戦時下の国策遂行コピー
日本の8月は、否が応でも戦争が思い起こされます。
61年前も、こんな暑い日が続いたのでしょうね。
何気なく手にした27年前の『思想の科学』8月号に、加納実紀代さんが、「『一億玉砕』への道」というものを寄稿されていました。
70年ほど前、国策遂行に向けて「国民精神総動員運動」の展開と同時に、国民に対する「啓発宣伝」のための中枢機関としてない各情報部が発足し、『週報』と『写真週報』という国策宣伝雑誌が刊行されました。
この内閣情報部は、1940年には情報局に格上げされて、あらゆるマスメディアの管理統制に乗りだすことになったということです。
この情報局発行『写真週報』に、「時の立て札」と題して毎週掲げられていた文を加納さんが紹介されていました。
当時の人々に時の政権は何と呼びかけたのか、好奇心のままに読んでみました。
まずは、開戦間もない41年12月17日号。
対米英戦の
大詔は渙発せられたり
聖恩に奉り
国難を完爾として享ける大和魂は一億
心に剣を執り銃をだけ!
今ぞ敵は米英だ!
米英を墓場に送らん!!
ずいぶんいさましいですね。「渙発」「聖恩」という語も今は使われることもなくなりましたし、「完爾」はgoo辞書にも、手元にある小学館の『国語大辞典』にも載っていません。
続いて翌42年1月7日号
捷報に酔ふな
勝って兜の緒を締めよ
完勝の為には何をなすべきか
先づ国民各自の足元を固めることだ
堅忍持久はこれからだ
将兵は今日も戦火に突入してゐるぞ
そしてラングーン(現ヤンゴン)を占領後の42年3月25日号
蘭印早くも我に降り
ラングーン又我が手に陥つ
かくて、大東亜建設の礎石盤石の如く
彼等如何にあがかうとも
われら一億既に心決したり
ひたすらに絶対必勝の信念をもて
西、ロンドンで入城式を
東、ニューヨーク沖で観艦式を
さうだ、その日まで
きつと戦ひ抜くぞ
当時一流の宣伝屋、コピーライターたちの苦心の作でしょう。
「将兵は今日も戦火に突入してゐるぞ」という文句は、銃後の真面目な国民の心に響いたことでしょうし、開戦初期の華々しい勝利に、人々の心は沸き立ったことでしょう。
けれどすでに、2月には衣料切符制が実施されていますし、この後すぐ、4月には米軍機による本土初空襲があります。このことを4月29日号で次のように言っています。
夙に覚悟の前だつた
今こそ外征皇軍勇士と相携へて挙国一丸
あくまでも敵を撃滅し
畏くも開戦に当り下し賜はった後詔勅に応へ奉らんことを期さう
敢然と身を挺し沈着機敏、国土防衛に立った国民に感謝と信頼を
そして不幸敵弾に死傷された方々に心から哀悼の意を表し
誓って 誓って 国土を護りぬかう
「敢然と身を挺し沈着機敏」「心から哀悼の意を表し」と、美辞麗句が連なります。それにしても、どこかで聞いた文句ですね。
そしてミッドウェー海戦の惨敗の後は、調子がどんどん変わっていきます。
一をもって百千に当たるのが日本人のやりかただ
頭数だけ並べて仕事をしようなんて、それは米英式だ
量より質、より磨かれた技術、生産の方法にも新工夫を
遊んではゐられないぞ
舞台は広くなったのだ、もつともつと、人が要るのだ
(6月10日号)
何でもいゝから蓄めればいいのだ
そして国家におかししよう
戦車も 弾丸も 軍艦も
うんと造ってもらふのだ
(6月17日号)
「一をもって百千に当たるのが日本人のやりかただ」といいながら、「もつともつと、人が要るのだ」とは!? それに文言も、だんだん信仰じみてきました。
「何でもいゝから蓄め」て、それを「国家におかししよう」……前線・銃後ひっくるめて、人の命も国家に貸したことになったのでしょうか。
でもこれを信じた当時の人たちを笑えません。去年の衆院解散から丸1年。あの時、私たちの半分は、くりかえされるワンフレーズに見事に騙されてしまったのですから。今でもまだあの呪縛は解けていないのでしょうか。
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