愛国心とリア王
ふー……共謀罪、今日の採決はありませんでした。でも、審議はこれからも続きます。なんとか廃案に持ち込んでもらいたいですね。
さてさて、だいぶ前の話ですが、鈴木忠志さんの『リア王』はすばらしかった。
地方に住んでいますと、こうした良質な演劇を楽しむことはあくまでも非日常的なものになりますから、かえって、感激も、首相をはるかに凌ぐのではないか、と思われます。
リア王の話はよく知られています。鈴木さんのリア王の話はさておきまして、有名な冒頭部分、所領を譲ることを前提に、3人の娘の愛情を訪ねる場面がありますね。
リア王の、そちたちのうちいったい誰が一番予を愛してくれると言い得るか? という問いかけに対して2人の姉は、
と答えます。が、これに対して末っ子のコーディリアは、
「何もございませんお父上。」
と答えて、自身のまごころを舌先で弄ぶことを拒み、老王の怒りをかってしまいます。
その後の姉たちの裏切りと、リア王、コーディリアの不幸はよく知られ、その不条理とともに、王自身の愚かしさがよく語られます。
愛国心も、コーディリアが心に暖めて、あえて口に出さずに胸に秘めたままにした、まごころとよく似ています。
ただし、誰もリア王のように、私をどれだけ愛してくれるか、などと訊いておりません。訊かれることもないうえに、大声で『愛国心、愛国心」と叫んでいるのでは、2人の姉と同じです。
私にとっての原風景は、生まれた家の2階から眺める、昔ながらの田園風景です。よく思い浮かべる、父や母や、周りに連なる人たちの笑顔です。
私の根っこがあって、大切に思っているところは、その故郷ですし、現在の住まいがあるこの町ですし、この国です。それをわざわざ大声に出して言う必要があるでしょうか?
さらにいえば、こうした愛着は、別に教わったものでもなければ、強制されたものでもありません。知らず知らずのうちに、私の心の奥底で芽生えて育まれたもの。
コーディリアではありませんが、こころって、言葉として発して、自分の身から離れたら、なにか嘘っぽくなります。ましてやそれが、党利党略の具になれば、心なんてものとはほど遠いものになっています。
そんなこと、選良のみなさんはご承知のはず。
それでも、あえて固執するのは、なにか不快深いご事情でもおありでしょうか、と一度尋ねたいですね。
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コメント
さすが文学少女のとむ丸さん、いつものことながら香りが高い。
私の場合こう、文学作品から引っ張って来るという技がないんですね。教養か。
でも今日はとりあえず強行採決の修羅場を見なくてよかったです。こんなくにかよ、なんて思いたくないですから(もうかなり思ってますけど)。
投稿: luxemburg | 2006年5月19日 (金) 20時53分
まったくまったく。
そうそう、私は逆立ちしてもluxemburgさんのユーモアにはかなわないから、仕方ないんですよ。
投稿: とむ丸 | 2006年5月19日 (金) 23時14分