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法人税は限りなくゼロへ、消費税は限りなく上昇?

 ちょっと古い記事になりますが、今年1月、経団連が法人税率の引き下げを求め、消費税率については、微妙な表現で増税を求めたことはご存じでしたか? 

ivedoorニュースによると、

 財務省と日本経団連の意見交換会が二十五日午前、都内のホテルで開かれました。税制「改革」に関して、経団連は法人税率引き下げを求める一方、経団連が以 前から税率引き上げを提言している消費税について、「政治のリーダーシップによる適切な判断が必要」との意見を伝えました。

 ということです。

 現在でも、財務省のサイトにある税率の推移を見ると、表示のある昭和25年以来、最低の法人税率だというのに、更に下げよという財界からの要求です。

421  そして消費税については、「法人税を下げるのだから、後はどうすればいいか分かっているな!」とでも言いたげです。

 前2回のエントリーで税率の推移に触れましたが、そこから見えてきたのは、どうも法人税率引き下げ消費税導入・消費税率引き上げが連動しているのではないか? という疑問です。

 それにしても、総裁選に立候補した谷垣財務大臣は、なぜあれほど消費税率10%を強調するのでしょうか。

 もっとも、財界の意向が法人税引き下げ・消費税引き上げなのですから、他の候補者も当然そのことは念頭にあるけれど、世論の反発を怖れて口に出さないだけ? なのでしょうか。

 実際に消費税が引き上げられた場合の庶民のショックを少しでも和らげるために、谷垣氏は今のうちに本音を伝えておこう、ということなのでしょうか。

(もっとも、本音は10%どころではないと思いますが。18%などという声もあります)

 好戦的で、さしたる政策もなさそうなアベ氏に対して、柔和で真面目なイメージのある谷垣氏を配して、少しは政策面を補っているつもりでしょうか。そう、アベ氏と谷垣氏は、それ自体連動しているのでしょうか?

 いずれにせよ私たちにとっては、

前門のトラ、後門のオオカミならぬ、前門の安倍壺三、後門の谷垣に違いありません。

 なお、国の歳入が減ったのはバブル崩壊後法人税収入が減ったためと思わされていましたが、もしかしたら法人税率を下げたことが結局は歳入減少という結果になったのではないでしょうか。

 バブル崩壊後、消費者の財布のひもが固くなったために消費税収入が予想を下回り、法人税収入が減少した穴埋めができなかったのではないでしょうか。(ただし、これはあくまでも私の推測に過ぎません)。

 結局、国の負債が巨額になった責任は、法人税率を下げて、消費税を導入・税率引き上げをした、国の政策の誤りにあるのでは?

 これについては、もう少し調べる必要があるようです。

(写真は、消費税導入ポスター)



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政治」カテゴリの記事

コメント

“とむ丸”さま、TBありがとうございます。

最近の“安倍ヒトラー、万歳、マンセイ!”の風潮にはいささかウンザリですね。

たまたま、toxandoriaの記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060722)で別の方へお返ししたコメントが現在の心境ですので、その一部を下に転載させていただきます。

・・・・・

(前段のコメント&レスの部分は省略)

そうですね、「ヴァーグナーファンのヴァーグナー知らず」は稀代のトリックスターである小泉純一郎氏にこそピッタシの言葉です。

そもそも、世界の様々な神話には共通した複数のアーキタイプ(archetype/原型)があり、それは人間が永遠に忘れるべきでない大切な知恵を未来の人々へ伝える役目を果たしてきたのだ、というよう話をどこかで読んだことがあります(松岡正剛氏だったと思います・・・)。

おそらく、小泉純一郎氏のようなタイプの人物は、このようなことには全く気がづかず、ひたすら表層的なドラマツルギーに“感動して見せている”だけなのでしょう。

今、再び“<小泉劇場>の二番煎じ”である「安倍劇場」の開演を告げる“グロテスクなプロローグの音と映像”が放送メディアを通して連日のように日本中で流れ始めています。そして、最近たまたま見た民放のテレビ番組で、あの竹村健一氏が“数日前に安倍晋三氏と一緒にメシを食って色々な話をしたが、彼ほど立派な哲学と立派な考えを持つ政治家には出会ったことがない、彼が国民的人気を集めるのは当然だよ”と話していたので仰天しました。

かの田原総一郎氏には「テレビ芸者」という立派な称号が付いているそうですが、これでは竹村健一氏も立派な「テレビ芸者」です。マア、思い返せば、彼にも昔からそのような雰囲気はあったようです。しかし、バロック・バロックした風貌の竹村氏の場合は「テレビ芸者」よりも「テレビ花魁(おいらん)」か「テレビ太夫(たゆう)」の方が似つかわしいかも知れません。
<注>花魁は高級売春婦、太夫は芸妓という違いがあるそうです。
→参照、『京の太夫さん』、
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/story/story_9_2_1

ともかくも、テレビの視聴者のすべてが冷静な観客ばかりではないことを考えると、「安倍劇場」の開演とともにこれら「テレビ芸者」「テレビ花魁」「テレビ太夫」及び常連の「太鼓もち」(コメンテータ)たちが喧しくなるのは困ったことだと思います。理解に苦しむような陰惨な事件が日本中で多発することには、日本のワーキング・プア社会化のような問題だけでなく、特に、民放テレビが「これらの腹黒くグロテスクな人々が登場する番組」を、まるで人間社会の不条理を面白可笑しく囃したてるかのような不用意な態度で垂れ流すことの責任が関係あるかも知れません。

そして「小泉劇場→安倍劇場」のバトンタッチの姿は、ここ数日で急にメディアでクローズアップされ始めた「カルト宗教・摂理」の問題を連想させます。各種の報道によると「カルト宗教・摂理」(レイプ教団?)は「統一教会のコピー」(教祖は統一教会から脱会した人物)らしいですが、日本社会がここ5年間の「小泉劇場」で一種のカルト化へ向かい洗脳されてきたのだと仮説すれば、本命としてそれを引き継ぐ「安倍劇場」は、まさに「カルト宗教・摂理」の立場にピタリと収まると言う訳です。

いやな連想ですが、「アメリカ富裕・支配層のエゴ」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060729)→「小泉劇場」→「安倍劇場」という流れで、『自然と人間に対する理不尽なレイプの暴力』がコピー・拡大され続けて行くような気がします。

投稿: toxandoria | 2006年7月31日 (月) 16時12分

toxandoriaさん、ありがとうございました。
>世界の様々な神話には共通した複数のアーキタイプ(archetype/原型)があり、それは人間が永遠に忘れるべきでない大切な知恵を未来の人々へ伝える役目を果たしてきた
と同じようなことですが、私は、哲学の存在しない時代には、神話が哲学の代わりをした、というようなことをどこかで読んだ記憶があります(エリアーデあたりだと思いますが――いまエリアーデで検索すると、松岡正剛氏のものが1番にヒットしますから、松岡氏の念頭にエリアーデのあった可能性があります)。

おっしゃるとおり、小泉氏にも、アベ氏にも、その哲学が感じられません。あるとすれば、人間存在に対する深い洞察などとは何の関係もない、ただただ、権力・金銭哲学と自己陶酔だけですよね。
竹村氏の通俗性・低俗性がもしかしたら「分かりやすい」ということになるのでしょうか。
なんだか、この「分かりやすさ」というものが1番の判断基準になってしまいました。分かりやすさはもちろん大切ですが、それだけでは片手落ちのような気がします。「いかがわしさ」や「やましさ」を感じる感受性はどこに行ってしまったのでしょうか。

投稿: とむ丸 | 2006年7月31日 (月) 16時56分

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