2.26事件との遭遇
『2.26事件と郷土兵』という、埼玉県編纂の2.26事件証言集に目をとおす機会に恵まれました。なんでも事件参加者の半数以上が埼玉県出身者だったことから、県史の別冊として刊行されたもののようです。
1981年の刊行当時はまだ存命中の父でしたが、証言者の中には入っておりません。でも、恥ずかしながら、どのページを読んでも、どの写真を見ても、涙があふれてくるのを抑えられません。
事件参加者のほとんどが、父の生年、大正4年前後の生まれです。
これまで私自身は、2.26事件というものをなんとなく避けてきた気がします。父もほとんど語ることはありませんでした。ただ、「父ちゃん、怖かった」と、かすかに笑いながら、チラッと言ったことだけ覚えています。
それで今頃になって知り、驚いたこと。
計1,558名の参加兵員のうち、なんと父のような初年兵が、1,027名を占めているのです。事件参加者のうち、3分の2が初年兵だったのです。
初年兵のほとんどは満20歳の年が明けた1月10日に入営し、翌月の26日に事件に遭遇しているのです。
父がどの連隊に属していたのか、とうとう最後まで聞くことはありませんでしたが、当時の徴兵区から考えると、第1師団歩兵第3連隊(麻布3連隊に同じ)のいずれかの中隊に属していたのでしょう。
歩兵第3連隊は蹶起軍1,558名のうち937名という最大多数を擁し、「入隊後は訓練と内務に明け暮れ、毎日が追い立てられるような忙しさ」の中で、2月26日を迎えています。
2月26日、午前1時、あるいは3時、あるいは4時というように、突如非常呼集されてゆり起こされた時刻は中隊によって異なるようです。そして軍服着用。軍装の整ったところで待機。
明治神宮参拝、あるいは昭和維新の断行、暴動鎮圧、尊皇討奸、靖国神社参拝、といったように、真偽にかかわらず、一応目的を告げられたところもありましたが、どこへ行くのか、目的が何なのか、まったく知らされずに黙々と営門を出ていったところも。
各所の襲撃は、午前5時を期して一斉に行われました。
下士官や2年兵の中には、事件前の連隊の雰囲気、また教育進度の速いことに疑念を抱いた人たちもいたようですが。
上官の命令は絶対でしたから非常呼集で出動したときも何ら疑わずに従っていき、29日に撒布されたビラをみて、上等兵でさえ、「これほど驚いたことはない」というほどでした。ビラでは、命令に服従したのが誤りであったと説明されていたためです。
そこには、命令には2通りあって、服従しなくとも良い場合があるのか、と悩む姿がありました。
「今思うと2.26事件の参加は軍隊の裏面を見せられたようなもので、命令による行動にも服従する側にとっては正従か盲従かをよく弁えねばならぬことを教示された気がする。こんな馬鹿げた話しは他にはない。命令は朕の命令しかないはずである。」
反乱軍とみなされて鎮圧軍と対峙するも戦闘を交えずに原隊復帰。1ヵ月のあいだ監禁状態に置かれ、父親である私の祖父も面会を許されていません。そうして4月下旬に監視付の上で帰郷。自宅に帰れる者もいれば、小学校での集団面会しか許されなかった者もいます。その間たったの数時間。
「また満州にあっても犯罪者、罪滅ぼしの言葉は耳にタコができる位聞 かされ、同時に猛訓練を課せられた揚げ句北支に派兵させられたこともみようによっては一連の仕打ちであったのではなかろうか。
やはり政治が悪いとすべてが狂ってしまうものである。これは現代でも同様の筈だ。」
渡満して翌年、12年の7月、廬溝橋事件を発端に北支事変が起こり戦火が拡大して、連隊に出動命令がおります。
「これから長城作戦を開始する。お前たちは日頃鍛えた力量を発揮し反乱軍の汚名をそそぐよう身命を投げ出して戦闘を遂行せよ」という連隊長の訓示に、「この期に及んで事件を引き合いに出すことは戦闘の名目で我々を殺すつもりか……私は悔しくてならなかった。」と、40何年か前のことを述懐する証言もみられました。
そして、「敵も死にものぐるい」で、「予期以上の激戦」が続きます。
「終始無理な戦闘をやるので激戦にならざるを得ないのである。」
「事件当時入隊したばかりの初年兵だった者が、今北支の戦野で罪滅ぼしの責を背負って激戦地廻りをさせられるとは昭和十年兵は全く不運の星の下に生まれた者である」という証言者の言葉に、また涙がこぼれます。
反乱兵士の汚名をきせられ、さらには厳重なかん口令がしかれ、拡大していく戦線の最前線に駆り出され、事件参加兵たちの多くは戦死していきます。
「軍隊の不条理」ですますにはあまりに重たい、無名の人々の生と死です。
今では、当時の父の年齢を、子供たちさえとうの昔に超えてしまいました。
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コメント
とむ丸さん、こんにちは。
「2.26事件」でわけもわからず「反乱」に参加させられた兵卒たちは可哀相ですね。
激戦地に送られて亡くなった方も少なくなかった、と以前に聞いたことがあります。
実際、その通りだったのですね。
ちなみに落語家の柳家小さんも「2.26事件」に巻き込まれた兵卒のひとりだったそうです。
投稿: 喜八 | 2006年8月28日 (月) 17時41分
toxandoriaです。漸くTBが上手く行きましたね。
ご迷惑をおかけしました。“はてな”に代わりお詫びします・・・と、言いつつ訳が分かりません!? ともかくも良かったです。
「2.26事件」の参加者の半数以上が埼玉県出身者であるとは知りませんでした。
イノセントな人々に悲痛で悲惨な経験を無理やり押し付ける、そんな時代の空気が何となく当時と似てきたようで不気味です。
投稿: toxandoria | 2006年8月28日 (月) 18時10分
喜八さん、toxandoriaさん、こんばんわ。
小さん師匠も初年兵の1人だったというのは、以前新聞記事で読んで知っておりました。
青年将校達が掲げ要求した昭和維新の要項、財閥解体、軍需産業、独占企業の国家管理、皇族一親等以外の臣籍降下、華族制度の改廃等々、外国の手により維新が達成されたのはあまりに皮肉である、と慨嘆する証言もありました。
本来こんなことは政治の役割。
時代の空気が当時と似てきたように感じるのも、政治が為すべきことをしていないからでしょうか。
投稿: とむ丸 | 2006年8月28日 (月) 21時36分
そうですか、お父様苦労なさったのですね。いかなる理由があっても上官の命令は天皇の命令としておきながら、なんということかと思います。
上の方はやりたい放題で、何をしても責任を問われなかったようですが。
2.26事件の兵士たちはノモンハンに送られて、日本軍のおろかな参謀のせいで相当亡くなったと聞きます。しかしノモンハンの事件も箝口令がしかれ、どういう実態だったかわからず、知ってりゃ、「こんな指導部の日本じゃ負ける」と国民にもわかったのでしょう。
投稿: luxemburg | 2006年8月29日 (火) 22時01分
戦争体験継承ブログです。
トラバありがとうございます。
ただこの記事、トラバではなく記事として転載したいのですが。
もちろん、とむ丸さんの記事として。
投稿: G2 | 2006年8月30日 (水) 00時31分
貴重な証言集があったのですね。県立図書館ならあるでしょうから、今度行って探してみます(私は東京都ですが、川を越えたら埼玉県です。笑)。こんなふうにしてわけもわからず巻き込まれ、国家に殺されていった人達が多かったのだろうなとあらためて思いました。
投稿: 華氏451度 | 2006年8月30日 (水) 02時16分
luxemburgさん、おはようございます。
「終始無理な戦闘をやるので激戦にならざるを得ない」という証言が頭の中で反芻されます。こうした事情は、明治以降の日本の戦争全般に共通する性格のようですね。
独りよがりの判断の甘さ、ご都合主義は、小泉・あべラインに通じるところ大ですね。
こうした性格がどこからきたものなのか、今アンテナを張っているところですが、なにかご存じでしたら教えてください。
G2さん、いらっしゃい。
あなたに転載のことをいわれて、はやくまとめなければ、と腰を上げた面もありますから、OKですよ。
華氏さん、おはようございます。
川越出身者は第1歩兵連隊の方ですね。こちらの方が歩3より以後の戦争の犠牲者が多かったように記憶しています。続編『雪未だ降りやまず』もありますから、あわせて読んだらいかがでしょうか。
投稿: とむ丸 | 2006年8月30日 (水) 09時53分
こんばんは。なんだか「反小泉なんとか同盟」なんてTB送っちゃって恥ずかしいです、今やそんなこと微塵も思ってないのに、若気の至り?
ところで、この指導者たちの性格ですが、そういう高度なことはtoxandriaさんにお任せするとして、私は教育にあるような気がします。日本の教育は、とにかく追いつくため、まねをする、覚える、先生と同じことができるようになる、おなじように考える、ということだけをやるので、結局「優秀な兵隊」を養成するようなものでしかないのですが、いきなり「リーダー」なんて責任ある行動ができるわけなく、それが「天皇制オミコシ国家」と結びついた超無責任いい加減体制ができちゃったり、という超いい加減コメントですみません。
投稿: luxemburg | 2006年8月30日 (水) 21時23分
luxemburgさん、こんばんわ。
なるほど、なるほど。
特に戦前のように国民の大多数が小学校で終わるような教育しか受けていないと、上意下達に便利だろうな、とは思っていましたが。
昔、姑に、じゃあ、おばあちゃんはフランス革命を知らないの?! ときいて頷かれたときは、びっくりしながらも妙に納得してしまいました。
投稿: とむ丸 | 2006年8月30日 (水) 22時18分