内閣総理大臣の総合調整権――自民憲法草案4
自民党新憲法草案では、1946年11月3日に公布された現行憲法の旧仮名遣いを全般にわたって改めています。その中に、ちらほら、重要な問題が潜む案文を入れ込んでいます。
今日は、自民草案の第72条の「内閣総理大臣の職務」をみてみます。
第七十二条 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う。
2 内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。
これに対して現行憲法では次のようになっているだけです。
第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。
自民草案では、内閣総理大臣の職務として新たに行政各部の「総合調整」を加えたことがお分かりになると思います。これを加えたことで、行政各部の指揮監督を除いた従来の職務は、あらたに第2項を設けて規定されることになりました。
「行政各部の指揮監督・総合調整」とはどのようなものでしょうか。
要するに、「行政各部」とは「各省庁」を指し、この省庁の縦割り構造による「縄ばり争い」が総合性を欠くバラバラな政策を多数存在させている」という問題に対する答えです。
ここでまた、素人には分かりにくい、でも国家のあり方を考えるときに避けて通れない、大きな問題が横たわっていることを知りました。
民主主義を実現する上での国家機構そのものについてです。
東京大学公共政策大学院院長の森田朗さんはこれについて、「民主主義の原理に照らして『行政』に対する『政治』の優位を確立するための内閣機能の強化」といわれています。
でも、そう言われますと、「政治」と「行政」の違いが分からなくなるのが素人の悲しさ。
つまるところ政治とは「国家のあり方を見据えて施策を決め、それを実行していくこと全般」であり、「行政」の世界は省庁組織に代表される、といえそうです。が、分かりにくいのは、現行憲法第65条で、行政権は内閣に属する、といわれていることです。
また内閣機能の強化は、森田教授によれば「官僚主導で行われていた政策形成を、本来の担い手であるべき国民の代表である政治家の手に取りもどそうとする」ものであり、いわゆる「行政改革」の大きな柱のひとつとして位置づけられていました。
つまり、内閣機能の強化とは、「中央の『行政府』の権限を縮小し、政治家ないし政党が実質的な権限を獲得しようとする改革」だ、ということです。
また内閣は、1947年に制定され、その後3次にわたる改定を経た「内閣法」にも縛られています。
この内閣法によって、国会で選出された内閣総理大臣の行政各部=各省庁に対する指揮監督権は閣議によって制限を受け、「閣議にかけて決定した方針」に基づく場合にのみ、行使できるとされています。(内閣法第6条)
同じく内閣法第3条では「主任の大臣として、行政事務を分担管理する」いわゆる「分担管理の原則」が定められています。
そして閣議での決定は「全員一致」を慣行としてきており、閣議へかける案件は、事前に開かれる事務次官会議で、全員一致で決定される、というシステムになっているといいます。
この内閣総理大臣にかかる手かせ足かせを取り除こう、というのが、現行にある指揮監督権に加えて、自民新憲法草案にある総合調整権の創設なのです。
ただし、この内閣機能の強化はこれまでも行政改革の一環として制度化が試みられ、2001年の中央省庁の再編とともに、中央省庁改革基本法に基づき、新たに「内閣府」が創設されています。
ここにきて、従来の内閣官房による総合調整・各省間の相互調整に加え、新たに「内閣府による総合調整」が可能になったわけです。また前2者についても、基本法により従来よりも調整権が強化されているようです。
新たな行政機構のイメージ図はここにあります。
さて、2001年にスタートした、こうした現行制度が、どこまで内閣総理大臣の実際の権能強化に繋がっているのか、私には分かりません。
ただいえることは、小泉首相が現在大きな力を発揮する背景に国民の「圧倒的支持率」がある、というようによく説明されてきたと思いますが、支持率という不確かなものではなく、こうした着々と積み上げられてきた制度上の保障があってはじめて、内閣の長が大きな力を発揮することが可能になるのではないでしょうか。
先述の森田教授は、『日本公共政策学会年報』1999年版で、
「国会と内閣とを相互に牽制しあう機関としてとらえる理解が現在そしてこれからの日本にとって妥当なものか、また内閣と行政各部、すなわち省庁を一体化して行政権と捉える理解が妥当なものなのか、「三権分立」のドグマの見直しも含めて、検証してみる価値があると思う」
といわれています。これに対して今、私は答えを持っていません。
自民党による憲法草案は、新たに目指す憲法にこの「内閣総理大臣の総合調整権」を明記することにより、より一層の内閣機能の強化、いえ、内閣総理大臣の権能強化を意図している、ということだけは確かにいえると思います。
しかし、この強大な権力を握る大統領的内閣総理大臣という存在は、「両刃の剣」にもなりうることに不安を覚えます。大体私たちは、そこまで政治家を信用していない、というのが実情ではないでしょうか。
| 固定リンク
「政治」カテゴリの記事
- BSE問題、確率をいわれても(2006.10.10)
- 伝統への思い、そして教育基本法改正案にいう「伝統」とは(2006.10.08)
- こんなのイヤだ! 土下座選挙(2006.10.06)
- 東京都教育委員会への緊急要請署名へのお願い(2006.10.02)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント