軍備増強と赤ちゃんの関係
夏の定番ペチュニア。
いろいろあります。
他にも
いろいろ。
さて、昨日、おもしろいサイトを見つけました。
「兵器生活」です。タイトルから軍事オタクのページかと思われたのですが、ちょっと違っていました。管理されている方は、戦前の雑誌等をいろいろ所蔵されていて、ただの軍事マニアではありません。
「戦時下の国策遂行コピー 続きの続き」に出した情報局発行『写真週報』の中の1ページがそのサイトに掲載されていました。43年5月5日号の「時の立て札」、例の「撃ちてしやまむ」の「時の立て札」です。
同時に当時の雑誌掲載写真もあり、時の政府が考えた「無駄遣い」がよく分かって、私もお腹を抱えて笑ってしまいました。でも、笑い事ではありません。
この兵器生活の中の1ページ、「貯め抜く道は いくらでもある?」を読み進むにつれて、笑い顔がこわばってくるのが自分でもわかります。
軍備増強にひたすら励めと鼓舞する時の政府は、「赤ちゃんも米英相手の兵器が欲しい。そこで出産の喜びを記念貯金にかえて20円宛奮発すれば」とまでいいながら、国民のさまざまな楽しみを無駄遣いだと断罪しているのですから。
あかちゃんが兵器をほしがるか!? と、今から思えばナンセンス極まりないところですが、当時はそれが通用したのでしょうか。
貯蓄といえば、「貯蓄は銃後の義務だ」という新聞記事もありました。
「断然貯めぬかねばなりません」と、大日本婦人会の面々は決意を新たにしています。
ワンフレーズとかモットーとかが声高に叫ばれるときには、ちょっと立ち止まって、目を凝らし、耳を傾け、よく考えるときだ、とあらためて心しようと思います。
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コメント
戦争に庶民の貯金が使われるのは今も昔も同じですね。アフガン・イラク戦争の時は、私たちの貯金で日本が米国債を買って、そのお金が戦争に使われたそうです。
戦争のために貯金したお金を使われないように「未来バンク」を立ち上げた方がいらっしゃるそうです。
http://www.eco-online.org/contents/people/11tanaka.html
*記事では環境問題のためとなっていますが、右側の書籍情報には「戦争をやめさせ」と書いてあります。
投稿: PFC | 2006年8月19日 (土) 21時32分
PFCさん、おはようございます。
未来バンク、のぞいてみました。うれしいですね、こんな試みがあったなんて。わたしも資料をとりよせてみよう。
投稿: とむ丸 | 2006年8月20日 (日) 09時45分
とむ丸さん、こんにちは。
「兵器生活」と同じような雰囲気のサイトで、「虚構の皇国」というのがあります。
http://tadanorih.hp.infoseek.co.jp/
こちらも戦時中の報道や広報などのトンデモぶりをちゃかしまくっています。今見ると、ツッコミどころ満載なんですけれども、当時の人々は大真面目に受け取っていたのでしょうね。
…って、今現在のマスコミのトンデモぶりも、後世の人たちから見ると、ツッコミどころ満載かもしれませんが。
投稿: ハムニダ薫 | 2006年8月20日 (日) 19時45分
ハムニダさん、ありがとうございます。
さっそく「虚構の皇国」へ行ってまいりました。
笑いながら、やがて悲しき……。
物資の欠乏した時代、代用品コーナーがデパートあたりにあったようですが、ぬかの代用が海の砂とは。
投稿: とむ丸 | 2006年8月20日 (日) 23時15分
こんにちは、フナずしです。
僕の高校の教科書にも(山川?)「貯蓄は銃後の義務」が載っていました。
そういえば、従軍慰安婦も収入を貯蓄させられていたという噂を耳にしましたが、本当でしょうか?
投稿: フナずし | 2006年8月23日 (水) 02時04分
フナずしさん、はじめまして。
そこまでのことは知りません。
でも、当時、国内にあっても、前借金に縛られる人たち(性労働に縛られる女性だけでなく、いわゆる「たこ部屋」で働かされる男性達も)がさまざまな口実で給金を差し引かれていたりしている状況を見ると、ちょっと信じがたいと思いますが。
投稿: とむ丸 | 2006年8月23日 (水) 15時26分
明日あたりブログにアップする予定ですけど,「タコ部屋」の起源は松前藩が奴隷として使役していたアイヌ民族に対して行っていた「アイヌ勘定」と呼ばれる搾取の方法にあるらしいです。これは古典落語の「時そば」という形で一般民衆にも語りつがえられたとか。つまりは室町時代後期からすでに異民族に対して日本人はこのような残虐行為を行っていた訳です。
# フナずしさんは恐らくアイヌ民族史に関しては全くの白紙状態だとは思いますけれど。先日も書きましたが大学入試科目から日本史を外して世界史必須にするべきですね。日本史というのはヤマト民族の自己礼賛に過ぎない訳ですから……。
投稿: kaetzchen | 2006年8月23日 (水) 19時28分
kaetzchenさん、こんばんわ。
たこ部屋といえば、鎌田慧さんのルポ、『死に絶えた風景』を思い出します。当時この手のものが残っていたのが北九州の労働下宿と北海道のたこ部屋だった、という記述が頭に残っています。
で、近頃の日本史は、江戸後期の産業に関してアイヌのことにかなり紙面を割いています。蝦夷地のニシンから良質の肥料がとれて、それが機内、瀬戸内、北陸に広まり、農業生産性が飛躍的に高まり、19世紀日本の経済の進展を支えたという話です。
投稿: とむ丸 | 2006年8月23日 (水) 23時48分
とむ丸さん,こんにちは。ところがね,北東北地方を含むアイヌモシリの「生産物」についての,経済史的な記述はあっても,それはあくまで日本海経由で大阪へ運ばれる海産物の話に過ぎないんですよ(堀田善衛の実家が回船問屋でしたが)。
つまり,アイヌ民族の民俗学的・文化人類学的な考察はまったく抜け落ちているどころか,無文字社会への畏敬という視点は世界史と事なり全く抜け落ちているのは,今でも変わりません。そういう意味では現在の高校検定教科書というのは白ポストへ入れるべき,悪質な怪文書へと変質してしまったものではないかと考えることが多いです。
また詳しくはのちほど。
投稿: kaetzchen | 2006年8月24日 (木) 07時50分
いえいえ、私のいう日本史は教科書ではなく、一般向けの通史です。「環オホーツク海文化」の記述もあって、目を見張りました。
何年か前の北海道旅行の折りに、二風谷のコタンも見たのですが、その直後の台風で辺り一帯が大きな被害を受けたようで心配しました。いまはもう復旧しているのかしら。
では、kaetzchenさんの記事を楽しみにしています。
投稿: とむ丸 | 2006年8月24日 (木) 08時46分