ニヒリズムの革命 その3
十二単(ひとえ)。まだつぼみの方が多いのですが、全部開くと群生していて壮観です。
さてさて「ニヒリズムの革命」はまだまだ続きます。読んでいると、とにかく昨今のご時世を思わせるものが多すぎて、なかなか止めることができません。
相手が疲れ、いらいらするまでくどくどと議論をふっかけ、絶え間のない説教によって相手の神経を苦しめる老獪きわまる方法、
にこやかに気楽な話し方をしているかと思うと、突然絶叫したり金切り声を上げたりして冷酷にやっつける硬軟金剛の話術、
相手を侮辱したり、高圧的な攻撃を加えたりしたかと思うと、やがてまた同じく突如としてさも親しげな猫撫で声にとって代わるという技術、
これは心性というよりやはり技術であって、多くの(ナチ)エリートが身につけていたものである。
ここにいわれている技術について私たちがよく耳にするのはドメスティック・バイオレンスの加害者の言動ですが、それ以外にも身近な世界で、またこのネットの世界でもあるのではないでしょうか。
人が他者を隷属させようとするときの対処法として、ごく一般的なテクニックですよね。狂気に見せて狂気ではない、したたかな計算のもとにこうした行動をとる場面に出くわしたことはありませんか。
そうしたことに嗅覚の鋭い人間は意識せずにやっているようですが、ナチの場合はそれを政治的な戦術として、大規模に組織的に行っていました。
「別の精神的雰囲気に生きている人を全てまいらせ、不安にし、神経的錯乱にさらす技術である……ナチスの政治戦術が驚くべき効果をあげた秘密の1つである。」とラウシュニングは伝えています。
さらにラウシュニングは、「『我が闘争』の中であけすけに種明かしをされているにもかかわらず……今日でも成果をもたらしている」戦術に言及します。
その第1は有名な、小さなデマ宣伝は信じてもらえなくとも、「大胆な」デマは必ず信じてもらえるのと同様に、「およそ出来そうにないことの方がうまくいく」というもの。
第2:決して攻撃されてはならない……一気に敵の核心を突くようにし……たちどころに敵の全体を叩く。この戦術で、9.11選挙に勝利したのでしょうね。
第3:決して議論などに応じてはならない。議論を拒むと相手はいらだつ。議論によって事実を取り消してはならない。「まず、すでに終わってしまった事実が存在しなければならない」議論は敵に委せておけばよい。(去年の衆院解散時、憲法違反の声も聞こえましたが、そんな議論に乗ってはならない、というわけです。勝手に言わせておけ、ということですね。
そして最後の第4は、
「市民階級の愚昧と臆病さに対しては何をしても大丈夫」というもので、この考えが、ナチの戦術の中心的、根本的原則ともいえるとラウシュニングは断定しています。
スリード社の、IQが低くて、「 具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層」のB層を思い出します。ただしこの「市民階級」には民主主義諸国も入ります。
ここまでくると、小泉純一郎という人は、栗本慎一郎氏がいうような分かっていない人ではなく、もしかしたら「したたかな計算のもとに、一挙手一投足を決めているのではないかしら、と思えてきました。これは石原都知事にもいえて、5年前に新首相が決まったとき、「石原慎太郎でなくてよかった。まだ小泉の方がまし」という声も聞こえてきたものです。
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