寒村翁
1887年に生まれ、1981年に没。
まだ16歳かそこらの年で社会運動に身を投じ、堺利彦に師事して「平民新聞」の編集陣に加わります。のびやかに(?)弾圧の時代を生き抜いて、じつに1世紀近い人生を全うしています。
私が初めてその名を知ったのは中学生の頃、60年代前半だったと思います。
新聞にインタビュー記事が連載されて何とはなしに読み始めたのですが、「今の社会党は腐ったうどん粉のようなものだ」という寒村さんの言葉がやけに頭に残りました。
田中正造の願いで著した『谷中村滅亡史』は寒村さん20歳の処女作ですが、発刊と同時に発禁処分にされて日の目を見ずにいたところ、復刻されたのが56年後のことでした。
手元にあるのは1970年の版ですが、そこにある1枚の写真 に目が引かれます。
明治20年代に端を発した足尾銅山の鉱毒問題から、田中正造の奔走空しく同40年に強制土地収用に至った、かつての谷中村にあった墓石の、復刻当時の写真(左)です。
先日のオフ会の折、久しく忘れていた「荒畑寒村」の名を思い出したところ、若い方はご存じなかったので、1度お伝えしようと考えていました。
『寒村自伝』には、当時の社会主義運動の内幕と自身の波乱に富んだ人生が余すところなく描かれています。そのうち興味のあったところを少しずつ書いていこうと思います。
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コメント
荒畑寒村というと,公害防止管理者の国家試験のテキストにも出て来ますね。田中正造をサポートした人物として。私が受験したときは通産相管轄だったんだけど,環境省に移管してからはテキストにも問題集にも出なくなったのかしらん。それとも,化学系の技術者しか知らない名前なのかも知れません。
いつだったか,民主党の藤末健三さんからトラックバックをもらった時に,熟練した技術屋とか技術官僚出身者が欲しいですねぇと愚痴ったことがあります。メール事件起こした誰かさんみたいに,工学部を4年でやめて(理系は普通は6年制だぞ!),文系官僚に成り下がった奴が週刊誌に「理系出身」なんて書かれたりすると,やるせなくなってしまいます。せめて大学院で学位を取ってから,政治の世界に出て欲しかったですね。
投稿: kaetzchen | 2006年5月 4日 (木) 15時15分
なるほど。国家試験のテキストにも出ているといったら、寒村さんは苦笑いするかもしれませんね。
人間味豊かな人というイメージを私は持っています。
投稿: とむ丸 | 2006年5月 4日 (木) 21時15分