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焦土命令と共謀罪

 1945年3月19日、ドイツ敗北を前にしてヒトラーは「焦土命令」を出し、4月30日に自殺します。


「焦土命令」とは、「軍用輸送機関、通信手段、施設、産業施設及び補給所と、敵に即刻あるいは近い将来利用される帝国領内の資産は、すべて破壊する。」というものでしたが、暴君として名高いローマ皇帝ネロに因んで「ネロ指令」とも呼ばれています。幸いこれは、軍需大臣シュペーア・アルベルトの命令無視によって阻止されました。


  前年44年の7月のこと、貴族・官僚・軍部上層などの一部支配層がヒトラー暗殺計画を実行に移しますが失敗に終わり、それに処刑と弾圧が続きます。そしてドイツ国内での組織的反ヒトラーの動きは姿を消し、国民は絶望的な戦争に駆り立てられて、最後の一兵卒まで戦い続けることを求められていました。


  対ソ戦の失敗を目の当たりにした42年、ヒトラーは「ドイツ民族に自己保存の覚悟がなければそれでよい。絶滅するだけだ」と語ったといわれます。


 この焦土命令とよく似たものが、1944年2月「非常時宣言」と共に叫ばれた、敗戦を間近にした日本のスローガン、「本土決戦」、「一億玉砕」です。


 独裁者、もしくは独裁政権は、追いつめられると、なぜこうも自暴自棄的破壊行動に出ようとするのでしょうか。


 ナチズムについては、当初ナチス党の幹部として活躍しながらも34年には袂を分かち米国へ亡命したヘルマン・ラウシュニングが、「ニヒリズムの革命」と呼んでいます。ナチス党の正式名称は国家社会主義ドイツ労働者党です。


 もともとファシストたちは、第一次大戦の「伍長」が首相兼大統領になったように、大衆の支持を得て、旧来の支配層を跳び越える形で権力を握ったもので、国民にさらなる安定した生活を約束することでその権力を保持してきました。


 ただしその約束は多くの犠牲の上に成り立っていたわけで、ユダヤ資産や占領国の資産を奪って国民に高い生活水準を約束するだけでなく、中下層市民に対しては戦時税・所得税について優遇措置をとる等、一種の社会公正政策が実施されていました。


 そしてこの政策が将来も保障され、またさらに豊かな生活を約束するためには、ドイツはますます拡大を重ね、より強大になって占領地区から物資を集めてこなければなりません。(これについては、ル・モンド・ディプロマティークに詳しい記事が載っています)


 日本も大陸へと開拓団を送り込み、南方へも勢力拡大して、豊かな生活を得ようとしましたね。


 他の民族に犠牲を強い、たえず拡大・拡張していくことで辛うじて目的を達成していく。国家レベルでのマルチ商法というか、戦争という手段を用いたマルチ商法が、当時の日本であったりドイツであったりした、ともいえそうです。


 このマルチ商法のうまみを味わったのは誰なのでしょう。


 伝統的な支配層を基盤としたドイツ国防軍と異なり、日本の軍隊は広く大衆を支持基盤にしてナチス党に匹敵するような立場にありました。そして軍隊内の階級を上昇していくことで、支配層にまで上ることも可能でした。そんな意味では、チャンスは欧米に比べてずっと広い層にまで行き渡っていたといえます。


 そしてマルチ商法がかげりを見せ始めると、政策を転換するのではなく、体制を強化することで対処しました。そのためには治安維持法をさらに厳しいものにして、また各種スローガンを公募、連呼して、国民を互いに締め付けさせわけです。


 こうした一連の政策の記憶は、戦後60年の間もずっと、どこかで共有されてきたようです。それも、マルチ戦法の破綻が明らかになって以来、一種の怨念と共に。


 しかも小泉政権下では、ナチスの試みた社会公正政策は行われず、むしろ反対の政策がとられてきました。これは、歴史によく見られる中流階級の没落といった、階層分化を意図したものと考えてもいいのでしょうか。 


 なぜ今頃、「共謀罪」か? と考えるたびに、そんな考えが頭を駆けめぐります。

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