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戦時下の国策遂行コピー 続き

 ミッドウェー海戦の惨敗の後は、ガダルカナルの撤退、ニューギニア、ポートモスレビー作戦失敗とつづき、42年6月10日号で「もつともつと、人が要るのだ」といわれたように、「人的資源」補充のために中学、高専、大学は卒業を半年繰り上げ、そこに航空少年兵募集の叫びが高鳴ります。

 42年8月5日号『写真週報』の「時の立て札」より

  地を蹴りて隼は空に征き
  遂に帰らず
  南溟の虚空高く
  雄魂は神と帰したり
  己の死灰の中から甦り飛び立つといふ
  不死鳥のやうに
  その英魂から生まれ羽ばたく幾万の
  護国の隼のあることを信じよう
  死せず 荒鷲死せず

 ここにいう「隼(はやぶさ)」とは、wikipediaによると、零戦についで2番目に多い生産数を誇る、太平洋戦争前半における主力戦闘機。

 この詩は、ベンガル湾で5月10日に戦死した加藤建夫飛行第64戦隊町のことを謳ったもので、何でもこの人は、海軍の「九軍神」に対抗すべく、陸軍で軍神に祭り上げられた人のようです。詳しいことはここにあります。

 「雄魂」「英魂」「神」「不死鳥」「荒鷲」……人の心情をかき立てるような「熱い」言葉が続きますね。なんだか、今でもこうした言葉に意を決してしまう人もいそうです。

 この「時の立て札」に「欲しがりません勝つまでは」の標語が登場したのは11月だったといいます。その頃の詩とでもいえそうなコピー。

  なかなかに君は頑健そうだな
  真珠湾に散った九軍神も
  かつては、君のやうな青年だった
  やれるさ
  君にだって
  軍艦旗が、君を招いて 潮風にはためいてゐるぞ
                      (11月4日号)

 大衆にアピールするのには、「軍神」も必要だったのでしょう。そんな、人々の崇敬の眼差しが注がれる軍神に、君だってなれるさ、とささやく。なんとも巧妙な。

 時々、上場前の株を買え、とかいろいろ儲けをさそう電話がかかってきます。今は電話機に着信拒否の機能がありますからそこへ登録すればいいだけの話しですが、以前はよく、そんなに儲かるのなら、うちなどに勧めずにご自分で買われるのが一番でしょう、などと夫が答えていたものです。

 ほんとうに、そんなにいいものなら、ご自分がまず率先して軍艦に乗ったらいいですよね。

 

                         

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コメント

隼戦闘機は陸軍の有名な戦闘機でした、私の父(故人)は隼の整備兵として朝鮮半島からシンガポール、パレンバン(ジャワ)に進駐したようです。叔父(故人)もニューギニアからの帰還兵で魚雷攻撃で海上漂流の経験をしたそうで、戦後は地元の政治家として活躍しました。しかし彼らからきちんと戦争体験を聞いたことがありません・・・。
思えば「語りたくなかった」「語れない」ことがあったんでしょうね。映画「戦場のメリークリスマス」のジャワ・バタビアは父の戦場でしたから印象的でした。
今は、子供のころに聞いた彼の言葉「南のきれいな島でひどいことがあったんだよ・・・」だけが心に残っています。
戦争の生き残りの子供が私なんです・・・。

投稿: こば☆ふみ | 2006年8月10日 (木) 22時39分

こば☆ふみさん、
私も生き残りの子供です。父は大正4年生まれですから、『人間の条件』の梶と同世代。おまけに入営して間もない麻布3連隊で、何がなんだか分からないうちに2.26事件の反乱軍の一員にされて、後に大陸の最前線に送られたそうです。生き残ったのが不思議なくらい。
断片的に少し話しは聞いていますが、いいたくない話もたくさんあったことだろうと想像しています。

投稿: とむ丸 | 2006年8月11日 (金) 00時03分

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