山の中腹のとむ丸邸へ、日頃見かけぬ3人組が急いでおります。
ばあや:お玉邸が曲がりくねった道をくねくね行ったかと思いましたら、またとむ丸邸も、ひたすら山の斜面をどんどん登って……ばあやはもう息切れがしそうでございますよ。まったくお嬢さまときたら気まぐれで、お玉さんのところまで来たのですから、ついでにとむ丸ちゃんところにも行きたいわなんて。ふー、きついこと。
麗子:後もう少しよ。もう少しで、かわいいとむ丸ちゃんに会えるわよ。
山のあたりは、そろそろ紅葉も始まっています。
とむ丸:麗子さんにばあやさん、うわぁ、玲奈ちゃんまで、いらっしゃい。うれしいな~♪♪~
麗子:こんにちわ。とむ丸ちゃん! ご機嫌いかが?
とむ丸:今日はパパさんが鮎をたくさん釣ってきたから、みなさんもどうぞ、ってママさんが言ってます。
ばあや:今時の鮎は落ち鮎と申しまして、脂が乗ってそれは美味しゅうございますよ、お嬢さまに玲奈さま。おまけに雌は子持ちで、雄は婚礼色といって、それはきれいな朱色を帯びて、格別の味わいでございます。
とむ丸:で、今日は、軽いお食事を召し上がりながら、ママさんが是非お話ししたいことがあるということですよ。玲奈さんがこの間持ってきてくださったロベール・バダンテールの演説を読んで、ママさん、とても感動されてましたから。
ばあや:それはよろしゅうございましたね、玲奈さま。
とむ丸:死刑が何とかかんとかって……こまわり君の「死刑!」 なら私も知っているけれ
ど……ママさんは何に感動したのかな?
ママ:とむ丸、あなたのような子供でも、「死刑」という言葉は知っているわね。でも、「死刑」という言葉を聞いて、何を思い浮かべます?
とむ丸:がきデカ!
玲奈:ジャンヌ・ダルクなら、十字架状に組まれた柱に手足を固定されて……火あぶり……おお、いやだ。
ばあや:石川五右衛門だったら、煮えたぎる釜の中……
麗子:小塚っ原の磔……あらっ、私としたことが……でも、みんな、昔の話しでしょう?
ばあや:そうでございますね、お嬢さま。今は? どうもイメージが湧いてきません。
ママ:実は私もイメージが湧いてきませんの。子供のときに見た『私は貝になりたい』という映画の印象から、十三階段に明かりがあたっている場面を思い浮かべるのですが、どうもそれからが分かりません。あれ以来、ことさら考えることもありませんでしたし……子供はすぐに忘れてしまいますから。
玲奈:当然ですわ。子供がそんなことを気にしていたら、気味が悪い。
ママ:でも、バダンテールの演説を読んで、アルベール・カミュを思い出しましたの。カミュのお父さんは、ギロチンの公開処刑を目撃しましたね。
玲奈:初めて経験した光景で、気も転倒した様子で家に帰って来た父親は、ベッドに倒れ込んで激しく嘔吐した、とカミュは書いていますね。
ママ:十三階段の先にあるものを何となく知ったのは、私が大人になってからです。それも、はっきりと分かったわけではありませんが。法務省は具体的なことは何も明らかにしていないでしょう?
麗子:ギロチンて、「フランス革命」の象徴のようなイメージで、死刑と結びつきませんでした。でも、考えてみれば、フランスの死刑って、ギロチンで首を落とされることだったのね。
ばあや:見せしめでございましょうねえ。公開なんですから。
ママ:ええ。死刑を執行することとはどんなことか、はっきりと、みんなの前に突きつけられますわ。でも日本では、「死刑の実態」というのはさっぱり伝わってきませんね。死刑制度に賛成する人たちも、「極悪人」のレッテルを貼った人間に、その行為の当然の報いとして「死刑宣告」をしたことで安心してしまい、それ以上考えることはまずありません。思考停止か思考放棄の状態ですね。
玲奈:想像することさえおぞましいように、忌み嫌われていますね。ひとつのタブーでしょうか。
ママ:そう、タブーですよね。死刑は、普通の人の目に触れないところで執行されますし。最終的には、ひとりかふたりか分かりませんが、直接の執行者の手に委ねられますね。死刑の判決を下した裁判官も、執行にGOサインをだした法務大臣も、直接手を下すわけではありません。また、執行そのものがどういう形をとるのか、正確には私も存じません。想像することさえも、怖ろしい気がいたします。
玲奈:フランスにはサンソン家といって、一族7代にわたって死刑執行人を努めた家系があります。ルイ16世もマリー・アントワネットも、この4代目当主、シャルル-アンリ・サンソンの手にかかって死んでいます。
ママ:人々の冷たい視線を浴びて、つばも吐かれるようなこの職業の過酷さは、「敬虔な信仰心とフランス国王への忠誠心」でなんとか克服してきたといいます。そういう精神的より所がなければ、とっくに狂気に犯されてしまっただろうともいわれています。
玲奈:1793年1月21日の国王の処刑以来、シャルル-アンリはギロチンの刃の前にひざまずき、亡き国王のために祈りを捧げたそうです。
麗子:現代の日本で、この過酷な役目を正当化するのは……
ばあや:「法の執行」ということに尽きるかと……。
みな、思わずため息をつき、目の前におかれたミントティーに口をつけます。
しばしの沈黙。
ママ:私たちはこれまで、こうした過酷な役目をごくわずかな執行人の手に押しつけて、「臭い物に蓋をしろ」とでもいうように、死刑執行そのものから目をそむけてきたのではないでしょうか。
みな、ただ押し黙り、考えあぐねていました。
玲奈:
フランスもいつの間にか非公開になって、バダンテール演説の中でも、「天蓋の下で人目をしのんで行われる死刑」という言葉がありましたね…….。
ママ:ええ、そうね、玲奈ちゃん。みなさん、ごめんなさい。シリアスすぎて……。でも、いってみれば、「死の囲い込み」とでもいえるかしら。
ばあや:その昔は、「黒不浄」ともいわれておりましたねえ。出産は赤不浄。
ママ:病院で死を迎えるのが普通になった現代社会では、人間の死も病院の中に囲い込まれてしまった、ともいえますね。犯罪者の死、中でも重罪者の死は、それ以前から塀の中に囲い込まれています。
麗子:現代人からは、人間の死を直視する機会も失われている、とでもいうのかしら。
ママ:かなり昔はエンターティメントでもあったのですが、もし処刑が目の前でおこなわれたら、今の私たちの感性でどこまで耐えられるでしょうか。死刑制度を支持する人たちは、どうでしょうか。そんな場面に立ち会っても、なおかつ死刑判決を下すように要求するでしょうか。
ママさんのお話は、今日はここでお終い。
パパさんが釣ってきた鮎の命はわずか1年。子孫を残した鮎は冬になる前に、みな自然の営みどおりに川底に沈みます。その前に、その一部を人間がいただく……少しばかりみな威儀を正し、その後、舌鼓を打つことになりますが、一人ひとり、重い課題を背負わされたのは確かです。
あしたはママさんが、華氏さんところに行く前のみんなに、もう少し説明してくれるという話しです。
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