまうことになる



 この限界を超えれば、それは一つの政治体制そのものの変更ということになり、「憲法改正」という枠の中で考えることはできない。第96条のいう「この憲法と一体を成すものとして」という言葉には、そうした意味が含まれている。



 以上、真名さんのご指摘の通りです。



 そうなると、現在自民党の憲法草案にある全面書き換えた前文など、もってのほか、というべきですね。もし修正したいというのであれば、前文の精神に基づいた条項を入れるべきなのです。



 自民憲法草案そのものが憲法違反で、現在の民主主義体制を変更する試である、ということです。



 その上、同草案では、改正条件をぐーんと甘くして、現行憲法では発議に各議院の総議員3分の2の賛成が必要なところを、過半数で発議・議決できるようにし、さらには「国会の定める選挙の際行はれる投票において」過半数の賛成を必要とすることから、「特別の国民投票において」過半数の賛成を必要とするに変えています。



 現草案で妥協した部分も、思惑通りに憲法の変更が可能になった暁には、さらに本来の狙い通りの条文に変えるのも簡単になるわけです。

 そうなると、1955年の結党以来自由民主党が持ち続けてきた悲願の憲法草案は、やはり、明治憲法の亡霊、といっても良いかもしれません。

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子どもの株投資――自立を急がされた子どもたち

 toxandoriaさんに教えていただいた小学生のディトレーダーのHP「小学生でも株投資できるもん!」は、予想していたとはいえ、実際目にすると、やはり当惑を覚えずにはいられません。(どうも、子供の投資熱を煽る証券会社のPRページのような気がしますが)

 小学生が証券会社に自分の口座を作るの? 売り買いまで自分でするの? と心配すると、お父さんが答えておられました。

「サイト管理者の娘は株を所有しておりますが、私からの贈与株のみであり自分で購入した株は今のところありません。
今後徐々に贈与株以外にも資金を与え購入させようとは思いますが……」

 これを読んで、ちょっとほっとはしましたが、ライブドア騒動で中高校生にかなりの損失が出たという話もあります。中高校生ともなると自分の判断で購入することも十分考えられますから、ゲーム感覚で投資して、儲けられたらいうことない、というところでしょうか。そうなると、昔ながらの新聞少年のアルバイトなんて、バカらしくてやってられないでしょうね。 

 以前の記事で「近代家族」の話をして、近代市民社会の胎動のなかで子供への眼差しが変わったことをお伝えしました。それまでの子供は、幼児期を過ぎると徒弟奉公に出され、大人たちとごちゃ混ぜになって大きくなっていった、いわば「小さな大人」でしたが、保護すべきものとして、また教育の対象として見るようになったことから、「子供」という存在が誕生したという話です。

 子供の誕生によって、同時にさまざまなものが生み出されました。ピーターパンのお話からドールハウスだって、当時の発明です。スワドリングという細長い布で巻かれて、じゃまなときは適当にどこかに引っかけられていたらしい赤ん坊も、ぐるぐる巻きから解放され、母親から母乳と一緒に細やかな配慮も受けることになります。

 この近代家族の子供像は、同時に私たちが生まれ育った時代の子供像でもあり、私たちはついこの間まで、PCの前に座って、自分で株投資をする子供の姿など、想像すらできませんでした。それが、「ポスト近代家族」のthe saturated family で述べたように、子供たちは家庭の壁を簡単に素通りして、PCを通じて社会と直に対峙してしまいます。

 ちょうど前近代家族の子供たちのように、大人の中に混じって、大人のすることをやっています。

 学校から帰ると、まず株価の確認。いや、その前に、すでに携帯で値動きを見ているでしょうね。気になるときは、授業の合間どころか授業中も、教師の目を盗んで……いや、昔も今も、授業中は気もそぞろに上の空だ、などという声も聞こえてきそうですが、株の値動きが気になって授業どころではない、となると、怪獣カネゴンもどきが目の前に浮かんできます。
 
                


 子供の中には回り道、遠回りして成長していく子もいます。でも、あの株価チャートを眺めていて、回り道を学ぶ子がいるとは思えません。やっとこさっとこで受験勉強をしてそれに毒されている子は、すぐにでも○か×か、答えを求めたがります。それと同じことでしょう。もっとも、一度挫折して、自分の中の「欲」という熱とうまく折り合うことができたら、それは回り道ということになりますが。
 
 大人への道程である子供期に学ぶべきこと、一番大切なことは、心の成長でしょう。人と人の心が交いあうことです。そんな意味では、心の成長は一生の課題です。でも、成長期にこれを学ばなかった人、あるいはカネゴンもどきばかりか、自我が異常に肥大して、他者に対して優位に立つことを確認することでしか人と交流を持てない人なんて、やっぱり幸せでないと思います。

 かろうじてお金で自我を支えている、お金を持っていることで他者に優位に立つ、なんて人が、幸せになるとは思えません。

 中学生で株をしている、という子が自分のHPで、「大学卒業までに1000万貯める10年計画!」を立てて、「1000万の使い道?いやそんなのわかりません。1000万あればトレードもできるし、起業もできます。将来何があるかわかりませんし。。。」といってました。そのHPの掲示板も覗いてみましたが、株投資をしている子供たちって、何か、お金儲けのためにだけ、株式市場を利用しているのかな?と感じました。 

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