安倍シンパ記者たちの「無念の思い」とは
まだつぼみが多いのですが、きんかんの花が咲いてます。かぼすには、すでにピンポン球より大きな実がなっています。
久しぶりに、『選択』を覗いてみると、「『安倍丸』船長の憂いは深い」というタイトルで、晋三氏には現首相のようなブレーンがいないことが書かれていました。
晋三氏そのものが自民党人材枯渇の象徴のような人ですから、そんな人の下にブレーンが集まるわけないよ、とは思いましたが。
『選択』といえば、晋三氏から記事内容に関して訴訟攻勢をかけられていることは森田実さんも、毒蛇山荘日記の山崎行太郎さんも触れられていましたね。
なんでも、「裁判の過程で強く感じたことは、安倍氏側のメディアに対する挑戦的、高圧的な姿勢です。全国紙での謝罪を本気でやらせようというのですから尋常ではありません。最近の安倍氏関連記事に対する抗議文も「まだ懲りないのか」といわんばかりの脅迫まがいです」ということです。
メディアの記事のひとつひとつに神経をとがらしているのでしょうか。そしてその対応も、執拗、高圧的ではアベ晋三という人物の卑小さがますます際立つというものです。
で、その『選択』8月号によると、安倍氏が次期首相になることが、「戦わずして決まってしまった」ような状態でも、「安倍陣営に沸き立つような勝利感はない」らしい。「『泡沫候補』を相手にした消化試合に勝ったとしても求心力が高まらない」ということらしいのです。
おまけに、「優れた側近や、内外の政策課題に精通し的確なアドバイスをするブレーンが、現時点で安倍氏にはいない」という事情も抱えているようです。
まあ、そんな記事は置いておき、私が気になったのは、「報道各社の上層部に『安倍シンパ』」勢力が多い、という部分です。
「安倍シンパ」とは、「かつての清和会(現・森派)担当記者」のことで、清和会は1978年から22年間にわたって政権が取れずに、「担当者は社内で『冷や飯』を食わされる状態が続いた」。そのために、総理目前にしてガンで死去した晋三氏の父親晋太郎氏の「無念の思い」を当時の担当記者たちが共有しているのだということです。
「晋太郎没後十五年を経ても、命日の五月十五日の前後に清和会担当者OBを中心とした偲ぶ会が開かれ、毎回顔をみせる息子である晋三氏をなんとか総理に、という空気が醸成されている。」と『選択』は伝えています。
よく分かりませんが、人情というのでしょうか、仁義とでもいうのでしょうか。政治担当記者の間も、こんな浪花節的精神が横溢しているのでしょうか。
メディアの晋三氏ヨイショ記事の原因も、電通と合わせて、そのあたりにもあるのでしょうか。
さすがに近頃は、コイズミ「改革」から生まれた格差社会の問題に関する記事が新聞にも多くなったと思っていましたが、これはあくまでも、晋三氏の「再チャレンジ支援策」をなどを盛り込んだ政権構想発表の「露払い」に過ぎないのでしょうか。
安倍シンパ議員版「自民党再チャレンジ推進議員連盟名簿」はこちら。
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