« ワーキング・プア――働いても働いても豊かになれない | トップページ | うまいことやっている人が得をする »

「小さな政府」とは何だったのか

 今週の毎日新聞は、「縦並び社会――格差克服への提言」というシリーズを掲載しています。 

第1回目は評論家内橋克人さん。

「社会をむしばむ『格差』を一気に深めたものは、小泉政権が完成させた雇用・労働の解体だ。この政権は『改革』の名において、経済界の悲願であった『雇用・労働の規制緩和』の流れを一気に加速させ、不可逆で決定的なものとした」

「市場が市民社会を支配するのではなく、社会で暮らし、働く人々を守る新たな『共生経済』へ向けてかじを取るほかない」

と言いきります。

 同じ第1回目で、市場万能の考え方を強く批判する米国の経済学者ジョセフ・スティグリッツさんは、

「米国が日本に迫った規制緩和は、米国企業の成功のためであり、日本のためではなかった」

とまで断言し、

国民は『小さな政府』政策が、自分たちをより不安定にすることに気づき、その流れを止めるしかない

といわれています。

 この春だったでしょうか、NHKラジオで、街行く人に「小さな政府」とはどのような政府か尋ねていましたが、満足に答えられた人はわずかでした。

 ことに昨年の選挙以来「小さな政府」という語はすっかり定着してしまい、お金のかからない良い政府のようなイメージが一般に作られてしまいました。

 政権にある人たちの頭にある「小さな政府」と、庶民が考えている「小さな政府」は、まったく異なるものだったのでしょうね。

 戦費調達のために導入されたという源泉徴収制のもとで有無を云わずに税をとられ、さらには税金の無駄遣い、政・官・財の利権構造を苦々しく思っている庶民は、小さな政府=無駄遣いをしない政府、と思いこんだフシがあります。

 そして小さな政府の音頭をとる側は、その庶民の思いこみを知りながら、それを利用して、騙した。

 劇場型の政治に自らも参加するような錯覚を起こして、トランス状態の中で、国民が自ら首を絞めるような選択をしてしまった。

 そんな選択をしてしまった国民も愚かだけれど、政権与党が悪意を持って、「禁じ手」を使ってしまった、とはいえないのでしょうか。

 今日の第4回目は、元りそな総研会長、国定浩一さんと東大大学院教授神野直彦さんの《税制》に向けた提言でした。

 国定さんは、

「『痛みなくして改革なし』と小泉純一郎首相は言ってきた」が、

「痛みは真ん中から下の人たちが引き受けさせられた」

 と指摘されます。

 神野さんは、

「社会は市場経済と民主主義で成り立っている。市場経済はほうっておいても効率を追求し、格差が生じていく。それを政府が民主主義を通じてどこまで是正していくのかが大切な問題だ

 ところがこの国では、「国民が政府に支えられていると思っていない」ため、「歳出を減らしたら増税に応じる」という、「本来あり得ない考え」が世論調査の結果に出る、

と説明されています。

 歳出削減といっても、庶民は無駄遣いをなくせ、といっているのです。

 そしてこの無駄遣いも、予算を立ててそれを実行する側と一般国民の間で、対象となる内容がまったく違う。その食い違うところで、結果として私たちは足をすくわれてしまうような格好です。

 表面的・総体的な言葉だけで説明もなく、多くの国民がごまかされてしまいました。

 食い違いの自覚がないまま、政権に対して期待まで抱いて、裏切られている。この期待を「幻想」という人もいます。

 私が育ってきた時代は世の中が目に見える形でどんどん豊かになって、社会保障も充実してきました。それがあまりにも当たり前だったため、それが、政治を考えるときにも大前提となっていましたから、まさかその大前提となるはしごが外されるとは考えようもなかったのでしょうか。

 そうしていつの間にか、みんなの期待とは外れた社会に変質してしまった……。

 民主主義というのは、主権者である国民全体が常に試されているのではないかな、まったくもって手間の掛かる制度だ、というのが正直な気持。

 でも、人間が考えた中で一番の政治制度だという思いがありますから、ここで諦めずに、主権者の義務と権利を行使してなんとか努力を重ねていかなくてはね。

 ついでに、複雑怪奇な税制については手を出しかねていましが、よく言われている所得税がどこまで低所得層に厳しく、同時に富裕層に優しくなったのか気になっていたので、財務省の提供する資料を見てみました。

 所得税の税率構造の推移をみると、時代が下るに従って、税率の区分け方がどんどん単純になっていることに気づきます。

 昭和49年には19段階あったものが、平成元年には5段階、そして現在は段階にまで減らされています。

 最低税率はいずれも10%ですが、最高税率は昭和49年の75%から、平成元年は50%、そして現在37%にまで低下しています。

 なお、個人に課される税金にはこの他、道府県民税と市町村民税を合わせた「住民税」があり、こちらの方の最高税率も、18%から15%、13%と低下してきています。

 結局、所得税と住民税合わせた最高税率は、93%から65%50%と低下したわけです。

 さらに今後は、今年度中に行われるらしい「国から地方への本格的な税源移譲」後、4段階の税率が6段階になります。

 所得税率を最低5%、最高40%にして、住民税は現行の5、10、13%の3段階になっているのを一律10%にすることで、

 所得税・住民税合わせて、最高税率を現行の50%に維持する、という方針のようです。

 きめ細かに所得によって税率に差をつけていたものが、こうしてどんどん単純になってきたのは、どのような効果があったのでしょうか。調べるにつれて疑問の膨らむこの頃です。

 


|

« ワーキング・プア――働いても働いても豊かになれない | トップページ | うまいことやっている人が得をする »

「政治」カテゴリの記事