頼りになるのは、政府より教会?
青空をバックに、マイクを前にした男が目隠しをされている……なにか気になる表紙デザインでした。
「神懸かり的な」ブッシュのアメリカと、toxandoriaさんのいう小泉・アベの操る「妖術国家」日本のシュールな不気味さがよく表れています。
昨年5月に出されていますから、お読みになった方もいらっしゃるかと思いますが、著者の金子勝・アンドリュー・デウィット両氏は、昨年の9.11選挙の結果をどんな思いでみつめていたことだろう、と考えずにはいられませんでした。
ブッシュ・小泉ラインの情報操作の詳細についてはあまり知らなかったので、予想以上のひどさに、何ともいえぬ気持に襲われます。
自民党議員に統一協会から次々と送り込まれた秘書、統一教会のダミー団体の合同結婚式に祝電を送ったアベシンゾー氏他、多くの元・現国会議員、謎の宗教団体慧光塾等々の、この国を覆う宗教の影。
宗教といえば、インテリジェントデザインの問題を知ったとき、今時? それもアメリカで? と奇妙な現象を不思議に思ったものですが、なんと、アメリカは「先進国中随一の宗教国家だったとは。
以下は、この『メディア危機』で言及されているアメリカの宗教事情です。
日本国民の12%、フランス国民の11%、さらに低い割合の北欧諸国民が宗教を信仰しているのに対し、60%もの米国民が宗教を信仰している。
米国民の36%が毎日数回祈祷をし、22%が1日に1度は祈祷する。
米国民の61%が月に1、2回礼拝に参加、そのうち半分近く(45%)は少なくとも週1回は礼拝に参加する。
米国民の71%は学校で礼拝を行うことに賛成している。
そして、
40%の米国民が世界はキリスト教徒と反キリスト教の戦いによって終わると信じている。
このような最終戦争信者の47%は反キリスト教者がすでに地球上に存在していると考え、45%が、自分の生きている間にキリストが復活すると信じている。
ILOが2004年に発行した『より良い世界のための経済安全保障』のなかで、7つの労働安全保証(労働市場、雇用、職務、労働安全、技能再生、所得、表現)を元に世界の地域が格付けされている。
スウェーデンが1位、フィンランド、ノルウェイ、デンマークと続き、フランスが7位、英国が15位、日本が18位、そして米国は25位。
アメリカにおいて、低所得者や低学歴な人々だけでなく、多くの中流階層に経済的不安定さが徐々に広がっている結果が信仰心であり、人々は政府より教会を頼りにしている。
市場原理主義と、原理主義化したプロテスタンティズムが結びついていて、アメリカのメディアが宗教原理主義に強く影響されている。
ブッシュ政権の情報管理は、図書館、政府文書、インターネット・サイト、政府のデータベースへのアクセスの制限に及ぶ。
公立私立を問わず、大学講義における議論を制限するための手法が、米国内の州で様々に導入されている。進化論教育を制限する動きも強まっている。教育長や校長が進化論の授業をしないように提言したり、教師達が宗教原理主義者からの攻撃を怖れているため。
米国の宗教原理主義者たちは、地質学や物理学にも攻撃を向けようとしている。2005年3月、全米科学教師教会は少なくとも3分の2がそのような圧力を経験しているとする調査結果を発表した。
米国民の信心深さは際立っているばかりか、徐々に急進化している。
ブッシュらは、NPOに対する資金援助に関して、宗教組織に多くの資金を与える一方、市民社会の他の分野に対しては強引な内部調査や会計監査など のいやがらせをし、米国社会の宗教的急進化を促進している。
政権のこの動きを後押ししているのは、フォックス・ニュースやその他の熱狂的な支持と、批判的 な記者の出入りを禁じることで他のメディアを脅かすことに長けたホワイトハウスの官僚組織。
以上、『メディア危機』から。
この「キリスト教徒と反キリスト教の戦い」とは、「ハルマゲドン」のことでしょうか。とすると、アメリカ国民の40%は、カルト信者と同じような認識をもっているということでしょうか。
このアメリカ国民の篤い? 宗教心について著者は、「経済的な不安定さと強い関係がある。少なくともその一因と考えられる」と指摘しています。
失政の穴埋めをするのが宗教ということでしょうか。
宗教を信じることは、必ずしも悪いことではありません。
人間を超えた存在、人智の及ばない存在を認めることは、人間の敬虔な心を呼び覚まして、己以外の人の存在を是として認めるような気がします。そこには、他者に対する寛容さがみられると思います。
これに対し、アメリカの、進化論に仕掛けられたインテリジェントデザイン説を主張する人々は、2者択一を迫ります。
進化論は教えることも議論することも許さない。神が人間を創ったことを信じ込め、というわけです。
いったいこれまで、優れた科学者は、この信仰と己の志す科学との折り合いをどのようにつけてきたのでしょうか。
多分、信仰するということは、険しい山岳地帯の尾根を歩くようなものなのです。自らの生を他に委ねるというといかにも楽なように聞こえるけれど、陥弄もまた待ちうけているともいえそうです。
つまり、原理主義の罠に陥る場合がある、ということです。
ついでながら、「原理主義」という言葉は、まず「キリスト教原理主義」が使われ初め、それが後にイスラム教にあてはめられたもの。
原理主義を奉じると、寛容さを失うようです。ものごとをありのままに見つめる力もどこかに行ってしまうようです。
もっとも初めからこの原理主義の罠に陥れて多数の人を操ろうとするカルトは論外ですが。そして、原理主義とカルトの間の線引きも難しい……2つの間は限りなくグレーだ、といってもいいのではないでしょうか。
そんな中で、「寛容さ」は、まっとうな信仰かカルトか、と判断するときの1つの指標になりうると私は思います。
神懸かり的なブッシュ、どうもカルトの匂いさえする大統領がアメリカを、そして世界を率いている現実を目にして、だいぶ前から欧州諸国は独自の道を歩み始めています。
さあ、私たちの国はこれからですね。
新しい指導者は、カルトのくびきから逃れることができるでしょうか。
寛容さを、政策の中に活かすことができるでしょうか。
しっかり見ていきましょう。
ついでに、今し方、「日刊ベリタ」で「『神の軍の兵士』に育てられる少年たち 『ジーザスキャンプ』の恐るべき実態」という記事を見つけました。無料記事ですから、一度ご覧ください。
ブッシュの写真に向かって礼拝したりする子供たちが、興奮して涙を流したりするらしいです。
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