日本国憲法の草案作りには、65年の歴史がある
森喜朗元首相のHPを見ると、昨年11月22日付 で、「自民党の原点であり、大義である」といって、立党50年記念大会で、党新憲法起草委員会委員長としてまとめた新憲法の草案を発表したしたことが大きく載っています。
現在の日本国憲法は戦後の占領下、連合国軍総司令部(GHQ)がわずか9日で草案をつくったのに対して、「自民党は(自主憲法の草案をつくるまで」50年かかった」と指摘し、「半世紀にわたる長い懸案であった新憲法の草案を初めて条文化した形で公式に示せることは大きな喜びです」と述べたそうです。
あらあら、まったく、ものは言いようですが、詭弁を重ねての開き直りはいつものこと。
50年かかったのは、明治憲法の亡霊のような内容を、いかにうまく草案に盛り込むか、また、いかにうまく世間に詭弁を浸透させるか、戦略上の都合だったのではないでしょうか。
現憲法も、けっして9日間で草案ができたわけではありません。先人たちの、立憲主義に対する熱い思いを結実させた財産がこの国にあったればこそ、たった9日間で草案が完成したのです。
そうしたこの国の歴史を、少なくともこの国でリーダーシップをとる政治家の方々は知っておいていただきたい。
現行憲法を貫く精神は、明治新政府発足からまもなくの民権運動の中に見られますし、条文そのものも、明治10年代に現れた40以上もの私擬憲法の条文から生まれたものがたくさんあります。
民権運動の中から生まれた憲法草案でも、1881年に作成された植木枝盛の憲法草案、東洋日本国国憲按(とうようにほんこくこくけんあん)は秀逸です。
精神的自由権から経済的・身体的自由権まで謳い、「無法に抵抗することを得」といって、「国家権力の不当な行使に対して抵抗する国民の権利」を保証する抵抗権をも規定しています。
さらにすごいのは、
「政府国憲に違背するときは日本人民は之に従わざることを得」(第70条)、
「政府官吏圧政を為すときは、日本人民は之を排斥するを得。政府威力を以てほしいままに暴虐を逞しくするときは、日本人民は兵器を以て之に抗することを得」」(第71条)
「政府ほしいままに国憲に背きほしいままに人民の自由権利を残害し建国の旨趣を妨ぐるときは、日本国民は之を覆滅して新政府を建設することを得」(第72条)
といって、革命をも容認していること。
明治新政府の強権政治に悲憤慷慨する植木たち民権論者の姿が思い浮かぶようです。
こうした植木たちの努力を考えると、現行憲法の草案作りには、実に65年の歴史があります。
1889年(明治22年)、大日本帝国憲法(明治憲法)が発布されたものの、民権派が求めていたものとはあまりにかけ離れた内容でした。
翌年の1990年に召集された第1回帝国議会は、民権派の議員の方が多数を占めて、政府と対立しています。
「自由は取るべきものなり、貰うべき品にあらず」といった中江兆民の言葉をもう一度噛みしめると同時に、この言葉をまた大にして叫ばなければいけない時代が繰り返されないように、しっかりと見張っていかねばなりませんね。
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コメント
お邪魔します。
自民党の憲法改正は結党以来の悲願です。逆に言うと今まで改正できなかった怨念が籠めめられています。それだけの理由なので50年間練って来たわけではなく、低レベルの改正案です。
「自由は取るべきものなり、貰うべき品にあらず」は今言わねばならない状況ではないですか。
投稿: 飯大蔵 | 2006年5月20日 (土) 13時50分
飯大蔵さん、はじめました。コメントありがとうございました。
おっしゃるとおりだと思います。戦略というのは、ただそれを露骨に表すことができないので、50年間色々水面下で動いてきたことを指しただけです。
自由については、だんだん不自由の色が濃くなってきているのは確かです。これについての表現も、少々迷いました。ただ、今は一応、日本国憲法がまだ機能していると思ってこのような表現をとりました。
あまりストレートな表現は、私は苦手です。
投稿: とむ丸 | 2006年5月20日 (土) 15時04分