こんなのイヤだ! 土下座選挙
アベ総理大臣、アベ総理大臣と、テレビからもラジオからも、アナウンサーの声が聞こえてきます。ほとんどテレビを見ない私でも、狭い家のこと、ついていれば耳に入ってきます。
さて、ホトトギスが咲きました。ほんのり紫色の入った、ひそやかで美しい花です。 我が家には園芸種のホトトギスもありますが、つややかさでも品の良さでも、こちらの野生種にはとてもかないません。
で、考えたくもないアベソーリがすでに誕生してしまった現実に、違和感どころか不快感がこみ上げてくるのはどうしようもありません。
さまざまな宗教がらみ、金銭がらみ、ヤクザがらみの臭聞が聞こえてくる政権の中枢に座る面々を見ていると、この国はこれからどうなっていくのかと、不安がいっそうつのります。
「あたしたちの前で、土下座したんだからね!」とは、衆院選の際のさる自民党候補者について話す、某宗教会員がわたしにいった言葉。
「土下座」とは言葉もいやですが、行為そのものが、する方にとっても受ける方にとっても問題です。
知り合いの小学生が受験塾の講師に土下座させられた話しを聞いたときには、する方もする方だけれど、させる方はもっと悪い! と怒ったとき、そちらのお母さんはきょとんとした顔をしていましたっけ。
子供を育てるというのは本当に手間のかかることで、時には精神的な親子のぶつかり合い・取っ組み合いが必要です。自分のエネルギーをどんどん子供に奪われていく感覚のなかで、それでも我が子と関わらざるを得ないと覚悟する。それを簡単に土下座する・させるの関係にもっていってもらいたくない。
絶対的権威に服従します、恭順します、と態度で示すのが土下座ですから、これが政治の世界に持ち込まれるのは民主主義じゃない。
候補者の土下座を目の当たりにしたときの、えもいわれぬ優越感を共有した信者の一体感を想像したら、「敬虔」とはほど遠い世界でしょう。
いや、そこまでの気持はなくて、もしかしたら、土下座までするとは、かわいそう……と思うのかもしれませんが。
土下座といえば、昨年の片山さつき氏も記憶に新しいし、今日発売らしき週刊文春には、「新大臣高市早苗の土下座事件」の文字が躍ります。
wikipediaによると、
日本の保守系政治家が選挙時に有権者の前で土下座することを侮蔑していた。しかし初めての選挙の時、後援会長に「土下座するのが当たり前」と促され、感極まった弟が土下座をすると、涙ぐむ有権者の万雷の拍手の中、姉弟土下座をした。
ということらしい。
候補者にとって、いっときの土下座さえ辛抱すれば、あとはバラ色ですか。
有権者は土下座で味わう優越感と高揚感と引き換えに、何か、一番大切なものを失っているのでは?
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