日中は歴史にどう向き合うか
なぜか、枇杷の木にはアブラゼミが、この金木犀の木にはクマゼミが来ます。
蝉にも好みの木があるのでしょうか。
先だって来話題になっていた《富田メモ》の報道になんとなく違和感を感じていたところ、先日、高橋哲哉さんが首相の靖国参拝に関連して、明確にご自身の講演で発言されたようですね。
「宮内庁長官メモの報道以来、『昭和天皇ですらA級戦犯が合祀された靖国に行かなかった。小泉首相も行くべきでない』という議論がある。首相の参拝は、まず憲法の政教分離の問題から指摘すべきで、憲法より天皇のことばに権威があるかのような報道は問題だ」と指摘されたとのこと。
時はすでにこの問題を通り過ぎて先へと行ってしまいましたが、やはり大切なことですから、ここに書きとめておきます。
車の中で聞いたニュースでは、 レバノン・イスラエル問題でフランスが鮮やかなお手並みを見せてくれたようです。なんでも、シラク大統領と暗殺されたハリリ前レバノン首相は親しい間柄だったとか。
日本の政治家たちも、もっと外交問題に熟達して貰いたいものです。
さて、先日のNHKスペシャル、「日中は歴史にどう向き合うか」のうち、後半の討論を除いたメモを、ここに残しておきます。
1952年に、台湾の国民政府との間で結ばれた日華平和条約で、日本は戦争責任を問われず、賠償も求められなかった。
これにはアメリカの意向が強く働いていたが、東京裁判の途中で中華人民共和国とソビエト連邦に対する反共の砦として日本を位置づけるという、対日政策の転換があったためである。
条約締結を優先し、中国代表として台湾と平和条約結んだことが、その後の日本と中国の関係を複雑にする大きな要因になった。
この時中華人民共和国は、国民政府を中国の代表とすることは認められないという声明を出した。
(小学館『スーパーニッポニカ』によれば、中華人民共和国ではなく国民政府と締結したのは、アメリカとの占領中の密約による)
中国は、1950年代初めから、国交正常化へ向けて動いていた。
朝鮮半島で中国はアメリカと戦い、アメリカ第7艦隊は台湾に駐留していた。
アメリカの中国封じ込め作戦に対抗するため、中国は日本との関係を重視し、毛沢東と周恩来との間で大原則を決める。
この大原則が、少数の軍国主義者と大勢の日本人を区別した、「二分論」である。
中国は日本の軍国主義の復活を抑えるのが大切として、この二分論を日本に向けても繰り返し伝える。
1953年の日本の国会議員との会見で中国は、日本の軍国主義者の起こした戦争は、莫大な損害を中国とアジアの人々に与えた。が、中国は軍国主義者と日本国民を区別することができる、といっている。
1956年、中国は拘留していた戦犯を釈放した。
当時、一握りの軍国主義者に対して多くの日本国民は被害者であるという二分論に基づき戦争責任を放棄することは、かなり早い段階で決められていた。
中国は国交正常化へ向けての布石の手を着々とうっていた。
1971年、中米国交樹立に向けての周恩来・キッシンジャー秘密会談が行われた。
この時、日本の経済発展は軍事力拡大に繋がると、日本の再軍備・再軍国主義化を中国はとても警戒していた。
中国との国交正常化の公約を掲げた田中角栄が首相の座に就き、大平正芳が外相になったとき、日華平和条約の破棄を中国が求めていたことから、外務省は大きな課題があると考えていた。
1972年、田中角栄首相が訪中の際、日本の戦争責任について深い反省の念を述べたとき、田中が「ご迷惑」という言葉を使ったため、中国側の反発を呼んだ。がこれは、日本が十分考えた末の言葉だった。
そして日本の戦争責任の問題は、大平-姫鵬飛外相会談の場に移る。
この時中国は、共同声明で「軍国主義」という文言を求めて、日本の責任をあきらかにしようとした。
結局、車中での非公式会談等3階の外相会談を経て、1972年9月、「日中共同声明」が出された。
(この中で日本の戦争責任については、「日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と表現されています)
中国政府は国民へ、多くの日本国民は侵略戦争の被害者であるといって、二分論を用いた「説得教育」を始める。
一方日本側は、二分論を中国国内での論理と受けとめていた。
この日中間のズレが、80年代に表面化する。
1985年の中曽根総理の靖国公式参拝である。当時の駐中大使は、中国の反発は予想外だったと証言。
この時大使は胡耀邦総書記と会談し、中国の反発は、二分論を重要視しているからだと気づく。
1995年の村山談話では、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」と言及。
江沢民の愛国主義教育では、子供たちへの日中戦争に対する教育が強化された。
小渕総理は村山談話を踏襲する形で、口頭で「お詫び」をしている。
中国は、二分論の大原則を主張し続けている。
以上番組から。
二分論については、その名称こそ知らなかったものの、父から聞いておりました。
また、中国側が賠償を求めなかったのは、第1次大戦後にドイツに課せられた莫大な賠償金問題が結局はナチス台頭につながったことを考慮したためだと、どこかで聞いた覚えがあります。
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コメント
クリントン氏の『マイライフ』(和訳は朝日新聞社)を読んだ人は知ってると思いますけど,最後の方で(あいにく和訳は持ってないのでページ数は分かりません)小渕氏が村山談話を引用して謝罪したことを非常にほめて,その後家族ぐるみでもつきあいがあった,他の国にも紹介したなどということを書いていました。これがトップ同士の「外交」の基本でしょうね。どうも日本の総理は「外交」下手が多すぎる。コイズミはサイテー。
投稿: kaetzchen | 2006年8月18日 (金) 21時26分
エリート教育が間違って施されて、自分勝手と傲慢と冷徹さだけが身に付いたのかしらね。
投稿: とむ丸 | 2006年8月18日 (金) 22時10分
>自分勝手と傲慢と冷徹さだけが身に付いた
しかも、こういう政治化の方々のお好きな言葉「品格」とは無縁な勝手さ、傲慢さ、冷酷さ、ですね。
投稿: 村野瀬玲奈 | 2006年8月19日 (土) 05時47分
人間は、特に男は、ある程度の年齢になるとその人間性が顔にも滲み出てきますよね。それで、政治家の顔がありますが、概して品格とは縁遠いと思うのは私だけかな。
コイズミ氏も、ここ何年間で、ぐっと人相が悪くなっていますね。
投稿: とむ丸 | 2006年8月19日 (土) 11時06分