« 谷中村滅亡史 | トップページ | 無理が通れば道理が引っ込む »

平民新聞と日露戦争

 万朝報退社後、幸徳と堺のふたりは、寄付と貸与、演説会のあがりで資金を捻出して平民社をつくり、1903年(明治36年)11月15日、週刊の『平民新聞』が発刊されます。

 平民新聞は普通の新聞の2つ折りの大きさに、創刊号は12ページ、ふだんは8ページ、1部3銭5厘(この年の春、海軍造船廠の見習い職工として入った寒村の日給が25銭)で、創刊号は5.000部がたちまち売り切れて3,000部を増刷したといいます。

 毎号の社説は幸徳が書き、堺は編集長で紙面の製作と経営にあたりましたが、筆禍問題が起こったときのことを考えて、発行、編集の責任者に堺が署名し、幸徳は印刷人として署名したという話に、堺利彦の心意気と覚悟がうかがわれます。

 幸徳には老母があり自身も病弱ということから入獄させるのが忍びない、ということです。後年、この堺の心配りも無駄になってしまいます。

 ちなみに、田中正造の直訴文を起草したのがこの幸徳でした。

 この平民新聞ではさまざまな政治政策をとりあげて論評するだけでなく、ドイツ社会民主党やイタリア社会党等、各国の社会主義政党の動きもよく伝え、また幸徳や堺の翻訳物も連載していたようです。ことに幸徳秋水の格調高い漢文調の名文は強い感銘を与え、またその下に載った同じ筆者の皮肉で辛らつな寸評も呼び物であったといいます。

 創刊翌年の3月に筆禍事件で下獄した堺の『獄中生活』も好評を博していますが、寒村の語によれば、「平民新聞の記事は長短錯落し、硬軟調和して変化に富み、隅から隅まで活気と興趣にあふれていた」そうです。

Photo_11 日露戦争が迫りくる時代、寒村は横須賀海軍造船廠で見習い工(写真左)をしていましたから、自伝では昼夜兼行の日ごとに激しさを増す労働とそれに忍従する職工たちを描いています。

 曰く、「脚気を患っている多くの職工が青竹の杖にすがって、工廠の門をくぐる姿を見るのは珍しくなく……青ぶくれした生気のない顔が悩む足を投げ出して坐り仕事をしている。それをみると、幽界にさまよう死霊に出会ったような不気味さを観ぜずにはいられない」

 そうした中、戦争を目前にした1904年(明治17年)1月、上京して、堺、幸徳、安部磯雄、木下尚江、西川光二郎らの社会主義の演説会を初めて傍聴し、その場で社会主義協会に入会し、海軍工廠も辞めることになります。

 世の中は軍人、政治家はもとより宗教家、評論家まで、それこそ「猫も杓子」も主戦論を声高に叫んでいましたが、少数であっても非戦論を貫く人たちがいました。

 雨宮敬次郎という実業家も、「英、独、仏などは怜悧なものだ……外国を教唆して喧嘩さすことばかり考えている。」などと『実業世界』上で述べたそうです。

 そういえば、昨日の朝のTV、多分フジテレビでしょうが、アーミテージ前国務副長官がインタビューに答えて何か言っていました。(新聞を見ると、「報道2001 同盟軍最前線‥‥日本の危険度 石破茂VS小池晃」という番組のようです)

 確か、日本の問題だから、と前置きしながらも、日本人が(憲法9条ののことを)考えか始めたのはとても良いことだ、日本は車に乗るだけでなく、先頭切って走るべきだとか何とか。

  さて、寒村が社会主義協会に入会した翌月には日露戦争が始まりますが、この時の戦費については、以下のように記しています。

 戦争ついに起こるや、日本の議会は総額六億に達する軍事費と六千万円の増税を可決し、五月には更に戦費をまかなうために一千万ポンドの外債をロンドン市場に募り、しかもその条件はヨーロッパの弱小国たるエジプトやトルコよりも不利であったのみでなく、関税収入をもってこれが担保にあてたのである。(『寒村自伝』より)

  そういえば、今の世も久しく増税論議が喧しいのですが、まさか憲法を改悪した後の戦費調達を考えているのではないでしょうね!?

 平民新聞は第10号(1904年1月17日号)の巻頭に「吾人はあくまで戦争を非認す」とかかげて以来その主張は変わらなかったそうです。

 Photo_12 その年の夏、寒村は初めて堺利彦を訪ねて、服部浜次、鈴木秀男等と横浜平民結社を創立しました。 

(左の写真は横浜平民結社の同士。中列右より、服部浜次、鈴木秀男、寒村) 

そして11月16日には社会主義協会が禁止され、翌年1月29日、平民新聞は廃刊になります。

 

|

« 谷中村滅亡史 | トップページ | 無理が通れば道理が引っ込む »

「歴史」カテゴリの記事

コメント

“とむ丸”さま、コメント&TBありがとうございます。

今後、現代社会が「視覚偏重型」認識が主流であるコマーシャル原理主義のような社会へ向かって加速すると思われます。

このため、近未来社会では、画期的なインタ-フェース(Pervasive Computing Interfece)の実現とともに「ヒトラー・タイプ」や「コイズミ・タイプ」のいわゆる詐欺師型政治権力者の影響力が個々人の内面を内側から破壊する危険性がますます高まると思われます。

投稿: toxandoria | 2006年5月 7日 (日) 19時13分

toxandoriaさん、コメントありがとうございました。
こうして近代日本の歴史を紐解いていくと、今のこの国との共通点が見えてきて不気味さを覚え、暗澹たる気持にならざるを得ません。
4/30のデモの動画も見ました。始終うるさく大声で喋っているのは警察の方ですね。

投稿: とむ丸 | 2006年5月 8日 (月) 11時01分

この記事へのコメントは終了しました。

« 谷中村滅亡史 | トップページ | 無理が通れば道理が引っ込む »