かつてのポーランドに、この国の姿を見る
雑談日記さんに教えられて、北海道新聞の「外資企業の献金緩和 資金確保で自民検討」という記事を読んでみました。これによると、 「自民党は14日までに、外国人や外国法人の持ち株比率が高い企業からの政治献金を事実上、禁止している政治資金規正法の規定を緩和する方向で検討に入った。外資系企業による日本企業の買収が容易になる改正会社法が2007年に施行され、規制対象となる企業が増える事態を想定。資金ルートを確保する狙いがあり、公明党や民主党の同調を求めて今国会にも議員立法で改正案を提出、06年度中の施行を目指す。」とのこと。 これを読んで、私は思わず、かつてのポーランドを思い起こしてしまいました。 15・6世紀、ポーランドは、リトアニアまでも版図に加え、ヨーロッパの中でも名だたる大国でした。バルト海貿易で西欧へ穀物を輸出して富を貯え、クラクフを中心にルネサンス文化が開花し、コペルニクスもこの頃に活躍しました。1572年にヤギェウォ朝が断絶してからは、「シュラフタ」と呼ばれる人口の8%を占める貴族身分が選挙で国王を選ぶ、一種の共和制も始まります。そこでは、貧しいシュラフタもマグナートと呼ばれる大貴族と等しく1票を行使して、政治に参加しました。 シュラフタやマグナートは自分と同等の身分のものが国王になることを好まず、たいていの場合、外国から国王候補者が連れてこられました。もちろん、その候補者達の後ろ盾にはポーランド国内の大マグナートのみならず、それぞれ他のヨーロッパ諸国や教皇といった外国勢力がついていました。周辺の国々は、虎視眈々とポーランドの地を狙っています。 一方、ポーランド国内では、シュラフタからなる国会は、ひたすら、自身とそれぞれのシュラフタが帰属するマグナートのための利権追求の道具となります。また大マグナートの中には、己の野望を達成するために、スエーデン軍の侵攻を手引きするものさえ現れました。まさにこれは、売国的行為に違いありません。 そしてポーランドは、18世紀の3次にわたる分割で、完全に独立国の地位を失うことになります。 1918年、第一次世界大戦後独立を回復したポーランドですが、1939年9月にナチス・ドイツの侵攻を受け、その月のうちにドイツとソビエト連邦の間で2分されました。その後の歴史は、私たちの記憶にも新しいところです。 一度独立を失ったポーランドが、その主権国家の地位を再び得るのに、いかに長く暗い道程を必要としたか、もう一度思い出してみましょう。 このシュラフタ民主制といわれる当時のポーランドが、どうも今の日本の現状と重なって見えてしまいます。自民党よ、いい加減にしてくれ! |
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