明治憲法に未練恋々
1946年4月、戦後初の総選挙で寒村は社会党から立候補して当選。
この年の8月、現行憲法は衆議院本会議で賛成421票、反対8票の圧倒的多数で可決されました。この時、衆議院帝国憲法改正案委員会委員長で、修正案作成のための小委員会の委員長でもある芦田均について、寒村は次のように記しています。
「新憲法が本会議で可決された際、委員長の芦田均が委員会の審議経過と結果を報告して、民主主義的な新憲法を讃美した後、旧憲法に対して、惜別の情に堪えないといって声を詰まらせた」
これを見た寒村は
「何を下らぬことをいっているんだ。日本国民が天皇神権的な旧憲法の桎梏から解放されて、民主主義的体制の基礎を築く新憲法を制定する際、旧憲法に恋々たるグチをこぼすとは何事だ」と、ひとり呟きます。
1940年に大政翼賛運動が起こったときもこれに反対したリベラリスト、芦田均でさえ、明治憲法に対する執着心から逃れられなかったことに驚きます。
すでに敗戦間もない1945年11月に結成された「日本進歩党」は、その綱領に「国体護持」を掲げ、幣原喜重郎内閣(1945年10月~46年4月)の与党的存在でした。
この内閣で、新たな憲法の草案として、明治憲法の第3条の字句を修正した(第3条 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を「天皇ハ至尊ニシテ不可侵」とかえた)だけの、いわゆる「松本案」が示されます。
この案を中心になって作った松本蒸治の経歴を見ると、実に華々しいことに目を見張ります。
日本国憲法の誕生に、その経歴を見ると、
1900年東京帝国大学卒業。1909年同大教授。1919年帝大を辞して満鉄に移り、1921年副社長となる。1923年第二次山本内閣で法制局長官。1924年以降1946年まで貴族院議員。1934年斎藤内閣商工大臣。その他、多数の会社の役員や日銀参与・理事等を務める。この間、商法改正やその他の立法に貢献した。
とあり、さらに1946年の公職追放を経験したことも記されています。
芦田均の経歴も同じようなものです。
外交官、政治家。京都府出身。東京帝国大学卒業後外務省に入り、ロシア・フランス・トルコ・ベルギー大使館などに勤めて1932年に辞職。同年の総選挙で当選し、立憲政友会に所属。以後死去まで衆議院議員の地位にあった。1933年から39年までジャパン・タイムス社長。戦後すぐに鳩山一郎らと新党樹立を計画し、1945年11月日本自由党結成。(この後もいろいろ続きます)
ちなみにオザケンこと、ミュージシャンの小沢健二も、この芦田均の閨閥に連なります。
国体護持の国体とは、天皇に主権を置く明治憲法下での体制を意味し、国体護持の意思は戦後もずっと、保守政党のあいだに受け継がれていきます。
国体護持の呪縛、とでもいえばいいでしょうか。
支配層の明治憲法に固執する感性と思考はいったい何なのでしょうか。なぜなのでしょうか。
今の体制でも十分に恵まれている彼等が、なぜ戦前回帰の意思を持つのでしょうか。
敗戦と占領によって頓挫したことへの怨念でしょうか。
それまでの己が呼吸してきた生と社会への郷愁。
また、敗戦と占領で、その生と社会を否定されたことへの憤りでしょうか。
さまざまに考えられますが、何よりも、
天皇という抽象的存在に権力が集中したことが、彼らにとって良かったのではないでしょうか。都合が良かった、といいかえた方が適切かもしれません。
この天皇とは、現実に生を享けている生身の人間ではありません。
あくまでも、抽象的・神話的存在です。
この現実に生きている人間としての天皇と、抽象としての天皇という存在は、その時々で、二重になったり、一部重なったり、あるいはまったく別の存在として、彼らの頭の中でごく自然に処理されます。
抽象的存在としての天皇は神に値します。もう、宗教的存在です。
この存在が現実の政治的権力を握るとしたら、権力を志向する勢力にとって、こんなに魅力的なものはないでしょう。
国体護持にこだわる勢力の、あの執拗さは、どう考えても理性ではなく宗教的なものを感じてしまいます。
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コメント
宗教というよりも,狂気でしょうね(笑) いつだったか私のブログでダーウィンの『種の起源』を取り上げ,Intelligent Design の批判をしましたけど,あれとまったく同じです。光市の被害妄想の気違いもそうですけど(笑)
投稿: kaetzchen | 2006年5月23日 (火) 11時13分
ただいま(笑) ふとんに寝転がりながら,パソコンに向かってる不良患者です。(^^;)
「狂気」について,私のブログの『毛沢東語録』紹介記事のコメントに,布引さんが「下人の代用が北朝鮮」という題名で寄稿されていました。彼もだんだん,明治憲法と朝鮮蔑視の原因の本質が見えてきたようです。とむ丸さんは以前,拉致被害の陰謀説は……と言われてましたけど,私が手許に持っている資料をすべてネットにばらまいたら,さてどうなるでしょう(笑) それでも日本人は北朝鮮バッシングの狂気に縛られたままなのでしょうか。
# 少しずつ英語と中国語に訳しています。
投稿: kaetzchen | 2006年5月23日 (火) 14時22分
芦田均で思い出したけど,昔の The Japan Times と今の The Japan Times はかなり論調が変わってきていますね。出版物も昔は結構フジヤマ・ゲイシャ調の保守的なものが多かったのですけど,バブル崩壊以降は東京新聞(中日新聞)や河北新報以上にリベラルな紙面や出版物を出していたりします。
経営者の方針が変わったせいなのか,それとも編集者や記者そのものが変わったせいなのか。最近,The New York Times を読んでいて,朝日新聞がどんどん右傾化していることに危惧を覚えていたりします。アメリカ民主党の方がはるかに左を向いている!
投稿: kaetzchen | 2006年5月23日 (火) 14時28分
こんばんわ、kaetzchenさん。
どういう勢力がどう動いているのか、いまいち確信が持てないけれど、国体護持に固執することそのものが宗教的だな、と感じたわけです。
ただし、宗教的でも、けっして信仰ではない。信仰は欲得勘定の世界ではないし。
そんな意味では狂気に近いかな?
民権思想が5,60年の強権政治で、どこに行っちゃたの、と嘆きたい。
投稿: とむ丸 | 2006年5月23日 (火) 21時13分
日本の場合,仏教にしても道教にしても儒教にしてもキリスト教にしても,すべての宗教・哲学が外国から持ち込まれたものでしょ。
そして大和朝廷が形成される中で激しい内戦が起こって,九州地方の熊襲や中国地方の出雲がほぼ皆殺しに近い形で滅ぼされた。それゆえ,大和朝廷は殺した人々の「たたり」を恐れて,神社を建てまくったんですね。太宰府とか出雲大社なんてのはその典型例。逆に言うと,大和朝廷は仏教が伝来するまで,自らの神権政治を「宗教」だとは全く自覚して来なかったということが言えると思います(馬場あき子『鬼の研究』角川文庫など参照)。
そういう意味で,私はあえて「国体護持」への執着を「狂気」と名付けた訳です,はい。無自覚に受験参考書をブログに丸写しして平気な顔をしているタイゾー君なんてのも狂気の一種かも知れませんね(笑)
投稿: kaetzchen | 2006年5月23日 (火) 21時44分
ついしん。馬場あき子『鬼の研究』は,今ではちくま文庫で出ています。ISBN 4-480-02275-9, 1988年です。
投稿: kaetzchen | 2006年5月23日 (火) 21時49分
ふむふむ。たたりについては山折哲男さんかなにかで読んだ記憶があります。昔、カトリックの女性信者の知り合いから、「たたりから信仰が生まれるなんて」と馬鹿にされた記憶があります。(私は全然神道信者ではありませんが、おそらく山折さんの著書だったと思うのですが、その中でかじった日本の神さまの話をしたときのことです)
投稿: とむ丸 | 2006年5月23日 (火) 22時16分
もう睡魔が襲ってますので,今晩はこれでおしまいにします(笑)
ユダヤ教とかキリスト教とかイスラム教の世界観というのは,基本的に一直線なんですね。生まれてから死んで,神さまのもとへ行くまでが一筋の道になっている。それから外れた人が,地獄へ堕ちるという世界観なんですよ。
ところが日本民俗学の専門書(例えば『民俗調査ハンドブック』『民俗研究ハンドブック』共に吉川弘文館)を読んでみると,どうも日本人の世界観というのは,まず祖霊があって,それが赤ん坊に乗り移り,大人になって死んで,n回忌の儀式のあと,再び祖霊へ戻っていくという円環状の世界観になっているみたいなんです。つまり,たたりというのは,祖霊が現世に現われてくるという意味でして,現世とあの世は常に繋がっているという訳です。
長くなったので,とりあえずおやすみなさい。
投稿: kaetzchen | 2006年5月23日 (火) 22時40分
ついしん。nは素数で2m-1 (mは自然数)です。(+_+)☆\ばき!(--;)
投稿: kaetzchen | 2006年5月23日 (火) 22時42分
OK.OK.n個とかn回、わかります。
円環状の世界観というか死生観というのは、古代ギリシアにも見られましたから、昔、エリアーデを読んだりして考えましたねえ。
日本人にはこちらの方がしっくり来るかもしれないけれど……私自身についていえば、やっぱりどちらともいえません。わからないところが本当。
ではでは。
投稿: とむ丸 | 2006年5月24日 (水) 11時22分