法人税率の推移と歴代内閣
もう一度、財務省の提供する法人税率の推移を見ていただきたい。
(なお、法人税率の表示が昭和25年から始まっているのは、戦後の我が国税制の基礎となったシャウプ勧告が、この年にあったためでしょう)。
昭和25年に35%の法人税基本税率は27年の42%と一挙にあがり、その後段階的に低下して、41年に35%に戻っています。その後上昇に転じるのは45年で、
56年には財政再建に資するため、という理由で42%に、
59年には所得税減税に伴う税源確保のため、という理由で、これまで最高の43.3%にまで引き上げられます。
56年といえば、「増税なき財政再建」を公約として前年に誕生した鈴木善幸内閣が、6月に2兆円以上の歳入欠陥が明らかとなって、公約履行が不可能だと判った年です。
59年は、新自由クラブとの連立内閣として成立した第2次中曽根康弘内閣の2年目にあたります。
そして42%に引き下げられた62年は、第3次中曽根内閣が衆参同日選挙での自民党圧勝を受けて成立した翌年。この後、法人税率は低下する一方です。
この内閣で、国鉄の分割民営化を実施したほか、売上税導入・マル優廃止を企画し、防衛費のGNP1%枠突破など、国会での圧倒的多数を背景に従来の懸案を一気に解決しようとし、さらに戦後政治の見直しも提起されました。
次の竹下登内閣の平成元年に消費税が導入されると共に法人税は40%に引き下げられ、さらに翌2年に37.5%、10年に34.5%、11年に現行の30%まで下げられこるとになったのです。
なお、平成元年の40%は消費税を導入した税制の「抜本改正」の経過税率なので、翌2年に本来の37.5%になったものです。この時は第2次海部俊樹内閣。
34.5%引き下げ時は、第2次橋本龍太郎内閣。この前年、北海道拓殖銀行と山一証券の破綻が起こっています。
30%まで大幅に引き下げたのは、小渕恵三内閣。前内閣時の金融危機に加え、この年の日本長期信用銀行(現、新生銀行)と日本債券信用銀行の破綻もあって、景気対策が求められていました。
昭和62年、自民党が衆参同日選挙で圧勝したとたん、翌年に法人税率が引き下げられたというのも露骨ですね。
ただ、法人税については、消費税のように人々の口に上りませんし、マスコミも黙っていますから、こうした税率の推移について、これまで私も全然知りませんでした。
中曽根氏というと、反射的に思い出すのがアメリカ、レーガン大統領とのロン・ヤス関係。彼が政権をとった時代は、戦後政治の1つのターニングポイントになりそうです。
また、サミットで同席した首脳は他に、労働運動と対決しつつ、大量の失業者を生み出しながらも、マネタリズム(貨幣主義)に基づく経済政策に固執した、イギリス、サッチャー首相がいました。
レーガン、サッチャー両氏とも、新自由主義の経済政策をとったことで知られています。
(今日はここまで。明日に続きます)
| 固定リンク
「政治」カテゴリの記事
- BSE問題、確率をいわれても(2006.10.10)
- 伝統への思い、そして教育基本法改正案にいう「伝統」とは(2006.10.08)
- こんなのイヤだ! 土下座選挙(2006.10.06)
- 東京都教育委員会への緊急要請署名へのお願い(2006.10.02)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
とむ丸さま、こんばんは。
やはりこの辺が、気になりますよね。
続きを楽しみにしています。
投稿: 早雲 | 2006年8月 2日 (水) 00時57分
早雲さん、ありがとうございます。
言い古された感のある言葉ですが、「財界の男芸者」を思い出してしまいました。
あまりにもワンパターンな相関関係ですが、巧妙にその時々の装いを凝らしてあらわれてくるんですね。
投稿: とむ丸 | 2006年8月 2日 (水) 17時11分
やっとこの欄に書き込めるようになりました。ブログのソースに一部バグがあったみたいです。
# @nifty は否定してますが(笑)
法人税を引き下げるのは,要するに外国企業というよりもハゲタカ・ファンドを呼び寄せて,東証でバクチをさせるためと言った方が適切ではないかと思いますね。
しかし,魅力のなくなった日本市場からは,いずれ彼らは去っていきます。残ったのは法人ではなく個人に押し付けられた,とんでもない税金の山……。そして,職場を追われた個人はその税金さえも払うことができずに,自殺するしかなくなってしまう……という既定路線が,すでに組まれていたのではないかと思ったりしますね。
投稿: kaetzchen | 2006年8月 6日 (日) 13時23分
ふむふむ、なるほど。
そうそう、またまた竹中大臣は米国に行って何か言ってましたね。
投稿: とむ丸 | 2006年8月 6日 (日) 15時04分