排泄作用としての詭弁術
華氏451度さんが『断腸亭日乗』をとりあげて、永井荷風が、戦時中の時局に
迎合した記事論説のことを「人間の美徳や善行を意味する言葉はその本質を失ってしまい、代用語に成り下がった」と皮肉たっぷりに書いていることにふれられています。
(写真はあじさいの代用品というわけでもありませんが、ドライ・あじさい)
そういえば、戦時中の写真や資料をちょっとでも見れば、「代用品」がやたらと多いのに目がいきます。
梅本忠男写真集にも、1943年頃に撮られた、デパートの売り場と思しき優良代用品売り場という写真があります。アルミの鍋の代用品に、陶磁器製の鍋が売られていたのでしょうか。
「ほぼ日刊イトイ新聞」によると、「優良代用品選定委員会」いう公的な機関まで設置され、国の政策として代用品作りが奨励されていたということです。
精巧に作られた土瓶を見ると、贅沢を禁止された江戸期の商人たちが、羽織の裏などに手間暇かけさせたのを思い出します。
陶磁器ばかりでなく、竹や紙、木が利用されていて、紙製の洗面器まであったようです。
こうした金物不足のための代用品に対して荷風のいう「代用語」は、すり替えに使った、本来の内容を失っているもの、空疎な言葉を指しています。
それだけで良いもの、価値あるものを示すような語が、有無をいわせず価値を押しつけるように、代用語に使われますね。
これを多用したというか、弄したのが小泉ジュンイチロウ氏。彼の使った弁そのものが、代用弁、とでもいいたくなるような代物でしたね。
「排泄作用としての詭弁術」なんてタイトルを考えた私ですが、それほどジュンイチロウ氏の話には「論」も「誠」も感じられませんでした。ただ、彼 なりの方法で消化された、口から吐かれる排泄作用の結果としての語の連なりでした。思索も技もあったものじゃない、ということだけが感じられました。
ロンドンのフロイトミュージアムには、フロイトが唱えた発達理論に示される発達時期のひとつ、肛門期に因んだオブジェが大きなテーブルにも、書斎の小テーブルの上
にも、いっぱいに飾ってあります。
(2枚の写真をクリックしてうんざりした方は、3枚目の写真で玄関から出て、外の空気を思い切り吸収してください。初冬の冷気で、頭もすっきりするかもしれません。)
「美しい」とか「優しい」とか「あたたかい」とか、言葉だけ聞いたら、真面目な私たちは何もいえなくなってしまいます。
シンゾー氏の「美しい国へ」に続いて、先日のニュースでチラッと見た、アソー氏が政権構想か何かでいったという、「小さくとも強い政府、温かい政府」という言葉も同じ流れですね。
これを聞いたとき、子供が通っていた幼稚園の標語が「強い子よい子明るい子」だったのを思い出しました。
試しに子供に尋ねてみました。強い子よい子明るい子ってどんな子?
「犬とけんかしても負けない子」で「電気みたいに明るい子じゃない?」というのがその答え。よい子について何と答えたか、忘れてしまいました。もしかしたら、お母さんのいうことをよくきく子、だったかもしれません。
まさか、強い政府が犬と喧嘩しても負けない政府で、温かい政府が電気のように温かいとか、そんなこととは思われませんから、もっと丁寧に、何がおっしゃりたいのか、誠実に対応していただきたい、と思った次第です。
くだらない連想の書き連ねでした。m(_ _)m
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