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ホロコーストの闇

_149 _150_1 ラムズイアー。子羊の耳の意を持つこのハーブ、可愛らしいピンクの花が咲きますが、びっしりと産毛のような白い毛が生えた柔らかい葉っぱは、さわるとほんわり柔らかくて、癒されます。

 政府と政権与党の横暴に腹の立つあまり、とりあえず邸の麗子嬢とゆっくりお茶を飲む暇もゆとりもない方々は、是非身近に置くことをお薦め致します。

 先日から、東ヨーロッパの小さな町で起こったホロコーストを取材した本を読んでいます。かなりなボリュームで、原書ですから、少々時間がかかり、ブログの更新内容を考えるゆとりがありません。もちろん、麗子嬢やばあやとの楽しいお茶の時間は後まわし。

 とても重たい本です。(もちろん、重量のことではありません)。

 言葉をなくすとか胸が突かれるとかいう言葉だけでは、とても言い表せないほどの衝撃です。ホロコーストといえば、日本ではアンネの日記とかアウシュビッツを思い浮かべますが、息を潜めた隠れ家生活の日常や絶滅収容所での体験とは違う、ポーランドやウクライナ各地の町や村でおこった大小さまざまなユダヤ人虐殺の実態が、家族の歴史と共に描かれています。

 虐殺そのものも、あまりにすさまじく、当分の間私の頭から去りそうにもありませんが、その殺戮が、ドイツ・ゲシュタポのみならず、その協力者、昨日まで隣人として共に生活をしてきた人々の手によって行われたことに、また違った恐怖と衝撃を味わいます。

 日本でも、沖縄戦の最中、壕に逃げ込んだ若い母親が、泣いている赤ん坊の口を塞いで窒息死させた話を聞きますが、ちょうど同じようなことが、ゲシュタポがユダヤ人探索をするときにも出てきます。

 でもそれよりもおそろしかったのは、そうした探索の最中に、お産を迎えた妊婦の話でした。

 周囲にいる人の懇願空しく産気づいた女性が広場に引きずられていく。陣痛が始まると、そこにある大きなゴミ箱の上に引っ張り上げられ、お産の痛みに苦しむ姿が群衆にさらされる。それを見つめる人々は、冗談を言いあい、罵声を浴びせる。子供が生まれるや、赤ん坊は臍の緒のついたまま、すぐさま母親の腕からもぎとられ、群衆の中に投げ飛ばされる。人々は生まれたてのその赤ん坊を踏みつける……母親は血を垂らしながら、数時間その場に立ちつくす。そして駅へと引っ立てられていき、絶滅収容所行きの貨物列車に詰め込まれる……

 20世紀に入ってからも、フランスでは公開処刑が行われていたことを、カミュか誰かが書いていました。普通の市民が、今日はギロチンだ、という日、喜々として処刑が行われる広場に駆けつけるわけです。

 おまけに東ヨーロッパでは、20世紀になっても、ときどきユダヤ人の住まいが襲撃されるポグロムが起こっていました。社会不安のはけ口だったのでしょう。

 国家保安部長ラインハルト・ハイドリッヒという人物が、この東ヨーロッパのホロコーストの指揮を執ったのですが、実際に手を下したのは、ゲシュタポのみならずこうした普通の人々でした。もちろん、中には絶滅収容所行きトラック(ユダヤ人輸送には、列車だけでなく、家畜運搬用のトラックも使用されました)から逃げ出した人を救ったり、パルチザンになってユダヤ人と共に闘った人は、少数ですがおりました。

 でも、昨日まで、平和に暮らしていた隣人が、こうして牙をむくことがあるのは、旧ユーゴスラビアでのボスニア・ヘルツェゴビナの内戦でも顕著に見られたことでした。

(あああ、頭の中がいっぱいでうまくまとまりません。今日はここまで)

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コメント

TBをしようとお伺いしましたが、ちょっとつらなりました。
また、落ち着いてから・・・。

投稿: とくら | 2006年6月 8日 (木) 13時30分

重いテーマです。人間はそういう弱さを持っている、それを前提として、それでも間違いが起きないよう歯止めをかけるにはどうすれば良いのか。改憲論議にも関連するテーマだと思います。

日本人も普通のおっちゃん達がアジアの友人を無差別に殺しました。しかも、自分の中にも、同じ状況に置かれれば同じ過ちを犯しかねない何かが存在する怖さを感じます。

でも、そんな時代にも流されず、命をかけて抵抗した人達が日本にもドイツにも沢山いました。
その違いは一体どこからくるんでしょうね?

やはり多面的、批判的に物事を観、感じる力をどれだけ鍛えてるかが大切なんでしょうか?

投稿: Looper | 2006年6月 8日 (木) 18時41分

私もTBを入れるつもりで立ち寄り、大好きなラムズイヤーの写真にひかれ、読み進めて・・・つらいです。

妊婦さんのお話も・・喜々として処刑を見に行ける市民達も場所と時代と立場が違えば、別の感性でそれを見ることができるのでしょう。こんな大きな事柄でなくとも、イラクの人質事件に見られたバッシングのような、どうして??と思うような攻撃性をすべての人間は秘めているのでしょうか。


投稿: お玉おばさん | 2006年6月 8日 (木) 21時10分

秘められていると思います。
だから日本人は「おすそ分け」と言う美風を
もって、他者の攻撃を和らげる工夫をしてきたのです。
利益を独占すれば必ず周りから恨みを買う。
だから少なくとも半分は自分のものとせず、
隣近所に分けて歩いたのです。
それが和をもたらし、少なくともユーゴや
アフリカ大陸であったような内戦状態にならなくて済んだのではないでしょうか。

投稿: 弥助 | 2006年6月 8日 (木) 21時46分

とくらさん、おたまさん、
 本当に、読んでいてとても辛かった。まだまだ、いろいろありますし。

Looperさん、
 >やはり多面的、批判的に物事を観、感じる力をどれだけ鍛えてるかが大切なんでしょうか?
 は、本当にその通りだと思います。中にはユダヤの少女に別の洗礼名を与えて保護する、敵対民族の僧侶もいます。
 こうした場合、人はいくつかのグループに分かれると思います。
 積極的に荷担するもの、心の中ではおかしい、と思っていても、それを外に出さずに傍観するもの、そして外に出して反対するもの。おそらく、傍観者がいちばん多いのではないでしょうか。
 
弥助さん、
 ナチスドイツ下のユダヤ人問題は、政策として遂行されたことを忘れてはいけないと思います。こうしたユダヤ人虐殺は、ナチス占領下で行われているのです。
 文化問題ではないのです。
 以前のエントリーで書いたのですが、(http://tomkari.cocolog-nifty.com/blog/2006/week17/index.html)ナチスのエリート達は、だれ一人としてナショナリズムを、民族主義を、人種説を本気で信じてはいなかった。
 それぞれの社会には、それぞれ社会生活を営む上での知恵が長い年月の間に蓄積されています。日本だけではありません。
 それが、政策として実施され、プロパガンダで憎悪を煽り立てる、さらには人々の欲、利害関係が絡んできて、こうした地獄の絵図が展開されていくことになるのではないでしょうか。

投稿: とむ丸 | 2006年6月 9日 (金) 08時45分

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