戦時下コピーと日本の軍隊 夜店のバナナ
日本の軍隊 夜店のバナナ
買(勝)った 買(勝)ったと
ま(負)けてゆく
大本営発表とは裏腹の戦局に、軍隊内では密かにこんな歌が歌われていたといいます。自嘲気味のヤケクソ気分……私の父親もこんな歌を歌っていたら、と思うといたたまれない気持になります。
相次ぐ撤退、玉砕の報。食料事情はますます悪化し、1944年6月には、中学生の勤労動員が始まります。
今日もまた、情報局発行『写真週報』の「時の立て札」から。
闇や買い出しで自分だけ
豊かに食べたがる人たちに
日本の有難さ、良さが、味はへるだらうか
凍土にたち、湿田に入り、汗と泥土にまみれて
食糧増産を続ける農村の現実を
食事のたびにしみじみと味はってみることだ
食物のことはそれからの話しにしよう
(1944年1月12日号)
お父さんは今日も三割増産だとはりきり
お母さんは大根の葉でうまいおかずを作り
おぢいさんは一坪庭園に馬鈴薯を植ゑ
おばあさんは小布を集めて足袋を作り
子供たちは寒くないぞと勇んで学校へゆく
工員でなくとも飛行機をつくる道はある
みんなが自分の持ち場に力一杯つくすことだ
私たちの家庭も
いはば飛行機工場の協力工場であり
わたしたちは栄誉あるその工員なのだ
(2月23日号)
『写真週報』では、何坪かの空き地があったら、「皆んなで芋を作らう」と、畝の作り方から植え付けまで、写真付きで説明しています。
輸送船は軍需物資を運ぶに使うのだから外地からの米を期待してはいけない。武器を送るために、戦争に勝つために、食料は自分たちでつくろう。それが国民の義務だ、とかけ声をかけながら。
何でも、首相就任時、東条英機は、「ごみ箱宰相」とか「東条さん」とかいわれて、国民に人気があったといいます。
なぜ「ごみ箱宰相」かというと、国民生活の実態を知ろうと朝の散歩時に公園や家庭のごみ箱を覗くというパフォーマンスを行ったためだとか。きっと、メディアがそれを追いかけたのでしょうね。
昭和16年の流行語は、「外食券」「錬成」「肉なし日」「歩け歩け」「憂・良・可」「ABC包囲陣」「みそぎ」「行列買い」「箸持参運動」「ごみ箱宰相」「奉安殿」「出せ一億の底力」「ニイタカヤマノボレ」 だったそうです。すべて戦争絡みですね。
小泉ジュンイチロウ氏の数々のパフォーマンスや安倍シンゾー氏の、とってつけたようなパフォーマンスの先達はいたのです。
そして、パフォーマンスとかけ声の政治に熱狂したのも、昔だけではありませんでした。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
冒頭の、うまいですねぇ。おかしさと同時に悲しみがあって、本当につらい日々だったということがわかります。
ゴミ箱宰相はたしかに通ずるところがありますね。親しみやすさのようなものを妙にアピールして、実は正反対。
投稿: luxemburg | 2006年8月29日 (火) 22時30分
luxemburgさん、いらっしゃい。
ほんと、うまいですよね。それだからかえって、なおさら悲しい。
親しみやすさをアピールしながら、「生きて 虜囚の辱めを受けず」なんて先陣訓を出したのがこの人でしたよね。
投稿: とむ丸 | 2006年8月30日 (水) 10時04分