ニヒリズムの革命
鯛釣り草。別名けまん草。釣り気違いの夫にとっては、守護神のような花です。花の数を数えては、今年はたくさん釣れると喜んでおります。
「聞き流しておけ! 5年もたてば、誰もそんなことは問題にしなくなるさ」
ヘルマン・ラウシュニングは、その著『ニヒリズムの革命』の前書きで、ナチスが政権を握って間もない頃のドイツ政治のやり方に危惧を表明したさいに、内閣の重要メンバーの一人(非ナチ党員)にそう言われたことを伝えています。
一時はナチの幹部でもあったラウシュニングが長い間出版を差し控えていたこの本の刊行に踏み切ったのは、ドイツ国防軍のオーストリア侵入を見た後でした。
彼によると、「ナチスのエリート達は、だれ一人としてナショナリズムを、民族主義を、人種説を本気で信じてはいなかったのだ。」
「19世紀ヨーロッパの指導理念だった全国民の国家的統一の伝統を受け継ぐように見せたのは、ナチスのただの仮面にすぎず、真実はもっぱらこの理念を利用しただけで、それは、権力の基礎をかため、拡大して、すべてを破壊、解体するための手段であった」(訳者解説より)といいます。
なんだか、小泉政治に通じますね。靖国参拝にしても、栗本慎一郎さんによると、首相になる前は誘っても乗らなかったといいますし。格別、理念や政策などないに等しく、そのためにワンフレーズ、丸投げ、という結果になるのでしょう。
でも、「死んでもいい」とたんかを切って、けんかだけは強い、という評判です。権力を保持、拡大することに命を燃やす、ということでしょうか。たしかに、行政改革の結果として、内閣総理大臣の権能は格段に強化されました。
ナチ・エリートという新しく出現した大衆エリートも、迅速・果敢な行動と冷徹で捨て身の覚悟をもって、従来のエリート達を凌駕していったのです。
ラウシュニングがナチスの国家運営に疑念を感じ始めた1933年は、同党が伝統的保守勢力と連立政府を樹立したときです。
その1月30日、ヒットラーを首班とする内閣が成立し、2月27日には有名な国会議事堂炎上事件が起こりました。この事件はもちろんナチスの「やらせ」だったわけですが、ヒトラーは共産党の一斉蜂起の合図だとして同党の弾圧に乗りだします。
ブレヒトが手術のために入院中の病院を抜け出して国外へ逃れたのも、この議事堂炎上の翌日のことです。
1月30日のヒトラーの権力掌握をラウシュニングは「連合クー・デター」と表現しています。もちろんこの連合とは、旧来の保守勢力とナチス党の連合のことです。保守勢力は選挙で第一党となったナチスを利用しようとして、その後逆に利用された上で排除されてしまいます。
9.11選挙のことを誰かが「クー・デターだ」といっていた記憶がありますが、もしかしたら、5年前の4月26日こそ、静かなるクー・デターだったのかもしれません。
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