匕首(あいくち)伝説という麻薬
第一次世界大戦に敗れて自尊心をずたずたにされたドイツ国民の間でまことしやかに囁かれた神話、「匕首伝説Dolchstosslegende」。
第一次世界大戦は同盟国側を見るだけでも、ドイツのみならずオーストリア‐ハンガリー帝国、トルコ、ブルガリア等のそれぞれの国内外の事情が絡んで複雑な様相を呈しますが、ごく狭い範囲に限って簡単に流れを追ってみます。
開戦当初、ドイツは西部戦線に兵力を集中しましたが、14年のマルヌの戦いで破竹の進撃が食い止められ、フランス軍との戦線全域にわたって泥沼の塹壕戦に陥り、以後膠着状態が続きます。さらに17年の無制限潜水艦戦の実行でアメリカの参戦を呼び、停滞した西部戦線へのアメリカ軍の投入でドイツは完敗。18年春からの大攻勢も失敗に帰し、夏には戦勝の望みも断たれてしまいます。
大西洋は英仏艦隊に封鎖されましたから、ドイツは国民生活と軍需品の調達の双方で大きな打撃を被ります。15年からは食料の切符制度も始まり、総動員態勢下の窮乏生活に、国民の間では、次第に厭戦気分が広がっていきます。
一方、ティルピッツ海相によって増強された海軍は、16年のユトランド海戦以来2年間閉じこめられて港外に出ることがなかったところに、18年10月29日、イギリス海軍への自殺的な特攻作戦の出撃命令が司令部から出されます。ヴィルヘルムスハーフェン港にいたドイツ大洋艦隊の水兵たちはこれを拒絶して反乱を起こしますが、11月3日には、有名なキール軍港の水兵・兵士によるデモが発生し、全国各地に波及していきます。
ここから一気に大衆蜂起、軍隊の瓦解あるいは無抵抗、皇帝退位、帝政崩壊、ワイマール共和国誕生というように、ドイツ革命と言われる一連の動きが始まることになります。
11月9日、皇帝の自発的退位の知らせを待つ中で、正午頃、社会民主党のエーベルトは、「帝国憲法に従って」首相のマックス・フォン・バーデン公から宰相の地位を引き継ぎます。午後2時、社会民主党幹部のシャイデマンは押し寄せてきた労働者と兵士から議事堂前の大衆に演説をするように求められ、しかもその時、スパルタクス団のリープクネヒトが宮殿のバルコニーから「社会主義共和国」の宣言をしようとしているとの知らせを受け、慌てて独断で共和国宣言をしてしまいます。ワイマール共和国の誕生です。(ちなみに、この71年後の1989年11月9日に、第二次世界大戦後の冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊します。これは偶然の一致なのでしょうか?)
革命後、ルーデンドルフをはじめとする旧将校たちは、ドイツが敗北したのは、軍隊が敵に敗れたからではなく、帝国政府及び民間人が軍隊を支持せず、いわば匕首をもって背後から軍隊に切りつけたからである、と主張し、一般に流布していきます。またこれには、国内の社会主義者、共産主義者とそれに支持された政府が裏切り、「勝手に」降伏した、もしくは「背後からの一突き」を加えたことによりドイツを敗北へと導いた、という解釈もありました。
この匕首伝説については、1925年の「匕首事件」の訴訟の際に多くの関係者が証人として喚問されています。その中で、革命直前の11月6日に、社会民主党幹部及び労働組合総委員長代表と会見した参謀本部次長グレーナーは、「革命のために努力していると思われるような言葉は誰からもひと言も発せられず、反対にいかにしたならば王制を維持しうるかということが話題になりました」と証言しています。
歴史の一断面を凸レンズで、それも歪んだ凸レンズで拡大したこのデマゴーグが、なぜ、かなりな知識人にまで簡単に受けいれられてしまったのでしょうか。
「匕首伝説」が生まれた時代の空気と現代日本の閉塞感にtoxandoriaさんが共通するものを見いだして、すでに昨年5月にご自身のブログで語られています。
以下toxandoriaさんの言葉を、一部ですが引用します。
戦後賠償問題を始めとする「ヴェルサイユ条約」の重荷がドイツ国民の上に圧し掛か駆り始めると、次第にドイツ国民の間に共産主義者に対する『匕首(あいくち)伝説』(共産主義者の卑怯な背後からの匕首での一突きがドイツを不幸に陥れたというルサンチマン/一種の八つ当たりor人身御供を求める恨みの感情?)と呼ばれた怨念と復讐の感情が広がります。特に、このルサンチマン(ressentiment)を強く意識したのが、時代の先行きを悲観した都市部に住む中産市民層でした。慧眼にも、ここに目をつけたのがナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首ヒトラーです。
日本社会のルサンチマンは、もはや相当に重態のようです。そして、このようなやり場がない怨念と暗い情念の渦の中にとり込まれた都市部の中産層や若者たちが、唯一、希望を託せるのが、他でもないワンフレーズ・ポリティクス型の稀代のポピュリスト政治家たち、すなわち小泉純一郎、石原慎太郎、安部晋三なのです。そこで象徴的な社会操作概念(メコネサンス)として登場するのが靖国神社参拝であり、愛国心であり、軍事国体論なのです。ルサンチマンへの反動として、これらは都市部の中産層や若者たちの多くが受け入れ易い、未来への希望の代償となっているのです。かくして、日本の社会は、やり場がない怨念のルサンチマンに侵食されながら、右傾化への道を直走っているのです。
以上引用終わり
ルサンチマンか! 「押しつけ憲法」神話も、やはりルサンチマンの充満している空気の中で熟成・拡散されたのでしょうか。ルサンチマンに処方された麻薬のように作用して、しばし現実の痛みを忘れさせてくれるのがこの神話ですから。
旧憲法下で特権を享受してきた人たちは、現憲法の下で、さぞルサンチマンを抱え込んだことでしょうね。でも問題は、これまで現憲法下で保護されてきた人たちが、ここに来て、生きにくさを抱えてルサンチマンの心を募らせていくことです。日本国憲法によって自分が保護されてきたことに目を向けようとせずに、逆に、「押しつけ憲法」神話にのって、自分の頭で考えることを忘れてしまうことです。
このルサンチマンの呪縛をいかにして解くのか、痛い目に遭わないと分からない、というのでは遅すぎますね。大きな痛い目ではなく、小さな痛い目を味わううちに気づいてと、祈るような気持です。
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