寒村の見た召集風景
日米開戦以来、召集された兵士を送る光景は毎日のように見られた、と寒村は語っています。
ある日の上野駅、早稲田の学生の一団が、白い布を肩から斜めにかけた学生を取り囲んで、酔いにまかせて肌脱ぎになり、狂ったように乱舞していたそうです。
その時歌っていた歌が、「品川女郎衆は十匁、十匁の鉄砲玉、玉屋が(どうとやらで)スッポンポン」という俗謡で、出征兵士を見送るような、「勇壮な意気組や愛国的な精神の発露などは少しも認められず、絶望を紛らすヤケクソな付け景気とより感ぜられない」と彼は書いています。
たまたま信州上山田駅では、「見送りの団体はなく、カーキー服の肩から白布を襷にかけ片手に奉公袋を提げた出征兵士と、赤ん坊を背負い1人の男の子の手を引いた細君らしい婦人の一行」と出会います。
その一行の先頭には男の子がひとり、ハーモニカで軍歌を吹奏しながら停車場をさして進んできます。そのハーモニカ少年の健気な姿は、後々までも寒村の記憶に焼き付けられることに。
対照的な2つの出征兵士の光景……
送り出す学生たちは、いずれ自分の番が来ることを承知していたでしょうし、稼ぎ手を奪われた母と子ども3人の一家は、その後の生活に思いを巡らしながら、あるじを見送ったことでしょう。
学生たちが踊りながら歌う唄が、軍歌でなく、唱歌でもなく、俗謡であったことが、酔いの力で生身の人間性をさらけ出していることをうかがわせます。本音はこっちにあり、です。
そして「国を守る」ことが「愛する人を守る」ことと矛盾したことは、親子5人の出征風景に象徴されています。
ちなみにこの唄、博多どんたくで歌われるようです。歌詞は、「ぼんち可愛いや寝んねしな 品川女郎衆は十匁
十匁の鉄砲玉 玉屋が川へスッポンポン」というのが正解。
(この唄は「しりとり歌で、江戸で流行したのは幕末かららしい。「品川女郎衆は十匁」の歌詞から『国々色里あたい付』をみると、品川は文化・文政頃がこの値段になっている。この歌の元文は長く「牡丹に唐獅子、竹に虎、虎を踏まえた和唐内…」から始まって延々と続く。そして最後のところに「坊やはよい子だ寝んねしな、品川女郎衆は十匁…」と出てきて、この後にも歌は続く。これが「ぼんち可愛いや…」と大阪言葉に変わったのは明治になってから。」と「博多どんたくギャラリー」で解説されているそうです。)
(写真のバラは、デンティベス。一重のバラです。)
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コメント
どんたくのしりとり唄,よく調べましたね。(^o^)
とむ丸さんの言う通り,自分から好き好んで召集される人はいませんし,軍人もまた同様。軍人は「仕事だから」と割り切って自分を抑えていたんだ,二度と戦争をしてはならぬ,とは,陸軍憲兵だった母方の祖父の遺言でした。
投稿: kaetzchen | 2006年5月27日 (土) 15時59分
昭和21年8月17日、玉音放送があった二日後、16歳になったばかりの少女が疎開先の農家の一室で自決した。短刀を用い、十文字に腹を割いた後のどを突いて果てた。
寄りかかっていた机には、東京大空襲で亡くなった父母の写真が置かれていたそうだ。遺書にはこうあった。「戦争に負けた日本には生きていたくありません。女ながら日本人らしく切腹して死にます」と。
日本人の心性には二通りあるのか、いや同時に存在しているといったほうが正しいのか。
投稿: 弥助 | 2006年5月27日 (土) 16時55分
弥助さん,こんにちは。ちょっとツッコミ。昭和だと20年でしょ。ヾ(^^;)
それはさておき,皇国史観(戸坂潤言う所の「日本イデオロギー」)に洗脳された若者なら,純粋に突っ走ってしまう事例はあるでしょう。私のブログで指摘した統一協会に染まった桜田淳子なんてのはその典型例でしょうね。
ところが私の祖父のように職業軍人として現実の戦争の場に身を置くと,反対に非常にシビアな現実的な信条になるそうで,日本が勝つなどと信じていた「気違い」が日本を負けにした,とも言われていました。
そういう意味では,祖母と母とおばのために生き残って復員し,戦犯として公職追放という「刑罰」を受けた祖父の言葉を,私は信じたいです。公の場ではありませんでしたけど,果たしてどれだけの職業軍人が自らの犯罪を悔いたでしょうか?
投稿: kaetzchen | 2006年5月27日 (土) 17時19分
kaetzchenさん、こんにちわ。
すみません昭和20年です。ぼけてますね私は・・
で、この少女の心性は『皇国史観』ではないと思います。多分そのような固まった理性的なものでなく、多分、古来からある日本的な農村的共同意識みたいなものでなかったかと思います。
橘孝三郎の「農本思想」や保田與重郎の「日本浪漫主義」みたいな先験的に日本人の心を揺さぶるものだったと思います。
あと、職業軍人は文字通りであったので、普通一般的には自らの「犯罪」を悔いるということはなかったのでは?また「統一教会」は利益集団なのでそれと比較することはどうかと。
投稿: 弥助 | 2006年5月27日 (土) 17時36分
戦争は残酷ですね。
戦争中は人間性を持ち続けた人にとって残酷、戦争が終わると洗脳されていた人にとって残酷です。
私のばあちゃんのお友達も東京大空襲を間近に見てるくせに、玉音放送のあとも「日本が負けるはずがない」とほとんど狂い死にしそうになっていたそうです。結局生き延びて、私の知っているその人はハイカラなばあちゃんでしたけど。よかった、死なないで。
投稿: luxemburg | 2006年5月27日 (土) 17時44分
kaetzchenさん、こんばんわ。
よくお話に出る、大阪のおじいさまですか。私は父を通して、kaetzchenさんは、おじいさまを通して、戦争の実相を知ったというか、垣間見たんですよね。
弥助さん、はじめまして。
たとえば武士階級の女性などは、ずいぶん昔から自刃用の短刀を身につけていましたね。そしてこの女性は、バンザイクリフから飛び降りて自死した女性に比べると、かなり意思的なものを感じさせますね。
この女性の背景などはまったく知りませんし、当時の女性の心性も、今の私たちとはかなり異なることを考えると、簡単には結論づけられませんね。
また、「攘夷」の感覚がこんなところにも生きていたのか、という思いもします。
見慣れぬ人を怖れるという感情は人間の一般的なものでしょうが、「攘夷」の感覚が政治運動と結び付いた日本的攘夷は、まだ現代にも息づいているような、ちょっと底知れぬ恐ろしさがあります。おそろしさも、畏ろしさ、怖ろしさ、いろいろありますね。
luxemburgさん、こんばんわ。
luxemburgさんのお話にも、よく戦争を体験された方のお話が出てきますね。あの戦争、勝つと信じ切っていた人と、シビアに、クールに見ていた人と、2つのタイプがあるみたいです。
投稿: とむ丸 | 2006年5月27日 (土) 21時10分
とむ丸さん,ねる前なので手短に。この職業軍人の祖父は母方の祖父です。お嬢さま育ちだった祖母と母親は祖父の公職追放のために経済的に苦労したとのこと。
# 祖母は90過ぎて完全に痴呆になり,公立精神病院の閉鎖病棟で完全介護状態にあります。もちろん祖父は既に亡くなりました。人間,長生きするのも問題だなというのが養子に来たおじのぼやきです。
投稿: kaetzchen | 2006年5月27日 (土) 23時24分
弥助さん,こんにちは。一応注をつけておいたつもりですけど,私は一般論としての「皇国史観」という言葉を使っていません。あくまで,戸坂潤の言う「日本イデオロギー」と並行して並べています。
つまり,学校教育などによって長らく洗脳されてきた若者にとっては,それは「日本イデオロギー」だと自覚されることなく,「農本思想」や「浪漫思想」のようなものとして誤解されて浸透してしまうものなのですよ。分かりやすい例が25年ほど前の「ガンダム」とか「宇宙戦艦ヤマト」ですね。あれほど強力な洗脳装置って他にないんじゃないかな。
統一協会は利益集団でありながら,政治集団でもあります。むしろ政治手段としての側面の方が大きいとも言えるでしょう。この辺は私が学生時代に書いた本をお読み頂ければと思います。
投稿: kaetzchen | 2006年5月28日 (日) 08時07分
>kaetzchenさん、ありがとうございます。
ガンダムは良く解りませんが、宇宙戦艦大和は夢中になった記憶があります。世界防衛軍が、即、日本防衛軍に繋がるかどうか今の時点では疑問符ですが、もしかしたらという気持ちも確かにありますね。いわゆる「英雄主義」に対する「教育」とか「イデオロギー」の怖さがここら辺にあるということは理解できます。
ヴァレリーの言葉によりますと「祖国」とは
「言語を絶するもの、冷静に定義することの不可能な実在であって、分析はこれを否定しうるものであるが、しかしそれ自体の性質により、また証明せられるその全能性によって、熱情的な信愛に等しく、人間をして自分で行き得ようとは思いもかけなかった場所へ連れて行く、神秘かつ聖らかなあるものに似ている」と定義されるらしい。
つまり少女をして覚悟死を決意させた日本人の祖国を媒介とした心性は、このような「超政治」の中から出てきたものではないのか、そしてその心性は当時の日本人にはかなり普遍的なものだったはずだ、ということを提起しました。
>とむ丸さん。すいません、突然断りも無く書き込みして。これからもよろしくお願いします。
投稿: 弥助 | 2006年5月28日 (日) 09時55分
kaetzchenさんも弥助さんもありがとうございました。
なかなか、興味のある議論です。まだ続くかな? 主題としては、ブログに関係なく続継続があり得ますね。
それにしても、詩人のロマン的定義はすごいですね。
本人の意図するとしないとに関わらず、こうした心性は政治的なものとの相互関係から、互いに何らかの影響を受けあいますよね。時と人により、どちらかが強くなって、時には片方が相手を凌駕することもあり得ますし。
投稿: とむ丸 | 2006年5月28日 (日) 10時19分
まだ続けます?(笑) 私はブンガク的な議論は苦手で,ストレートに理論的な議論しかできませんから。(^^;)理科系ですんまへん
投稿: kaetzchen | 2006年5月28日 (日) 18時29分
とむ丸さん、失礼しました。これでやめませう。kaetzchenさん、おもしろいの見つけました。森田童子です。
http://plaza.rakuten.co.jp/ekatocato/2002
学生運動の末、中退してしまった
同じ大学の同級生だった若い夫婦がいます。
男のひとは職業を転々と移り変え
どうやら最近小さな出版社の営業マンとしておちついたそうです。
今は、少し不便だけれども、都心から離れた団地に住みついて、5才になる男の子となんのへんてつもなく平和に暮らしています。
子供が宇宙戦艦ヤマトが好きで、近くの映画館へ日曜日に、「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見て、子供を連れていったことも忘れて、2人は泣いてしまったそうです。「さらば宇宙戦艦ヤマト」を見てふたりは赤いヘルメットの学生時代を思い出していたのです。
「今は、ただの情念を燃やすだけでは救われない。私たちの青春っていうのはよかったんだよねって、たとえ錯覚であっても義眼の中の感傷であっても、そう思いこむことでしか救われない。メリーゴーランドやポピーの花のようであった七年前の私たちを愛せなくて、なぜ七年後の私たちを私たちが愛せるだろうか?だから、今私は、私たちの過ぎていった青春たちに歌いたいんです。
愛をこめて、・・・・・・静かに、
・・・・・・とても静かに・・・」
今後ともよろしく。
投稿: 弥助 | 2006年5月28日 (日) 19時03分
ふふふ、一応、やめ、ということですね。
弥助さん、またどうぞ。ただ、「これでやめませう。」の「せう」が、少々気になります。
私は文系ですが、どうも詩人ではないので、情動の海におぼれそうな匂いがするのは、ちょっと苦手です。
投稿: とむ丸 | 2006年5月28日 (日) 21時27分