インテリジェントデザインと皇国史観
アメリカでは今でも進化論を巡る論争が続いていて、「インテリジェントデザイン」なるものを公立学校で進化論と一緒に教えるべきだという考えを支持する人たちが結構いると知ったときは驚いたものです。
インテリジェントデザインの考えそのものも、私には奇異なものに思われます。それを大統領ジョージ・ブッシュまでが支持するというのですから、尋常ではありません。
アメリカにおける論争については、中岡望の目からウロコのアメリカに詳しく書かれています。
それによると、なんでも、J・スクープという高校教師が学校で進化論を教えたことで告発された有名な裁判が1925年にあったそうです。それだけでもびっくりしますが、当時テネシー州等には、神による創世を否定するような理論を教えることが禁止されていたと聞くと、よけい驚いてしまいます。
そうした法律が、政府が国教を決めることを禁止した「憲法第1修正(First Amendment)に反していると、1人の教師が訴えを起こし、判決が確定したのが1968年。
その結果、南部の学校でも、やっと正式に進化論を教えることができるようになったのです。
そこで『聖書』の「創生記」をそのまま持ち出すことができなくなって困った人たちが、次は「科学的クリエーショニズム」なるものを考え出して、進化論と同等に学校で教える法律まで作ってしまいます。
ところがその法律自体が憲法違反だ、ということになり、3度目の正直(?)で考え出されたのが、「インテリジェントデザイン」説です。
「神」という言葉を使わずに、「『何らかの知的存在』が生物進化を引きおこした」というこの考えには、さる京大名誉教授がはまっているということです。ちなみにこの方の専門は英米文学のようです。
その上このID理論信奉者の先生は、あの統一教会の広告塔にもなっていて、産経新聞紙上でもその考えを披露していますが、その記事の締めくくりには、「進化論偏向は道徳教育にもマイナス 日本の識者も主張」というおまけまでついていました。産経新聞と統一協会は何か関係があるのでしょうか。
なお、この日本の識者とは、作家・日本画家の出雲井晶氏、中川八洋筑波大教授です。
ここまでくると思い出すのが、かつて一世を風靡した平泉澄の唱える皇国史観です。
日本は、天照大神を皇祖とする万世一系の天皇が統治する国であるとするこの考えは、文部科学省所管公益法人「日本学協会」に継承されているようです。
昭和31年に設立されたこの団体の理事長は、平成15年の時点では金澤工業大学教授平泉隆房氏。理事をざっと見ると、水戸史学会副会長の肩書きも見えます。
そうそう、幕末の尊皇攘夷の一大拠点が水戸で、桜田門外で大老井伊直弼を襲って殺害したのも水戸の浪士たちでしたね。なんだか、だんだんつながってきました。
話題の「遊就館」に展示されているという人間魚雷「回天」を考案したのは、当時東京帝大の国史学科教授だった平泉澄に心酔した軍人で、平泉は人間魚雷案が軍上層部に採用されるように宮中に働きかけたといいます。
学生の卒論テーマを聞いたとき、「百姓に歴史がありますか」、さらには「豚に歴史がありますか」と問いかけた、この平泉澄という人物は、ヨーロッパ留学を機に国粋主義を奉じるようになったとか。
人を人とも見ずに、百姓を豚と同列に置くからこそ、人間魚雷の考えが出てくるのでしょう。もしかしたら彼の頭の中では、神-天皇、支配階層-人間、その他大勢の臣民は豚と同じ、と捉えられていたのかもしれません。
天皇制を唯一のよりどころにして誇りを保つ。つまり、自らを神の国の臣民と位置づけ、神である天皇を仰ぎ見、豚にも比するその他多くの臣民の上に立つことで誇りを保つ。なんともやりきれない構図です。
それに、表向きはけっして「豚」とは言わないところが、確信犯的。
百姓には「歴史がない」と、こうも簡単に切り捨てられるとは、予想していませんでした。ちょっとショック。そうか、かつての歴史の勉強は、歴代天皇の名を覚えることでしたものね。
海外を見れば、同時期フランスでは、名もなき人々の人口動態等から社会史を研究したアナール学派の誕生がみられます。そのうちのひとり、『歴史のための弁明』を著したマルク・ブロックがナチスの手で殺害されたのは1944年のことですが、この学派はその後の世界の歴史研究に大きな影響を与えることになりました。
ただし私たちの国では、この名もなき人々が、コイズミ首相を何となく支持するB層とも重なり合うわけです。ますますやる切れなくなってきます。
いくら真剣に唱えられていようと、またそれだからこそかえって、インテリジェントデザイン説が私たちの目から見るとなんとも奇妙でおかしなものに思えるように、平泉史観ともいわれるこの皇国史観が日本中を席巻しているのを外から眺めたときは、さぞ怪しくまがまがしいものに思われたことでしょうね。
平泉は、1954年、シンゾー氏の祖父岸信介に招かれて、自由党憲法調査会で激烈に自主憲法制定を主張をしています。
インテリジェントデザイン説といい、平泉史観といい、まさにカルトの趣が感じられます。そしてこの両者に接点を持つのが安倍シンゾー氏なのでしょう。接点どころがズブズブともいわれていますね。
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コメント
>人を人とも見ずに、百姓を豚と同列に置くからこそ、人間魚雷の考えが出てくるのでしょう。
「こういう(インテリジェントデザインのような)考え方が成り立つためにはこういう考え方が前提になっている」というぐあいに、インテリジェントデザインとか皇国史観とかを分析的に批判することが大切ですね。
>そうか、かつての歴史の勉強は、歴代天皇の名を覚えることでしたものね。
記憶力の悪い私は、高校の頃、天皇の名前も元号も系図も覚えられませんでした。歴史の点数は悪かったけど、それでよかったのだと思いますね。笑
投稿: 村野瀬玲奈 | 2006年8月21日 (月) 07時52分
以前,私も自分のブログで ID について批判しましたけれど,福音教会系の連中からの嫌がらせメールが凄かったですね(笑) 創世記(Genesis)というのはモーセ五書とか「律法(トーラー)」と言われる文書の初めにあたり,旧約聖書の中では神話的な文書になります。そういう意味では,厳密には「律法」にあたるのはモーセと神が契約をした「出エジプト記」~「申命記」が史的文書として扱われるべきで,創世記を歴史として扱うなどという行為は日本書紀や古事記の愚を侵すようなもの。その結果,イスラエルはパレスチナ諸国へ毎日のように軍事作戦を行い,人々を殺し続けている……。
歴史の勉強というのは,その当時の為政者の都合の良い方向へ持って行かれがちですね。極端な話,とむ丸さんが掘り起こしている現代史にしても,これは遡及的な試みであって,いわゆる「歴史の教科書」の史観とは全く逆の方向性を持っています。また,私がちまちま書いているアイヌ民族の歴史の話も,日本人が知らない「征夷大将軍」の本性をさらけ出していることで,為政者にとっては非常に都合の悪い話になっています。
投稿: kaetzchen | 2006年8月21日 (月) 09時28分
長くなったので2つに分けました。すみません。
最近の若い子が右翼へ走りがちになった理由の一つにはセンター試験での選択科目の変化も大きいのではないかと思います。
私は幸いに一期校・二期校と共通一次の両方を体験できたおかげで,両方を客観的に見れるのですけど;批判的なものの見方を養成するには明らかに前者の方が良かったと思います。全科目記述式で暗記だけでは追い付かない。私は社会科は世界史と地理を選択したので,日本史の面倒な漢字を覚えなくて済みました(笑) 共通一次はマークシートだったので,塗り絵の練習だけ。だから,ほとんど満点に近くて面白くなかったです。
今のセンター試験では社会科が「地歴科」と「公民科」に分かれていて,「地歴科」では圧倒的に日本史を選択する生徒が多く,世界史や地理を選択する生徒が殆どいないという状況へ追い込まれています。「公民科」の現代社会などはほとんど日本政府のイデオロギーの刷り込みで,これを選択した子はもろにコイズミ政権を疑う事なく,政権に批判的な大学教員を攻撃するだろうな,と思ったりしています。
どうもこの辺に,ネットウヨ・皇国史観・ID などの偏狭な考え方のルーツがあるように思えてなりません。
投稿: kaetzchen | 2006年8月21日 (月) 09時37分
村野瀬さん、おはようございます。
私も記憶力が悪くて、年号を覚えるのは苦手でした。でも歴史事項間の流れは結構掴めまして、芋づる式に次から次へといろいろ出てくるのがおもしろくて仕方なかった口です。
kaetzchenさん、いらっしゃいませ。
江戸期には日本の人口の90%は農民でしたから、今シティ・ボーイ、ガールを気取る人たちも、kaetzchenさんがよく問題にされるウヨちゃん達も、当然先祖は百姓と考えてほとんど間違いがないわけですよね。
それで、ほとんどの人は平泉の思想からいくと「豚」ということになりますね。
私も豚の1人として、平泉氏以下の方々の捨て石になるのはごめん被りたいという気持ちでいっぱいです。
若い人が世界史を知らないのは本当ですね。何でも覚えることが多すぎて敬遠されているようです。それでえらく安直・単純な歴史に走ってしまうようです。
センター試験そのものも、60年代から70年代初めにかけての紛争後の大学「改革」の一環でしょうから、初めから意図されていたのでしょうね。
投稿: とむ丸 | 2006年8月21日 (月) 10時09分