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子どもの株投資――自立を急がされた子どもたち

 toxandoriaさんに教えていただいた小学生のディトレーダーのHP「小学生でも株投資できるもん!」は、予想していたとはいえ、実際目にすると、やはり当惑を覚えずにはいられません。(どうも、子供の投資熱を煽る証券会社のPRページのような気がしますが)

 小学生が証券会社に自分の口座を作るの? 売り買いまで自分でするの? と心配すると、お父さんが答えておられました。

「サイト管理者の娘は株を所有しておりますが、私からの贈与株のみであり自分で購入した株は今のところありません。
今後徐々に贈与株以外にも資金を与え購入させようとは思いますが……」

 これを読んで、ちょっとほっとはしましたが、ライブドア騒動で中高校生にかなりの損失が出たという話もあります。中高校生ともなると自分の判断で購入することも十分考えられますから、ゲーム感覚で投資して、儲けられたらいうことない、というところでしょうか。そうなると、昔ながらの新聞少年のアルバイトなんて、バカらしくてやってられないでしょうね。 

 以前の記事で「近代家族」の話をして、近代市民社会の胎動のなかで子供への眼差しが変わったことをお伝えしました。それまでの子供は、幼児期を過ぎると徒弟奉公に出され、大人たちとごちゃ混ぜになって大きくなっていった、いわば「小さな大人」でしたが、保護すべきものとして、また教育の対象として見るようになったことから、「子供」という存在が誕生したという話です。

 子供の誕生によって、同時にさまざまなものが生み出されました。ピーターパンのお話からドールハウスだって、当時の発明です。スワドリングという細長い布で巻かれて、じゃまなときは適当にどこかに引っかけられていたらしい赤ん坊も、ぐるぐる巻きから解放され、母親から母乳と一緒に細やかな配慮も受けることになります。

 この近代家族の子供像は、同時に私たちが生まれ育った時代の子供像でもあり、私たちはついこの間まで、PCの前に座って、自分で株投資をする子供の姿など、想像すらできませんでした。それが、「ポスト近代家族」のthe saturated family で述べたように、子供たちは家庭の壁を簡単に素通りして、PCを通じて社会と直に対峙してしまいます。

 ちょうど前近代家族の子供たちのように、大人の中に混じって、大人のすることをやっています。

 学校から帰ると、まず株価の確認。いや、その前に、すでに携帯で値動きを見ているでしょうね。気になるときは、授業の合間どころか授業中も、教師の目を盗んで……いや、昔も今も、授業中は気もそぞろに上の空だ、などという声も聞こえてきそうですが、株の値動きが気になって授業どころではない、となると、怪獣カネゴンもどきが目の前に浮かんできます。
 
                


 子供の中には回り道、遠回りして成長していく子もいます。でも、あの株価チャートを眺めていて、回り道を学ぶ子がいるとは思えません。やっとこさっとこで受験勉強をしてそれに毒されている子は、すぐにでも○か×か、答えを求めたがります。それと同じことでしょう。もっとも、一度挫折して、自分の中の「欲」という熱とうまく折り合うことができたら、それは回り道ということになりますが。
 
 大人への道程である子供期に学ぶべきこと、一番大切なことは、心の成長でしょう。人と人の心が交いあうことです。そんな意味では、心の成長は一生の課題です。でも、成長期にこれを学ばなかった人、あるいはカネゴンもどきばかりか、自我が異常に肥大して、他者に対して優位に立つことを確認することでしか人と交流を持てない人なんて、やっぱり幸せでないと思います。

 かろうじてお金で自我を支えている、お金を持っていることで他者に優位に立つ、なんて人が、幸せになるとは思えません。

 中学生で株をしている、という子が自分のHPで、「大学卒業までに1000万貯める10年計画!」を立てて、「1000万の使い道?いやそんなのわかりません。1000万あればトレードもできるし、起業もできます。将来何があるかわかりませんし。。。」といってました。そのHPの掲示板も覗いてみましたが、株投資をしている子供たちって、何か、お金儲けのためにだけ、株式市場を利用しているのかな?と感じました。 

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