戦時下の国策遂行コピー 続きの続き
朝起きたら、ビワの幹に蝉が9匹も。1匹はクマゼミで、残りはアブラゼミです。一番上の端にいるアブラゼミにカマキリが忍び寄ります。
獲物を狙う猫がお尻を左右に振るように、カマキリは体を横に揺すり……飛びかかりました……が、危ういところで蝉は飛び立ち、難を逃れます。
今日は、戦時下の国策遂行コピー、太平洋での制空権が完全にアメリカに移り、悲壮感さえ漂うコピーから。
一点の衣、一椀の粥
総てが国力である時
暖衣飽食は
自らの国を引き裂いて着
自らの国を引きちぎって喰ひ
遂に船底まで剥ぎ取って
諸共、海底に没入するの愚だ
(43年1月13日号)
これを読むと、何かおかしいな、と感じます。なにか、現実とすでに逆転しているからでしょうか。
41年12月の開戦から3ヵ月ほどたつ42年2月には、すでに衣料品を手に入れるのには切符が必要になっていました。食料の配給制が始まるのも、そう遅い時期ではなかったはず(42年には主食の米等は、1日分2合3勺(345g)になっていて、やがて配給米の中に麦やサツマイモが米の代わりに加えられ、副食物までは配給制になっていき、遅配・欠配も多くなっていくわけです)。
そうした国民生活の窮乏をみていて、「暖衣飽食」とはよくいえたものだとびっくりします。贅沢をするものは自らの国を食して諸共に沈没するものだ、という言葉を読むと、「痛みに耐えて改革を成し遂げなければならない」という首相の言葉を思い出しませんか。
耐えてきたのに、まだまだ耐え足りない、というのは小泉改革と同じですね。
折りしも竹中氏は訪米中の8月4日、ポスト小泉政権の政策運営について「改革は続くのか」「(引き続き)首相がリーダーシップを発揮するのか」などの質問が相次いで、「改革を続けないと日本経済は基本的には駄目になる」などと答えたといいます。
要求の際限なさは、すでに戦時中と同じ。
43年3月10日の陸軍記念日に、有名な「撃ちてし止まむ」の標語が発表されます。
そして
制服から作業衣へ
諸君は日本の
戦車を軍艦を飛行機を造る逞しい少年工になった
諸君が得る収入は
国家が支払うお金です
良くないことに使っては
君たちをゆがめ 國をむしばむ
二重の罪悪です
(4月14日号)
わが蓄めしいささかの金
けふも鋼鉄の艦となり
南海の敵を撃つ
わが積みしそこばくの金
けふも銀翼となり
大東亜の空に飛び立つ
撃ちてしやまむ
この暮らしなおゆとりあり
否、この暮らしゆとりなくとも
(5月5日号)
ふー、ここまでいうとは想像できませんでした。43年5月の言葉です……45年8月まで、2年以上もあるというのに。
「この暮らしなおゆとりあり」といったそばから「否、この暮らしゆとりなくとも」と否定しているのは、国民の窮乏をちゃんと知っているわけです。それでもですからね。
いったい、日本はどうなってしまうの、というより、これ以上国家への奉仕を要求して、日本人の暮らしはどうなってしまうのかと、読むだけで不安になります。実際のむごさはどんなものだったでしょうか。
少年工の賃金も、「良くないことに使っては、君たちをゆがめ 國をむしばむ」といってどこに使われたか!
この43年の秋には軍需省が創設され、44年1月から軍需会社の指定を行い、さらには一般鉱工業生産を犠牲にしてでも、徹底的な航空機第一主義に集中せざるを得なくなるのです。そしてその航空機は何に使われたか!
この方が「二重の罪悪」でしょう。
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