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ニヒリズムの革命 その3

_064_1  十二単(ひとえ)。まだつぼみの方が多いのですが、全部開くと群生していて壮観です。

 さてさて「ニヒリズムの革命」はまだまだ続きます。読んでいると、とにかく昨今のご時世を思わせるものが多すぎて、なかなか止めることができません。

_087 【支配の戦術】の項には次のように書かれています。

 相手が疲れ、いらいらするまでくどくどと議論をふっかけ、絶え間のない説教によって相手の神経を苦しめる老獪きわまる方法、

 にこやかに気楽な話し方をしているかと思うと、突然絶叫したり金切り声を上げたりして冷酷にやっつける硬軟金剛の話術、

 相手を侮辱したり、高圧的な攻撃を加えたりしたかと思うと、やがてまた同じく突如としてさも親しげな猫撫で声にとって代わるという技術、

 これは心性というよりやはり技術であって、多くの(ナチ)エリートが身につけていたものである。

 ここにいわれている技術について私たちがよく耳にするのはドメスティック・バイオレンスの加害者の言動ですが、それ以外にも身近な世界で、またこのネットの世界でもあるのではないでしょうか。

 人が他者を隷属させようとするときの対処法として、ごく一般的なテクニックですよね。狂気に見せて狂気ではない、したたかな計算のもとにこうした行動をとる場面に出くわしたことはありませんか。

 そうしたことに嗅覚の鋭い人間は意識せずにやっているようですが、ナチの場合はそれを政治的な戦術として、大規模に組織的に行っていました。

「別の精神的雰囲気に生きている人を全てまいらせ、不安にし、神経的錯乱にさらす技術である……ナチスの政治戦術が驚くべき効果をあげた秘密の1つである。」とラウシュニングは伝えています。

 さらにラウシュニングは、「『我が闘争』の中であけすけに種明かしをされているにもかかわらず……今日でも成果をもたらしている」戦術に言及します。

 その第1は有名な、小さなデマ宣伝は信じてもらえなくとも、「大胆な」デマは必ず信じてもらえるのと同様に、「およそ出来そうにないことの方がうまくいく」というもの。

 第2:決して攻撃されてはならない……一気に敵の核心を突くようにし……たちどころに敵の全体を叩くこの戦術で、9.11選挙に勝利したのでしょうね。

 第3:決して議論などに応じてはならない。議論を拒むと相手はいらだつ。議論によって事実を取り消してはならない。「まず、すでに終わってしまった事実が存在しなければならない」議論は敵に委せておけばよい。(去年の衆院解散時、憲法違反の声も聞こえましたが、そんな議論に乗ってはならない、というわけです。勝手に言わせておけ、ということですね。

 そして最後の第4は、

 「市民階級の愚昧と臆病さに対しては何をしても大丈夫」というもので、この考えが、ナチの戦術の中心的、根本的原則ともいえるとラウシュニングは断定しています。

 スリード社の、IQが低くて、「 具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する層」のB層を思い出します。ただしこの「市民階級」には民主主義諸国も入ります。

 ここまでくると、小泉純一郎という人は、栗本慎一郎氏がいうような分かっていない人ではなく、もしかしたら「したたかな計算のもとに、一挙手一投足を決めているのではないかしら、と思えてきました。これは石原都知事にもいえて、5年前に新首相が決まったとき、「石原慎太郎でなくてよかった。まだ小泉の方がまし」という声も聞こえてきたものです。 

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ニヒリズムの革命 その2

エビネ蘭が咲きました。 _063 

小さな花ですが、群生していますから、結構見応えがあります。(花の写真をクリックしていただいたら、もっと大きくご覧になれます)

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「ラウシュニングほど思慮ある聡明な人物がなぜまた一時的にせよ、ナチス党とヒットラーの片棒をかつぐようなことをしたのか」という疑問を持つ人は当時からいたようです(作家のトーマス・マンもそのひとり)。

 これに対して彼は率直に自らの誤りを認めています。

 でもそのおかげで、ヒットラーの支配体系をその内側からも見ることができ、他に類のない時代の記録を私たちは読むことができるのです。

 戦前の日本軍部に少なからぬ影響を与えたドイツの軍人でヒットラーとほとんど同時代を生きたルーデンドルフは、多くの点でナチスと共通したものを持っていると、ラウシュニングは指摘しています。

「両者ともまさしく国民の『憑かれた状態』を要求している。『人間はそれ以外のことを考えてはいけない」とルーデンドルフは言っている。全面戦争(総力戦のことか)を考えることが『人間の唯一の情熱、唯一の喜び、人間の悪徳、人間のスポーツである。一言で言えば、真の憑かれた状態である」

 そして、ルーデンドルフは「戦争」という語を使うが、ナチスの大衆扇動家は」世間に対して「戦争」という語は使わずに、かわりに「民族共同体」「ドイツ魂」という言葉や、「人種」「血」、「名誉」「自由」等の語を使ったといっています。「それらはいずれも『戦争』のことを指している」と喝破しながら。

 たしかに日本の軍部は、総力戦とその体制についてルーデンドルフに多くを学んでいたようですね。

 「八紘一宇」「大東亜共栄圏」から「大和魂」「名誉」などなど、いずれも「戦争」のことを指しているのは間違いないですね。

 でも、今、この時代に、60年前のそうしたきな臭さが、つまり言葉こそ違え、「戦争」を指している語がおおっぴらに語られるようになってしまいました。

 いみじくも、ラウシュニングは次のように述べています。

「しかしなぜ戦争が問題になるのか。戦争はこの暴力行動主義革命(ナチスの運動のこと)の対外政策的形態である。戦争はそれ自体としてすでに生の秩序づけであり、生の実現である。戦争は生に意味を与えるものであり、最高の規範である。戦争はなによりもこの主義主張のない革命の最高の形態である。」

 なるほどこれが、ナチスのみならず、戦争への道を開こうとする人たち、戦争を肯定する人たちの感覚なのだ、と納得。「戦争」はそれ自体が「生の実現」なのか!

 共謀罪→国民投票法案→憲法改悪→堂々と戦争のできる国、という一連の流れを考えると、共謀罪、国民投票法案、「憲法改正」などの言葉は、ラウシュニング流にいえば、すべて「戦争」を指しているのですね。

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ニヒリズムの革命

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  鯛釣り草。別名けまん草。釣り気違いの夫にとっては、守護神のような花です。花の数を数えては、今年はたくさん釣れると喜んでおります。



「聞き流しておけ! 5年もたてば、誰もそんなことは問題にしなくなるさ」


 ヘルマン・ラウシュニングは、その著『ニヒリズムの革命』の前書きで、ナチスが政権を握って間もない頃のドイツ政治のやり方に危惧を表明したさいに、内閣の重要メンバーの一人(非ナチ党員)にそう言われたことを伝えています。


 一時はナチの幹部でもあったラウシュニングが長い間出版を差し控えていたこの本の刊行に踏み切ったのは、ドイツ国防軍のオーストリア侵入を見た後でした。


 彼によると、「ナチスのエリート達は、だれ一人としてナショナリズムを、民族主義を、人種説を本気で信じてはいなかったのだ。」


「19世紀ヨーロッパの指導理念だった全国民の国家的統一の伝統を受け継ぐように見せたのは、ナチスのただの仮面にすぎず、真実はもっぱらこの理念を利用しただけで、それは、権力の基礎をかため、拡大して、すべてを破壊、解体するための手段であった」(訳者解説より)といいます。


 なんだか、小泉政治に通じますね。靖国参拝にしても、栗本慎一郎さんによると、首相になる前は誘っても乗らなかったといいますし。格別、理念や政策などないに等しく、そのためにワンフレーズ、丸投げ、という結果になるのでしょう。


 でも、「死んでもいい」とたんかを切って、けんかだけは強い、という評判です。権力を保持、拡大することに命を燃やす、ということでしょうか。たしかに、行政改革の結果として、内閣総理大臣の権能は格段に強化されました。


 ナチ・エリートという新しく出現した大衆エリートも、迅速・果敢な行動と冷徹で捨て身の覚悟をもって、従来のエリート達を凌駕していったのです。


 ラウシュニングがナチスの国家運営に疑念を感じ始めた1933年は、同党が伝統的保守勢力と連立政府を樹立したときです。


 その1月30日、ヒットラーを首班とする内閣が成立し、2月27日には有名な国会議事堂炎上事件が起こりました。この事件はもちろんナチスの「やらせ」だったわけですが、ヒトラーは共産党の一斉蜂起の合図だとして同党の弾圧に乗りだします。


 ブレヒトが手術のために入院中の病院を抜け出して国外へ逃れたのも、この議事堂炎上の翌日のことです。


 1月30日のヒトラーの権力掌握をラウシュニングは「連合クー・デター」と表現しています。もちろんこの連合とは、旧来の保守勢力とナチス党の連合のことです。保守勢力は選挙で第一党となったナチスを利用しようとして、その後逆に利用された上で排除されてしまいます。


 9.11選挙のことを誰かが「クー・デターだ」といっていた記憶がありますが、もしかしたら、5年前の4月26日こそ、静かなるクー・デターだったのかもしれません。

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焦土命令と共謀罪

 1945年3月19日、ドイツ敗北を前にしてヒトラーは「焦土命令」を出し、4月30日に自殺します。


「焦土命令」とは、「軍用輸送機関、通信手段、施設、産業施設及び補給所と、敵に即刻あるいは近い将来利用される帝国領内の資産は、すべて破壊する。」というものでしたが、暴君として名高いローマ皇帝ネロに因んで「ネロ指令」とも呼ばれています。幸いこれは、軍需大臣シュペーア・アルベルトの命令無視によって阻止されました。


  前年44年の7月のこと、貴族・官僚・軍部上層などの一部支配層がヒトラー暗殺計画を実行に移しますが失敗に終わり、それに処刑と弾圧が続きます。そしてドイツ国内での組織的反ヒトラーの動きは姿を消し、国民は絶望的な戦争に駆り立てられて、最後の一兵卒まで戦い続けることを求められていました。


  対ソ戦の失敗を目の当たりにした42年、ヒトラーは「ドイツ民族に自己保存の覚悟がなければそれでよい。絶滅するだけだ」と語ったといわれます。


 この焦土命令とよく似たものが、1944年2月「非常時宣言」と共に叫ばれた、敗戦を間近にした日本のスローガン、「本土決戦」、「一億玉砕」です。


 独裁者、もしくは独裁政権は、追いつめられると、なぜこうも自暴自棄的破壊行動に出ようとするのでしょうか。


 ナチズムについては、当初ナチス党の幹部として活躍しながらも34年には袂を分かち米国へ亡命したヘルマン・ラウシュニングが、「ニヒリズムの革命」と呼んでいます。ナチス党の正式名称は国家社会主義ドイツ労働者党です。


 もともとファシストたちは、第一次大戦の「伍長」が首相兼大統領になったように、大衆の支持を得て、旧来の支配層を跳び越える形で権力を握ったもので、国民にさらなる安定した生活を約束することでその権力を保持してきました。


 ただしその約束は多くの犠牲の上に成り立っていたわけで、ユダヤ資産や占領国の資産を奪って国民に高い生活水準を約束するだけでなく、中下層市民に対しては戦時税・所得税について優遇措置をとる等、一種の社会公正政策が実施されていました。


 そしてこの政策が将来も保障され、またさらに豊かな生活を約束するためには、ドイツはますます拡大を重ね、より強大になって占領地区から物資を集めてこなければなりません。(これについては、ル・モンド・ディプロマティークに詳しい記事が載っています)


 日本も大陸へと開拓団を送り込み、南方へも勢力拡大して、豊かな生活を得ようとしましたね。


 他の民族に犠牲を強い、たえず拡大・拡張していくことで辛うじて目的を達成していく。国家レベルでのマルチ商法というか、戦争という手段を用いたマルチ商法が、当時の日本であったりドイツであったりした、ともいえそうです。


 このマルチ商法のうまみを味わったのは誰なのでしょう。


 伝統的な支配層を基盤としたドイツ国防軍と異なり、日本の軍隊は広く大衆を支持基盤にしてナチス党に匹敵するような立場にありました。そして軍隊内の階級を上昇していくことで、支配層にまで上ることも可能でした。そんな意味では、チャンスは欧米に比べてずっと広い層にまで行き渡っていたといえます。


 そしてマルチ商法がかげりを見せ始めると、政策を転換するのではなく、体制を強化することで対処しました。そのためには治安維持法をさらに厳しいものにして、また各種スローガンを公募、連呼して、国民を互いに締め付けさせわけです。


 こうした一連の政策の記憶は、戦後60年の間もずっと、どこかで共有されてきたようです。それも、マルチ戦法の破綻が明らかになって以来、一種の怨念と共に。


 しかも小泉政権下では、ナチスの試みた社会公正政策は行われず、むしろ反対の政策がとられてきました。これは、歴史によく見られる中流階級の没落といった、階層分化を意図したものと考えてもいいのでしょうか。 


 なぜ今頃、「共謀罪」か? と考えるたびに、そんな考えが頭を駆けめぐります。

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格差社会の先進地イギリス――ABC1とC2DE、あなたはどっち?

  3,4年前イギリスに遊びに行ったとき、まさに古典的な乞食を2度見てびっくりしました。両方とも繁華街の地下鉄駅を出た歩道に座っていて、1組は若い男性ひとりで、あとの1組は若い男女のペアでした。コートを着る季節でしたから、寒いでしょうに。



 男性ひとりの方は、首から大きな段ボール板に「I'm hungry」と書いて、首からぶら下げていました。ペアの方は座り込む目の前に、お金を入れる容器を置いていました。



 そしてこれよりショックで、今でも脳裏に焼き付いているのが、リージェント公園の植木の茂みに隠れるように座っていた、黒いコートを着ていた男性です。



 ウィークデーのお昼頃のことです。友人と散歩を楽しみながら歓声を上げてその場に飛び込んだ私の目に飛び込んできたのは、左手にビスケットの菓子パックを持って食べていたところで私の声に驚き、こちらを向いた顔でした。いかにも「ギクッ」とした様子がうかがわれ、当惑の色を浮かべていました。「失業中でお金がなく、ビスケットでお腹を満たしている」と、とっさに私は感じ取ったのですが。



 当時イギリスは、不況に喘ぐ日本とは異なり、好況という話でした。ヒースローからロンドン中心部へ向かうバスから見えた沿道の建物には「let(貸家・貸間)」の貼り紙がよく見られ、工事中の立て看があちらこちらにありました(もっとも日本ほどではありません)。トラファルガー広場付近も大きな工事の真っ最中。



 そして、前回行ったときよりずっと目立っていたのが中国系。日本人かな、と思うと、聞こえてくる言葉は中国語ばかり……。



 世界の縮図を目の当たりにして、今度当惑したのは、私の方でした。



 日本でも何かと揶揄されることの多い政治家ですが、イギリスでも色々ありますね。一般向けのユーモア本でも、いわゆる新経済政策を貫いたサッチャリズムへの痛烈な批判を、笑わせる小咄に仕立てたりしています。



 さらにびっくりするのが、社会階層あるいは社会的階級が確固として存在することを認めていること。個々人のアイデンティティの1つとして、その人の背景を説明するのに、出身階層に関する記述が、色々な場面でなされているわけです。



 最近、台所に立ちながら、NHKテレビで格差社会の問題を取り上げているのを再三耳にしました。



 格差社会の先駆者であるイギリスをちょっと見てみましょう。



 上流階級は雲の上人で別でしょうが、社会的なランク付けとして、ABC1・C2DEというものがあって、それぞれ個人を紹介するのに使われているのを見たときは、驚きました。カルチャーショックです。



 ちなみにそれぞれの文字は何を意味するかというと、



A:上位中流(いわゆるお金持ち。長者番付にはいるような人も、英国国教会の指導者たちもここ。全人口の3.4%)



B:中位中流(銀行頭取、医師や軍人など。全人口の21.6%)



C1:下位中流(銀行員、お坊さん、学生、農園所有者など。全人口の29.1%)



C2:上位下流(熟練工、農園の雇われ人など。全人口の21%)



D:中位下流(非熟練工、郵便配達員、漁師さんなど。全人口の16.2%)



E:下位下流(生活保護世帯、年金生活者など。全人口の8.8%)



 



 さて、我が家はどうなるのでしょうか。夫は時々、堅実な仕事へ出かけていきますが、すでにリタイアしていて、おまけに年金もまだ貰っていませんから、Eにも入りません。辛うじてどこかに入れようというのであれば、さしずめE2下位下位下流といったところでしょうか。いや、一応自力で生活していて、保護受けていませんから、E1上位下位下流といったところでしょうか。

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自民党の憲法草案は、憲法違反

 とくらさんの所で真名さんがコメントした「憲法改正案について、根本的な疑問が一つある。」件について、長くなりますから、コメントではなく新たな記事としてエントリーします。



 真名さんは、「現在の憲法は、『条項追加・削除型』の改正はできるけど、全文から全面的に書き換える全面廃棄・新設型の改正はできないはずだと思う。」と指摘されて、具体的にその根拠も説明されていました。(ここにある「全文」はおそらく変換ミスで、正しくは「前文」だと思います。)



 真名さんのおっしゃるように現行憲法は元英文で、the Constitution of Japan に掲載されていました。問題の96条は以下のようになっています。



CHAPTER IX AMENDMENTS



Article 96



1)


Amendments to this Constitution shall be initiated by the Diet, through a concurring vote of two-thirds or more of all the members of each House and shall thereupon be submitted to the people for ratification, which shall require the affirmative vote of a majority of all votes cast thereon, at a special referendum or at such election as the Diet shall specify.
2)
Amendments when so ratified shall immediately be promulgated by the Emperor in the name of the people, as an integral part of this Constitution.


 日本語では次のように訳されていまして、これが、私たちの教科書その他で目にする憲法の条文です。



第九章 改正



【憲法改正の手続き、公布】



第九十六条 この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が此を発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票に置いて、その過半数の賛成を必要とする。



2 憲法改正について、前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。



 この憲法と「一体を成すもの」の意のintegral partとは「構成部分」の意で、全体を構成するのに必須の要素を指します。



 Amendmentについてオックスフォード英語辞典は、



 普通名詞としてのamendmentは、テキストや法律を改正するためのminorな、つまり小さな変更や追加であると定義しています。



 また固有名詞Amendmentは「合衆国憲法の追加条項である」としています。



 なるほど、1787年に制定された合衆国憲法には人権に関する規定がなかったために1791年に最初の修正条項10ヵ条が追加され、現在まで奴隷制の廃止等、26ヵ条が追加されています。ですからこれは、憲法制定時の精神に基づいて追加されたものであることが判ります。私たちがアメリカ流を取り入れるのであれば、弱肉強食の経済活動ではなく、こうした憲法に対する姿勢の方であって欲しいですね。



 この憲法改正問題について、手元にある一橋出版の『憲法の解説』には、次のように説明されています。



 日本国憲法は、簡単には変えられず(硬性の憲法)、改正には大変厳しい手続がいる。これは、憲法が国の根本を定める法として、安易に改められることをとどめる役割を負っている。



 改正には限界がある。一般的にその限界としては、前文に書かれている内容とされている。いいかえれば、憲法の基本方針を明らかにしている前文の内容まで改めることは、「改憲」の範囲を超えてしまうことになる



 この限界を超えれば、それは一つの政治体制そのものの変更ということになり、「憲法改正」という枠の中で考えることはできない。第96条のいう「この憲法と一体を成すものとして」という言葉には、そうした意味が含まれている。



 以上、真名さんのご指摘の通りです。



 そうなると、現在自民党の憲法草案にある全面書き換えた前文など、もってのほか、というべきですね。もし修正したいというのであれば、前文の精神に基づいた条項を入れるべきなのです。



 自民憲法草案そのものが憲法違反で、現在の民主主義体制を変更する試である、ということです。



 その上、同草案では、改正条件をぐーんと甘くして、現行憲法では発議に各議院の総議員3分の2の賛成が必要なところを、過半数で発議・議決できるようにし、さらには「国会の定める選挙の際行はれる投票において」過半数の賛成を必要とすることから、「特別の国民投票において」過半数の賛成を必要とするに変えています。



 現草案で妥協した部分も、思惑通りに憲法の変更が可能になった暁には、さらに本来の狙い通りの条文に変えるのも簡単になるわけです。

 そうなると、1955年の結党以来自由民主党が持ち続けてきた悲願の憲法草案は、やはり、明治憲法の亡霊、といっても良いかもしれません。

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行政改革と議院内閣制

「行政改革推進法案」なるものが23日に国会に提出されましたし、残る任期で改革の総仕上げをする、と首相は言っています。行革、行革と耳にはしますが、いったい行政改革とはどんなものなのでしょうか、実は調べるまで私もよく知りませんでした。なんとなく、小さな政府をつくるということかなあ、などと思っていましたが、「小さな政府」の中味を理解している人自体、あまり多くなさそうです。いつかNHKラジオで街行く人にインタビューしていましたが、的確に答えていた人は本当に少人数でした。


 どうも行政改革には


 1.行政機構のスリム化 


 2.内閣機能の強化


 という二つの面があり、そこから小さな中央政府を実現していこう、ということのようです。


 東京大学公共政策大学院院長の森田朗さんは行政学が専門だそうで、平成13年には地方分権改革推進会議委員をされている方ですが、その方が1999年に書かれた「行政改革の課題――内閣機能の強化と総合調整」には、次のように書かれています。


 規制緩和にせよ、地方分権にせよ、そして本稿で取り上げる行政改革会議の報告が示した諸改革にせよ、いずれも成熟段階に達した福祉国家の下で、円滑に機能しなくなった、あるいはコストがかかりすぎるようになった中央集権的行政システムの改革をめざそうとするものである。


 森田教授の話では、


 明治以来形成されてきた発展指向型のシステムが、成熟段階に達した日本社会に適さなくなった。


 規制緩和によって省庁による民間活動への介入を縮減し、地方分権によって地域のことは地方自治体が自ら決定できる仕組みに変え、内閣の機能強化で、中央の行政府の権限を縮小して、政治家ないし政党が実質的な権限を獲得する、ということです。


 さらに教授は、現行の内閣法が定める内閣制度についても疑問を投げかけて、「議院内閣制の下での内閣は、本来、そのあり方を自らの裁量によって定めてのよいのではないか」と言い切ります。その根拠は、「議会から選出され、行政各部を指揮監督しうる内閣総理大臣あるいは内閣は、国会によって信任されている」ということ。


 さて、内閣、ことに内閣総理大臣の機能強化について、以前にも自民憲法草案にある「内閣総理大臣の総合調整権」を取り上げて説明していますが、自民草案の憲法を待たずとも、すでに内閣府の創設等で制度的にも整えられてきています。


 それで、憲法違反をものともせず、既成事実を積み重ねていく小泉純一郎というパーソナリティを目の前に見て、私たちは危惧を抱かざるおえないわけです


 森田教授は、「(政治家あるいは政党の)力量の問題は政治家自身の自覚と成長、そして力量のある人物の国民による選択にかかっているといえるが、制度上それが可能でなければ、たとえ力量のある人物がその地位についたとしても、、それを発揮することはできない」とまでいうのは、これが書かれた1999年に、「力量のある人物」を誰か想定していたのでしょうか?


 また議院内閣制について、植草一秀さんは、議会多数派と行政権力=内閣は基本的に同一」であることから、「絶対権力を創出するポテンシャリティーを持つ仕組み」だと指摘されています。


 議院内閣制という同じものを見ながらも、森田教授と植草さんは、まったく違った角度から見ています。


 私としては、森田先生の方は政治を行う人に対してあまりにも楽観的で、色々な意味での権力の怖さを問題にしなさすぎるように感じるのですが。


 植草さんは、議院内閣制の下では、内閣総理大臣が権限をフルに活用すると三権の頂点に君臨する存在になる、と言われています。事実、今の日本は、そうなりつつあるのではないでしょうか。


 これまでは「自己抑制」がどこかで働いてきて、「三権分立」のタテマエが曲がりなりにも成立してきたが、小泉首相はタテマエ上の権力を100%行使して、国会と司法、そしてメディアを支配しているという氏の言葉に頷くばかりです。


 植木枝盛は「民権数え歌」をつくって、民権思想を一般に広めました。これに対して、中味を語らずにただ改革の連呼で押し通したのが昨年の選挙でした。何だか国民もバカにされたものです。そこで、植木の数え歌を一つ。 


七ツトセー なにゆえお前がかしこくて 私らなんどは馬鹿である コノわかりやせぬ


(ついでに後も)


八ツトセー 刃で人を殺すより 政事で殺すが憎らしい コノつみじゃぞえ


ツトセー ここらでもう目をさまさねば 朝寝はその身のためでない コノおささんせ

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定足数削除――自民憲法草案6

 さて、自民党は、国会をどのようなものにしていこうと考えているのでしょうか。その草案を見ていきます。


(国務大臣の議院出席の権利及び義務)


第五十六条 両議院の議事は、この憲法に特別の定めのある場合を除いては、出席議院の過半数で決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。


2 両議院の議決は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければすることができない


 これについては現行憲法では次のようになっています。


第五十六条 両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない


 両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。


 つまり現行憲法では総議員の3分の1以上の出席がないと「議事を開」くことができませんから、当然「議決する」こともできません。


 ところが自民の草案では、総議員の3分の1以上の出席がないと「議決することができない」ということしか言われてませんから、3分の1の定足数に満たずとも、何人であれ出席者があれば議事を行うことはできます


 おまけにこの56条は、現行憲法と自民草案では構成が逆になって、現行憲法では第2項の条文が、自民草案では第1項になっています。なぜわざわざ、そうした処理をしなければならなかったのか、気になります。


 もともとこの草案が発表される前年の2004年の「憲法改正プロジェクトチーム『論点整理』」ではこの問題に関して、「議事の定足数(現憲法56条第1項)は、削除すべきである」とされています。

  定足数の定足数の規定を外して、出席議員の過半数で表決できるようにするのが本来狙いでしょう。

草案では規定は削除されましたが、議決には総議員の3分の1以上の出席が必要であるということは残されました。いずれ、その規定も外されることになるのでしょうか。


 そこまでしなくても、定足数の規定がなくなって議事が行われることになれば、無風状態のまま議事は進行。実質的な審議はないも同然の事態も予想されます。


 ここまで考えるとは、一体どんな人たちだ、と怒りを覚えます。


 ちなみに、自民党「新憲法起草委員会委員」は、昨年10月28日の時点で以下の人たちです。


委員長 森喜朗


事務総長 与謝野馨  副事務総長 中曽根弘文


事務局長 保岡興治  事務局次長 桝添要一


委員


〈国会議員〉


安部晋三  愛知和男  石破茂  伊藤信太郎  岩屋毅  衛藤征士郎 大島理森  大竹秀章  海部俊樹  加藤紘一  加藤勝信  金子一義  瓦力  高村正彦 古賀誠  近藤基彦  坂本剛二  笹川堯     鈴木恒夫  園田博之  谷川弥一  玉澤徳一郎  津島雄二     渡海紀三朗 中曽根康弘  中谷元  中山太郎  西川京子      額賀福志郎  野田毅  橋本龍太郎  鳩山邦夫  葉梨康宏     原田義昭  平井たくや  福田康夫  船田元  宮澤喜一  宮澤洋一  森山真弓  谷津義男  


愛知治郎 淺野勝人  阿倍正俊  荒井正吾  泉信也  市川一朗   岩城光英  岡田直樹  岡田広  小野清子  金田勝年 狩野安   沓掛哲男  倉田寛之  後藤博子  鴻池祥肇  坂本由紀子     山東昭子  椎名一保  清水嘉与子  陣内孝雄 関谷勝嗣  世耕弘成  武見敬三  中川雅治  林芳正  藤野公孝  松田岩夫  松村龍二  溝手顕正  山下英利  若林正俊


〈ブロック選出〉


清水誠一(北海道)  高橋定敏(北海道)  北林康司(秋田県)    今井榮喜(山形県)  山口武平(茨城県)  梶克之(栃木県)     宇野裕(千葉県)  古沢時衛(神奈川県)  佐藤裕彦(東京都)    大西英男(東京都)  上田信夫(富山県)  木村市助(福井県)     猫田孝(岐阜県)  多家一彦(静岡県)  国枝克一郎(京都府)     酒井豊(大阪府)  淺野俊雄(島根県)  宇田伸(広島県)      綾田福雄(香川県)  清家俊蔵(愛媛県)  中村昭彦(福岡県)    島津勇典(熊本県) 


参与  葉梨信行 

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憲法改正(改悪だ)プロジェクトチーム「論点整理」について

 昨晩プールへ行くと、数ヶ月ぶりに泳ぎに来ていた人がいました。何でも、お母さんが脳血栓で倒れてその看護に忙しかった、退院をせまられていてどうしようか、という話でした。

 女3人、水に浸かりながら色々話していると、私だけでなく他の2人も、コイズミさんの政治はおかしい。今に病院にかかるのも思うようにいかなくなるらしい、などなど、不満たらたらです。

 民主党支持のひとりは、自民党にも杉村太蔵なんていう変な男がいるのに、永田議員を責め立ててばかり。だいたい、タイゾーの婚約会見なんかテレビで取り上げる必要ない! とカンカン。

 自民党も、舐めてはいけません。B層主婦でも、憤りは尋常ではありません。主婦の怒りは生活に直結しているだけに強いですよ。

 さて、これまで自民憲法草案を見てきましたが、この草案よりも、「憲法改正プロジェクトチーム『論点整理(案)』」(以下「論点整理」)方が、憲法を変えようとする狙いがさらによくわかります。

 「新時代にふさわしい新たな憲法を求める国民的気運は、かつてない高まりをみせている」で始まる「論点整理」は、総論として「新憲法が目指すべき国家像」、「21世紀にふさわしい憲法のあり方に関して」、「我が国の憲法として守るべき価値に関して」の3つの柱を立てています。

 大体、新たな憲法を求める国民的気運の高まり」は自らが仕掛け、さらに声高に主張することで、ますますその気運を高めようとしていわけですよね。単純な言葉でスローガンを叫ぶのは郵政選挙の時と同じです。

その総論の3つの柱についてですが、 

新憲法が目指すべき国家像とは、「国民誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」で、「国と国民の関係をはっきりさせ」、そこから「国民の中に自然と「愛国心」が芽生えてくるもの」である。

 21世紀にふさわしい憲法のあり方とは、「家族や共同体が、「公共」の基本をなすものとして、新憲法において重要な位置を占めなければならない」

 「現憲法の制定時に占領政策を優先した結果置き去りにされた歴史、伝統、文化に根ざしたわが国固有の価値(すなわち「国柄」)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識に基づいたもの」こそ、我が国の憲法として守るべき価値である、と説明しています。

 キーワードは、「品格ある国家」、「愛国心」、「公共」、「国柄」等々でしょうか。いかにも立派な言葉で飾っていますが、衣の下の鎧は隠せません。

 ことに総論に続く各論で、前文について、「利己主義を排し、『社会連帯、共助』の観点を盛り込」み、「国を守り、育て、次世代に受け継ぐ、という意味での『継続性』を盛り込むべき」である、とまで表現しています。

 特に若い人たちは、騙されてはいけません

 私たちの国も、つい60年前まで、表向はこの「論点整理」で主張されているような国だったのです。でも、その品格のある、愛国心に富み、国柄と伝統を尊び、公共をすべてに優先した国の実態は、敗戦後、つぎつぎに明らかにされてきました。いえ、敗戦を待たずとも、庶民のレベルでもみなうすうす感じていたことでした。

 声高にこの主張をする人たちは、自らが戦場に行くことはしません。

 嫌なことを愛国心や公共の名の下で押しつけられるのは、市井に暮らす私たち一人ひとりです

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内閣総理大臣の衆議院解散権――自民憲法草案5

一週間ぶりにあちらこちらのブログを訪問して、現実感覚を呼び覚まされました。それにしても、国会に代表される現実のひどさに、しばし呆然です。

 気を取り直して、以前から行っている自民党の憲法草案を読み始めました。これは「新憲法草案」と銘打っていますが、読み進むにつれてどこが‘新しい’というのか、「新」にふさわしいことなんてあるのかと、暗澹とした気持になっていきます。


 国体護持を唱え、1946年の新憲法(現行憲法)公布にほぞを噛んでいた人たちは、この60年間、自分たちの意を汲む憲法の制定を目論見ながら、虎視眈々とその草案を公にする機会を狙っていたのでしょうか。
 
 この国の政治と憲法問題を考えるたびに、力ずくで反対意見を抹殺してきた維新前後からの80年の歴史を思い起こします。明治・大正・昭和の強権政治を許してきた土壌は何なのか。なぜ、あの強権政治が可能だったのか。


 「共謀罪」が考えられ、それが法案として提出されていること自体、あの強権政治を許した土壌が今でも存在している証しではないか、という思いが消えません。


 さてさて、内閣総理大臣の総合調整権に続いて、今日も総理大臣の権能拡大を見ていきます。


 自民草案の第54条(衆議院の解散と衆議院の総選挙、特別会及び参議院の緊急集会)には


 第五十四条 第六十九条の場合その他の場合の衆議院の解散は、内閣総理大臣が決定する
 
 とあります。
 
 現行憲法には全くなかった新しい規定です。そのために現行憲法の第54条の第1・2・3項は自民草案では第2・3・4項にずれ込んでいます。


 また、条文内にある第69条とは、(内閣の不信任と総辞職)についての規定です。


 第六十九条 内閣は、衆議院が不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない。


 自民草案の内閣総理大臣の「その他の場合の衆議院の解散」権は、まったく新たに登場した、さらなる政権与党の総裁を務めるものに与えられる権利ですね。


 昨年8月11日の衆議院解散について、憲法違反を問う声が大きかったのは記憶に新しいところです。ところがこの自民草案では、「その他の場合」を謳って、総理大臣に解散権を預けてしまうのです。


 ここまで総理大臣の権力強化が憲法で裏付けられてしまったら、本来の主権者である国民の意思など風前のともしび、といえそうです。


 一度握った政権は二度と他の勢力には渡さないぞ、という自民の意思がよく表れています。やはり、「彼等は本気」(華氏451度さん)で、私たちはあらためて「失われた150年」(とりあえずさん)の教訓を噛みしめて、民主主義の土台を築き直す必要があるようです。私たちのそんな思いこそ、立法化させなければいけないのではないでしょうか。


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内閣総理大臣の総合調整権――自民憲法草案4

自民党新憲法草案では、1946年11月3日に公布された現行憲法の旧仮名遣いを全般にわたって改めています。その中に、ちらほら、重要な問題が潜む案文を入れ込んでいます。

 今日は、自民草案の第72条の「内閣総理大臣の職務」をみてみます。

 第七十二条 内閣総理大臣は、行政各部を指揮監督し、その総合調整を行う。

 2 内閣総理大臣は、内閣を代表して、議案を国会に提出し、並びに一般国務及び外交関係について国会に報告する。

 これに対して現行憲法では次のようになっているだけです。

 第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

 自民草案では、内閣総理大臣の職務として新たに行政各部の「総合調整」を加えたことがお分かりになると思います。これを加えたことで、行政各部の指揮監督を除いた従来の職務は、あらたに第2項を設けて規定されることになりました。

「行政各部の指揮監督・総合調整」とはどのようなものでしょうか。

 要するに、「行政各部」とは「各省庁」を指し、この省庁の縦割り構造による「縄ばり争い」が総合性を欠くバラバラな政策を多数存在させている」という問題に対する答えです。

 ここでまた、素人には分かりにくい、でも国家のあり方を考えるときに避けて通れない、大きな問題が横たわっていることを知りました。

 民主主義を実現する上での国家機構そのものについてです。

 東京大学公共政策大学院院長の森田朗さんはこれについて、「民主主義の原理に照らして『行政』に対する『政治』の優位を確立するための内閣機能の強化」といわれています。

 でも、そう言われますと、「政治」と「行政」の違いが分からなくなるのが素人の悲しさ。      

 つまるところ政治とは「国家のあり方を見据えて施策を決め、それを実行していくこと全般」であり、「行政」の世界は省庁組織に代表される、といえそうです。が、分かりにくいのは、現行憲法第65条で、行政権は内閣に属する、といわれていることです。

 また内閣機能の強化は、森田教授によれば「
官僚主導で行われていた政策形成を、本来の担い手であるべき国民の代表である政治家の手に取りもどそうとする」ものであり、いわゆる「行政改革」の大きな柱のひとつとして位置づけられていました 

 つまり、内閣機能の強化とは、「中央の『行政府』の権限を縮小し、政治家ないし政党が実質的な権限を獲得しようとする改革」だ、ということです。
 
 また内閣は、1947年に制定され、その後3次にわたる改定を経た「内閣法」にも縛られています。

 この内閣法によって、国会で選出された内閣総理大臣の行政各部=各省庁に対する指揮監督権は閣議によって制限を受け、「閣議にかけて決定した方針」に基づく場合にのみ、行使できるとされています。(内閣法第6条)
 
 同じく内閣法第3条では「主任の大臣として、行政事務を分担管理する」いわゆる「分担管理の原則」が定められています。

 そして閣議での決定は「全員一致」を慣行としてきており、閣議へかける案件は、事前に開かれる事務次官会議で、全員一致で決定される、というシステムになっているといいます。

 この内閣総理大臣にかかる手かせ足かせを取り除こう、というのが、現行にある指揮監督権に加えて、自民新憲法草案にある総合調整権の創設なのです。

 ただし、この内閣機能の強化はこれまでも行政改革の一環として制度化が試みられ、2001年の中央省庁の再編とともに、中央省庁改革基本法に基づき、新たに「内閣府」が創設されています。

 ここにきて、従来の内閣官房による総合調整・各省間の相互調整に加え、新たに「内閣府による総合調整」が可能になったわけです。また前2者についても、基本法により従来よりも調整権が強化されているようです。


 新たな行政機構のイメージ図はここにあります。

 さて、2001年にスタートした、こうした現行制度が、どこまで内閣総理大臣の実際の権能強化に繋がっているのか、私には分かりません。

 ただいえることは、小泉首相が現在大きな力を発揮する背景に国民の「圧倒的支持率」がある、というようによく説明されてきたと思いますが、支持率という不確かなものではなく、こうした着々と積み上げられてきた制度上の保障があってはじめて、内閣の長が大きな力を発揮することが可能になるのではないでしょうか

 先述の森田教授は、『日本公共政策学会年報』1999年版で、

「国会と内閣とを相互に牽制しあう機関としてとらえる理解が現在そしてこれからの日本にとって妥当なものか、また内閣と行政各部、すなわち省庁を一体化して行政権と捉える理解が妥当なものなのか、「三権分立」のドグマの見直しも含めて、検証してみる価値があると思う」

 といわれています。これに対して今、私は答えを持っていません。

 自民党による憲法草案は、新たに目指す憲法にこの「内閣総理大臣の総合調整権」を明記することにより、より一層の内閣機能の強化、いえ、内閣総理大臣の権能強化を意図している、ということだけは確かにいえると思います。

 しかし、この強大な権力を握る大統領的内閣総理大臣という存在は、「両刃の剣」にもなりうることに不安を覚えます。大体私たちは、そこまで政治家を信用していない、というのが実情ではないでしょうか。

 

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司法への介入? ――自民憲法草案3

昨日の「軍事裁判所設置」に次いで、自民党新憲法草案の第6章司法シリーズの2回目です。


自民党草案の第79条では、最高裁判所の裁判官について規定しています。問題は、その第5項


「最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、やむを得ない事由により法律をもって行う場合であって、裁判官の職権行使の独立を害するおそれがないときを除き、減額することができない。」です。


 この点について、現行憲法では、


最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。」


 とあるだけです。


 さらにこの規定は、下級裁判所の裁判官にもあてはまります。つまり、つぎの第80条第2項で


「前条第五項の規定は、下級裁判所の裁判官の報酬について準用する」と明言されているのです。


 なぜ、わざわざ、「やむを得ない事由により法律をもって行う場合であって、裁判官の職権行使の独立を害するおそれがないときを除き」という文言を挿入する必要があったのでしょうか。 


 逆をいえば「やむを得ない事由」を法律に明記し、「裁判官の職権行使の独立を害するおそれがない」ことをいえば、裁判官の報酬を減額できる、ということでしょう。時の政権の意に沿わない判決を下す裁判官を、これによって経済的に締め付けること、いうなれば兵糧攻めにすることが可能になります。


 裁判所は違憲立法審査権を持っています。ことにその最終的な判断は、最高裁判所が持っています。そうした判断に、行政権を握る内閣の意向を反映したい、とでも考えたのでしょうか。


 為政者というものは、行政権のみならず、他のふたつの権力、立法権、司法権を思うままにしたい、という誘惑に駆られやすいのでしょうね。「絶対権力は絶対的に腐敗する」――これを防ぐにはモンテスキュー(上の写真)のいうとおり、「三権分立」を確かなものにする必要があると思うのですが。

 

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ええっ、軍事裁判所!?――自民憲法草案2

自民党新憲法草案を読んでいて、跳び上がらんばかりに驚いたこと。

 第6章第76条第3項に、「軍事に関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する。」とあるのです。



 「下級裁判所としての軍事裁判所の設置については、第9条改正に伴い設置する。」との説明がありました。



 肩書き「時事評論家・国際金融スペシャリスト」の増田俊男さんという方が、 国を守るためには、「生命の危機・人権無視・自己犠牲」が若き兵隊のあるべき姿であり、そうした兵隊を律するのが軍事裁判所の役目であるといわれています。



「生命の危機」も厭わず、「人権無視」にもひたすら耐え、「自己犠牲」でその身を国に捧げる……そんな“立派な青年”に、私はお目にかかったことがありません。軍事裁判所とは、ごくごく普通のお兄さん・お姉さんを立派な兵隊にする所なのだ、と初めて知りました。



 法政大学大原社会問題研究所のサイトには、戦時下の日本でも、軍隊内で抵抗のあったことを伝える資料があり、当時の若い兵士の肉声を伝えています。その中の一つに次のようなものがありました。




一九三七年一一月、当時華北に出征中であった一兵士(歩兵一等兵)から、秋田県の本籍地役場と小学校あてに、つぎのような内容の通信が送られきて、特高警察をあわてさせた。



――「第一線部隊では気がスサンで、少しでもシャクにさわると突き殺すという現況です。東洋平和がどうとか、支那民国を緩和せんとか、そんな理論的な行動を主眼としては自分等の命が危い、戦争で死ぬのが名誉ではないのだ、勝って生きて帰るのが本領なのだ、敵の中には日本人、ロシア人等混って居った。



  あるいは、「中国戦場の日本軍部隊の中には、自傷・自殺・逃亡・行方不明・反抗・叛乱などがふえていった。」という記述もあります。



 こうした兵士たちを裁くのが、軍事裁判所なのでしょうね。

 

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明治憲法の亡霊が行く――自民憲法草案1

植木枝盛の憲法草案を読みながら、気になって自民党の新憲法草案を読みました。話には聞いていましたが、実際の文面を見てみると、言葉を失います。

前文は全て書き換えられています。



 第2章も全面的に書き換えられて、「戦争放棄」から「安全保障」となり、平和主義を定めた第9条は削られ、自衛軍の新設、自衛軍の任務遂行に国会の承認その他の統制に服すること、自衛軍の活動内容等が盛り込まれています。



 第3章の「国民の権利及び義務」では、第12・13条の文言を見ていくと、「公共の福祉のために」にかわり、「公益及び公の秩序に反しないように」「公益及び公の秩序に反しない限り」といった但し書きが加わっています。明治憲法の亡霊がちらつきます。



 そこまで見たところで、一気に疲れを感じて先に進めません。少しずつこれから読んでいくことにして、とりあえず今日は、一番の問題部分、第2章「安全保障」を、第三章の「国民の権利及び義務」の中の第12・13条とあわせて、ここに載せておきます。



 第二章 安全保障



(平和主義)



第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国憲の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(削る



(自衛軍)



第九条の_我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。



2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。



3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより,国際社会の平和と安全を確保するために国際的に強調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。



4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。



第三章 国民の権利及び義務



(国民の責務)



第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、保持しなければならない。国民は、これを乱用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する義務を負う。



(個人の尊重)



第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。



 いかがでしょうか。



 私自身に法律の知識は皆無。でもこの新憲法案は、植木の憲法草案と明治憲法を見比べて気づいたことに、奇妙につながってしまうように思えて仕方ありません。



 公益及び公の秩序って誰が判断するのでしょうか。



 また、第9条第2項その他の統制とは何のことでしょうか



 それと、第9条第3項の「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に強調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し」の部分には、読点が一切使われていません。どこで区切るかによって、指し示す内容が違ってきます。



 それとも法律の解釈は、接続詞「及び」の使い方で、自ずから決まってくるとか、あるのでしょうか。



「公の秩序」の連呼に、疑心暗鬼が頭をもたげてきます。



 ここで当然、かの「治安維持法」を思い出します。何かおそろしい化け物でも見るような気持でおそるおそる覗いてみると、当の法律はたったの7条からなる短いものでした。それが2回の改定を経て、すさまじい強権を発動する根拠になったのです。



以下にその治安維持法も載せておきます。



第一條 國體ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス


前項ノ未遂罪ハ之ノ罰ス


第二條 前條第一項ノ目的ノ以テ其ノ目的タル事項ノ實行二關シ協議ヲ爲シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮二處ス


第三條 第一條第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ實行ノ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮二處ス


第四條 第一條第一項ノ目的ノ以テ騷擾,暴行其他生命,身體又ハ財産二害ノ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁鋼二處ス


第五條 第一條第一項及前三條ノ罪ノ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ノ供與シ又ハ其ノ申込若クハ約束ノ爲シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁鋼二處ス情ノ知リテ供與ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ノ爲シタル者亦同シ


第六條 前三條ノ罪ノ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ滅輕又ハ兔除ス


第七條 本法ノ、何人ア問ハス本法施行區域外二於テ罪ヲ犯シタル者二亦之ノ適用ス



 これについては、第5条の「金品其ノ他ノ財産上ノ利益ノ供與シ又ハ其ノ申込若クハ約束ノ爲シタル者」に注意してください。要するにシンパとして援助することもいけない。この法に触れて経済的に困窮したものに何らかの金品を与えることもいけない、ということになるわけです。



 そしてご丁寧に、第6条では、密告の奨励もしています。


 第7条の「本法施行區域外」とは、日本国外のことを指すのでしょうか。つまり、この法に抵触するようなことをしたら、国外にあってもただではおかない、ということでしょうか。


「國體ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認」するものが当時の日本社会でいかに少数であったか、思い起こしてみましょう。それを、なぜここまで執拗に、強迫的なまでに追いつめるのでしょうか。
  


 なぜこうも、時の権力者たちは「公の秩序」にこだわりを見せるのでしょう。多分、往々にして、権力を握ったものの「私の秩序」そのものが、「公の秩序」と称されてきたからではないでしょうか。



 「明治の元勲」たちは、その前の時代の秩序=幕藩体制を壊し、数々の政争を生き延びてきた人たちです。自分の思うような体制を作り上げたら、次にはその体制=私の秩序公の秩序であると公言し、それを死守しようとするのは当然でしょう。 


追記


 ここに載せた治安維持法は1925(大正14)年に制定された旧法です。1941年に全面改正された新法には、「予防拘禁」の項を含む全3章65ヵ条に附則があります。


 司法省令第49号「予防拘禁手続令」と司法省令第30号「予防拘禁処遇令」が同年に施行され、これらの3点セットで、国民を思想統制するシステムが完成しました。

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植木枝盛の憲法草案4

植木起草による国憲案第69条が


「日本の人民は諸政官に任ぜらるるの権あり」と述べる箇所は、


明治憲法では


第19条「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」にあたるでしょう。


 明治憲法「第2章 臣民権利義務」は、その最初の項第18条から第30条まで、実に全15条の内13条まで、「法律の定むるところによる」、「法律の定むるところにより」、「法律の定むるところに従い」、「法律の範囲内において」、「法律定めたる」、「別に定むることの規定に従い」等々、人権保障に当たっては但し書き・条件がついています


 憲法自体が、国民の人権を法律に丸投げしているような気がします。


 逆を云えば、その後にできる法律によっては民主的な国の運営も期待できるわけですが、実際には「治安維持法」のようなものが成立してしまったのです。


 ちなみに、治安維持法が公布された1925年は、男子普通選挙が可能となる衆議院議員選挙法改正があり、日本でラジオ放送が始まった年でもあります。


 残りの2条は、


第三十一条
 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第三十二条
 本章ニ掲ケタル条規ハ陸海空軍ノ法令又ハ紀律ニ牴触セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス


 という具合に、乏しい人権保護も、「非常時」とあらば「天皇大権」によっていくらでも制限できるという内容ですから、但し書きが付かないのも当然といえば当然です。


 何だか、「日本臣民」でいることとは、こんなにも惨めなことだったのかと、思わず嘆息……。

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植木枝盛の憲法草案3

現行憲法に謳う「裁判を受ける権利」、「逮捕に対する保障」、「抑留拘禁に対する保障」、「住居侵入・捜索・押収に対する保障」、「拷問及び残虐な刑罰の禁止」に該当するものは、国憲案では第45・46・47・48・57・61条でしょう。


「日本人民は何らの罪ありといえども、生命を奪われざるべし」(第45条)
「日本の人民は法律の外において何らの刑罰をも科せられざるべし。また法律の外において麹治せられ逮捕せられ拘留せられ禁錮せられ喚問せらるることなし」(第46条)
「日本人民は身体汚辱の刑を再びせらるることなし」(第47条)
「日本人民は、拷問を加えらるることなし」(第48条)
「日本人民は住居を犯されざるの権を有す」(第57条)
「日本人民は法律の正序によらずして室内を探検せられ器物を開視せらるることなし」(第61条)


 これに対して明治憲法は次のように定めています。


第二十三条 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ
第二十四条 日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルゝコトナシ
第二十五条 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索サルヽコトナシ


 一応、「裁判を受ける権利」、「逮捕に対する保障」「抑留拘禁に対する保障」、「住居侵入・捜索に対する保障」は述べられていますね。しかし第25条では、「法律に定めたる場合を除くほか」と、但し書きが付いています。


「拷問及び残虐な刑罰の禁止」については何もいってません。


現行憲法の「刑事被告人の権利」「証人審問権」「弁護人依頼権」にあたるもの、国憲案の第74条


「日本人民は法廷に喚問せらるる時に当たり、詞訴の起こる原由を聴くを得、己を訴うる本人と対決するを得、己を助くる証拠人及び表白するの人を得るの権利あり」でしょう。 
 


 明治憲法にこの種の規定はありません。


 その他、国憲案第62条にあった「信書の秘密の保障」について明治憲法では、
 
第二十六条  日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ祕密ヲ侵サルゝコトナシ


 とあり、「法律の定めたる場合を除くほか」と、やはり但し書きが付いています。人権に関してこれだけ但し書きが付くというのは、かなり姑息な手段だ、と思いますが、法律の専門家はどう見るのでしょうか。


 なお、現行憲法に定める「財産権の保障・正当補償」について国憲案では、


「日本人民は、諸財産を自由にするの権あり」(第65条)
「日本人民は、何らの罪ありといえどもその私有を没収せらるることなし」(第66条)
「日本人民は、正当の報償なくして所有を公用とせらることなし」(第67条)


明治憲法では


第二十七条
1 日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルゝコトナシ
公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル


 となっています。現行憲法でも、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」(第29条 第3項)とあります。


 明治憲法にいう「公益のため必要なる処分」とはどんなことが想定されていたのでしょう。また、実際にどのような場面で適用されていたのでしょうか、興味のある所です。

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植木枝盛の憲法草案2

 植木枝盛の憲法草案「日本国国憲案」の第49~56条にかけての8ヵ条、第58・59・60・63・65条の5ヵ条は、それぞれ思想の自由、信教の自由、言語表現の自由、議論の自由、出版の自由、集会の自由、結社の自由、歩行の自由、住居・旅行の自由、学問の自由、産業の自由、国籍離脱の自由、財産の自由を定めています。第62条には「通信の秘密」も規定しています。

 幕藩体制の下で、志高く国の将来を憂う人々が処罰され、獄門に下ったことへの反省が、よくみられるではありませんか! 

『海国兵談』を著して版木没収、蟄居の憂き目にあった林子平が、「親もなく妻なし子なし版木なし、金も無ければ死にたくもなし」と自嘲気味に歌い「六無斉」と称したのは、19世紀直前のこと。そして幕末の動乱期、これらの自由権が否定されていたことで、有名無名含めて、どれだけ多くの人々の血が流されたでしょうか。

 第45条の「何らの罪ありといえども、生命を奪われざるべし」というのは、「死刑廃止」を意味するのでしょうか。

 そしてすごいのは、第64条の「無法に抵抗することを得」という抵抗権の規定と、第70~72条の規定です。

 前者は、「国家権力の不当な行使に対して抵抗する国民の権利」を保証していること。後者は「革命」をも容認していること。

「政府国憲に違背するときは日本人民は之に従わざることを得」(第70条)、
「政府官吏圧政を為すときは、日本人民は之を排斥するを得。政府威力を以てほしいままに暴虐を逞しくするときは、日本人民は兵器を以て之に抗することを得」」(第71条)

「政府ほしいままに国憲に背きほしいままに人民の自由権利を残害し建国の旨趣を妨ぐるときは、日本国民は之を覆滅して新政府を建設することを得」(第72条)

 少々笑ってしまったのが、第73条「日本の人民は兵士の宿泊を拒絶するを得」です。何か唐突に出てきた感のあるこの項目が、当時の世相を背景にしているのは間違いないでしょう。知り合いのさる識者(ただしこの分野の専門家ではありません)はこう説明してくれました。

「確かな根拠を私もいまのところ持ち得ませんが、この「草案」が明治14年に発表されているということから、明治の初年から明治10年間で続く、各地での動乱、秋月の乱・萩の乱、そして西南戦争などで、政府軍の各地での戦線拡大に際して、兵士の宿泊施設を強制的に民家に求めたことに対する、人民の権利確保が背景にあるものと考えられます。」

 兵士を宿泊させること自体大変なことでしょうし、その後の戦況の推移によっては宿泊所提供者にどんな災難がふりかかってくるか分かりません。当時の庶民の狼狽がうかがえます。

 

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植木枝盛の憲法草案1

 植木枝盛は1857(安政4) 年、土佐(現在の高知市井口町)に生まれ、21歳の若さで立志社に入り、以後独学で自らの自由民権理論を確立。国会開設を要求した「立志社建白書」を起草し、以後板垣退助のブレーンとして民権理論の普及と運動の発展に生涯を賭けます。1890(明治23)年、第1回衆議院議員に当選しましたが、1892(明治25)年の第2回総選挙を前に36歳の若さで死去しました。

 明治10年代、自由民権派を中心に数々の私擬憲法草案が作成されましたが、植木も、立志社の憲法草案として1881年(明治14)8月に起草しました。18編、附則あわせ220条に及びます。主権在民の画期的な憲法草案でしたが明治政府に葬られ、65年後の1946年の日本国憲法において、ようやくその思想が引き継がれることになったのです。
 
 明治憲法と現行の日本国憲法の違いについては中学・高校で学びましたが、南英世先生のVIRTUAL政治・経済学教室
「明治憲法との比較」に詳しく載っています。一度ご覧になることをお薦めいたします。

 この植木が起草した憲法草案を、明治憲法(大日本帝国憲法)と比べながらちょっと見ていこうと思いましたが、前提となっていることがあまりにも違いました。

 たとえば自由権に関してですが、明治憲法では「法律の範囲内で」という文言が入ります。

第二十二条  日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ移住及移転ノ自由ヲ有ス
第二十九条  日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス

 逆に言えば、法律でいくらでも人権を制限することが可能だ、と考えられます。

 本来、近代世界に誕生した国民国家の定めた憲法は、前の時代に専横を極めた君主の専制権力に対抗して、それに制約を加えるために、一定の政治原理を含む基礎法が確立されたものです。
 
 ですから憲法とは、国家権力を制限し、国民の人権を国家権力から守るべきものです。植木の憲法案には、そんな近代国家を拓いていこうという気概が感じられます。

 また明治憲法の前文ともいえる「告文」・「憲法発布勅語」の御名御璽と日付、明治二十二年二月十一日の後にずらっと並ぶ政権中枢の肩書きを見ると、「○○大臣」と共に「伯爵・子爵」の文字が見えます。

 あらためて「維新」とは何だったのか、維新の主体となった彼ら下級武士は、どんな国家を目指そうとしたのか、考えてしまいます。

 
 私が一番に興味を持った部分、現行憲法の「第3章 国民の権利及び義務」(第10条~第40条)に該当するところは、【明治憲法】では「第2章 臣民権利義務(第18条~第32条)」、植木の草案【東洋大日本国国憲案】では、「第4編 日本国民及日本人民ノ自由権利」です。

「臣民権利義務」と「日本国民及日本人民ノ自由権利」。この語句の違いが、その内容の違いをよく表しています。

 明治憲法「第2章 臣民権利義務」の全15ヵ条には、国民の「自由権利」の規定は皆無である、といっても過言ではありません。先に述べた第22条・29条以外に「自由」の文字が見えるのは第28条です。

第二十八条  日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス

「安寧の秩序」は、いわゆる「公序良俗」ということでしょうが、ここでもやはり「臣民たるの義務に背かざる限りにおいて」という但し書きが入ってきます。

 これに対し、日本国国憲案「第4編 日本国民及日本人民ノ自由権利」は、第40条・41条でのいわば日本国民の定義で始まり、第42条「日本ノ人民ハ法律上ニ於テ平等トナス」と続きます。

 以後第74条まで、国民が享受する自由権利が謳われているわけです。ちょっと長いですが、一つ一つの条文は短く分かりやすいですから、ぜひ最後までご覧ください。

第43条

 日本ノ人民ハ法律ノ外ニ於テ自由権利ヲ犯サレサルヘシ

第44条

 日本ノ人民ハ生命ヲ全フシ四肢ヲ全フシ形体ヲ全フシ健康ヲ保チ面目ヲ保チ地上ノ物件ヲ使用スルノ権ヲ有ス

第45条

 日本ノ人民ハ何等ノ罪アリト雖モ生命ヲ奪ハレサルヘシ

第46条

 日本ノ人民ハ法律ノ外ニ於テ何等ノ刑罰ヲモ科セラレサルヘシ又タ法律ノ外ニ於テ麹治セラレ逮捕セラレ拘留セラレ禁錮セラレ喚問セラル丶コトナシ

第47条

 日本人民ハ一罪ノ為メニ身体汚辱ノ刑ヲ再ヒセラル丶コトナシ

第48条

 日本人民ハ拷問ヲ加ヘラル丶コトナシ

第49条

 日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス

第50条

 日本人民ハ如何ナル宗教ヲ信スルモ自由ナリ

第51条

 日本人民ハ言語ヲ述フルノ自由権ヲ有ス

第52条

 日本人民ハ議論ヲ演フルノ自由権ヲ有ス

第53条

 日本人民ハ言語ヲ筆記シ板行シテ之ヲ世ニ公ケニスルノ権ヲ有ス

第54条

 日本人民ハ自由ニ集会スルノ権ヲ有ス

第55条

 日本人民ハ自由ニ結社スルノ権ヲ有ス

第56条

 日本人民ハ自由ニ歩行スルノ権ヲ有ス

第57条

 日本人民ハ住居ヲ犯サレサルノ権ヲ有ス

第58条

 日本人民ハ何クニ住居スルモ自由トス又タ何クニ旅行スルモ自由トス

第59条

 日本人民ハ何等ノ教授ヲナシ何等ノ学ヲナスモ自由トス

第60条

 日本人民ハ如何ナル産業ヲ営ムモ自由トス

第61条

 日本人民ハ法律ノ正序ニ拠ラスシテ室内ヲ探検セラレ器物ヲ開視セラル丶コトナシ

第62条

 日本人民ハ信書ノ秘密ヲ犯サレザルベシ

第63条

 日本人民ハ日本国ヲ辞スルコト自由トス

第64条

 日本人民ハ凡ソ無法ニ抵抗スルコトヲ得

第65条

 日本人民ハ諸財産ヲ自由ニスルノ権アリ

第66条

 日本人民ハ何等ノ罪アリト雖モ其私有ヲ没収セラル丶コトナシ

第67条

 日本人民ハ正当ノ報償ナクシテ所有ヲ公用トセラルコトナシ

第68条

 日本人民ハ其名ヲ以テ政府ニ上書スルコトヲ得各其身ノタメニ請願オナスノ権アリ其公立会社ニ於テハ会社ノ名ヲ以テ其書ヲ呈スルコトヲ得

第69条

 日本人民ハ諸政官ニ任セラル丶ノ権アリ

第70条

 政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ニ従ハザルコトヲ得

第71条

 政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得

 政府威力ヲ以テ擅恣暴逆ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器ヲ以テ之ニ抗スルコトヲ得

第72条

 政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ日本国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得

第73条

 日本人民ハ兵士ノ宿泊ヲ拒絶スルヲ得

第74条

 日本人民ハ法廷ニ喚問セラル丶時ニ当リ詞訴ノ起ル原由ヲ聴クヲ得 己レヲ訴フル本人ト対決スルヲ得己レヲ助クル証拠人及表白スルノ人ヲ得ルノ権利アリ


 第44条の「日本の人民は生命を全うし四肢を全うし形体を全うし健康を保ち面目を保ち地上の物件を使用するの権を有す」は、現行憲法の第25条「最低生活の保障」を 、「面目を保ち」という語は、現行憲法の「個人の尊重」を思わせます。明治憲法にはそうした文言はみられません。
 

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子どもの株投資――自立を急がされた子どもたち

 toxandoriaさんに教えていただいた小学生のディトレーダーのHP「小学生でも株投資できるもん!」は、予想していたとはいえ、実際目にすると、やはり当惑を覚えずにはいられません。(どうも、子供の投資熱を煽る証券会社のPRページのような気がしますが)

 小学生が証券会社に自分の口座を作るの? 売り買いまで自分でするの? と心配すると、お父さんが答えておられました。

「サイト管理者の娘は株を所有しておりますが、私からの贈与株のみであり自分で購入した株は今のところありません。
今後徐々に贈与株以外にも資金を与え購入させようとは思いますが……」

 これを読んで、ちょっとほっとはしましたが、ライブドア騒動で中高校生にかなりの損失が出たという話もあります。中高校生ともなると自分の判断で購入することも十分考えられますから、ゲーム感覚で投資して、儲けられたらいうことない、というところでしょうか。そうなると、昔ながらの新聞少年のアルバイトなんて、バカらしくてやってられないでしょうね。 

 以前の記事で「近代家族」の話をして、近代市民社会の胎動のなかで子供への眼差しが変わったことをお伝えしました。それまでの子供は、幼児期を過ぎると徒弟奉公に出され、大人たちとごちゃ混ぜになって大きくなっていった、いわば「小さな大人」でしたが、保護すべきものとして、また教育の対象として見るようになったことから、「子供」という存在が誕生したという話です。

 子供の誕生によって、同時にさまざまなものが生み出されました。ピーターパンのお話からドールハウスだって、当時の発明です。スワドリングという細長い布で巻かれて、じゃまなときは適当にどこかに引っかけられていたらしい赤ん坊も、ぐるぐる巻きから解放され、母親から母乳と一緒に細やかな配慮も受けることになります。

 この近代家族の子供像は、同時に私たちが生まれ育った時代の子供像でもあり、私たちはついこの間まで、PCの前に座って、自分で株投資をする子供の姿など、想像すらできませんでした。それが、「ポスト近代家族」のthe saturated family で述べたように、子供たちは家庭の壁を簡単に素通りして、PCを通じて社会と直に対峙してしまいます。

 ちょうど前近代家族の子供たちのように、大人の中に混じって、大人のすることをやっています。

 学校から帰ると、まず株価の確認。いや、その前に、すでに携帯で値動きを見ているでしょうね。気になるときは、授業の合間どころか授業中も、教師の目を盗んで……いや、昔も今も、授業中は気もそぞろに上の空だ、などという声も聞こえてきそうですが、株の値動きが気になって授業どころではない、となると、怪獣カネゴンもどきが目の前に浮かんできます。
 
                


 子供の中には回り道、遠回りして成長していく子もいます。でも、あの株価チャートを眺めていて、回り道を学ぶ子がいるとは思えません。やっとこさっとこで受験勉強をしてそれに毒されている子は、すぐにでも○か×か、答えを求めたがります。それと同じことでしょう。もっとも、一度挫折して、自分の中の「欲」という熱とうまく折り合うことができたら、それは回り道ということになりますが。
 
 大人への道程である子供期に学ぶべきこと、一番大切なことは、心の成長でしょう。人と人の心が交いあうことです。そんな意味では、心の成長は一生の課題です。でも、成長期にこれを学ばなかった人、あるいはカネゴンもどきばかりか、自我が異常に肥大して、他者に対して優位に立つことを確認することでしか人と交流を持てない人なんて、やっぱり幸せでないと思います。

 かろうじてお金で自我を支えている、お金を持っていることで他者に優位に立つ、なんて人が、幸せになるとは思えません。

 中学生で株をしている、という子が自分のHPで、「大学卒業までに1000万貯める10年計画!」を立てて、「1000万の使い道?いやそんなのわかりません。1000万あればトレードもできるし、起業もできます。将来何があるかわかりませんし。。。」といってました。そのHPの掲示板も覗いてみましたが、株投資をしている子供たちって、何か、お金儲けのためにだけ、株式市場を利用しているのかな?と感じました。 

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匕首(あいくち)伝説という麻薬

 第一次世界大戦に敗れて自尊心をずたずたにされたドイツ国民の間でまことしやかに囁かれた神話、「匕首伝説Dolchstosslegende」。

第一次世界大戦は同盟国側を見るだけでも、ドイツのみならずオーストリア‐ハンガリー帝国、トルコ、ブルガリア等のそれぞれの国内外の事情が絡んで複雑な様相を呈しますが、ごく狭い範囲に限って簡単に流れを追ってみます。
 
 開戦当初、ドイツは西部戦線に兵力を集中しましたが、14年のマルヌの戦いで破竹の進撃が食い止められ、フランス軍との戦線全域にわたって泥沼の塹壕戦に陥り、以後膠着状態が続きます。さらに17年の無制限潜水艦戦の実行でアメリカの参戦を呼び、停滞した西部戦線へのアメリカ軍の投入でドイツは完敗。18年春からの大攻勢も失敗に帰し、夏には戦勝の望みも断たれてしまいます。
 大西洋は英仏艦隊に封鎖されましたから、ドイツは国民生活と軍需品の調達の双方で大きな打撃を被ります。15年からは食料の切符制度も始まり、総動員態勢下の窮乏生活に、国民の間では、次第に厭戦気分が広がっていきます。
 一方、ティルピッツ海相によって増強された海軍は、16年のユトランド海戦以来2年間閉じこめられて港外に出ることがなかったところに、18年10月29日、イギリス海軍への自殺的な特攻作戦の出撃命令が司令部から出されます。ヴィルヘルムスハーフェン港にいたドイツ大洋艦隊の水兵たちはこれを拒絶して反乱を起こしますが、11月3日には、有名なキール軍港の水兵・兵士によるデモが発生し、全国各地に波及していきます。
 ここから一気に大衆蜂起、軍隊の瓦解あるいは無抵抗、皇帝退位、帝政崩壊、ワイマール共和国誕生というように、ドイツ革命と言われる一連の動きが始まることになります。

 11月9日、皇帝の自発的退位の知らせを待つ中で、正午頃、社会民主党のエーベルトは、「帝国憲法に従って」首相のマックス・フォン・バーデン公から宰相の地位を引き継ぎます。午後2時、社会民主党幹部のシャイデマンは押し寄せてきた労働者と兵士から議事堂前の大衆に演説をするように求められ、しかもその時、スパルタクス団のリープクネヒトが宮殿のバルコニーから「社会主義共和国」の宣言をしようとしているとの知らせを受け、慌てて独断で共和国宣言をしてしまいます。ワイマール共和国の誕生です。(ちなみに、この71年後の1989年11月9日に、第二次世界大戦後の冷戦の象徴であるベルリンの壁が崩壊します。これは偶然の一致なのでしょうか?)

 革命後、ルーデンドルフをはじめとする旧将校たちは、ドイツが敗北したのは、軍隊が敵に敗れたからではなく、帝国政府及び民間人が軍隊を支持せず、いわば匕首をもって背後から軍隊に切りつけたからである、と主張し、一般に流布していきます。またこれには、国内の社会主義者、共産主義者とそれに支持された政府が裏切り、「勝手に」降伏した、もしくは「背後からの一突き」を加えたことによりドイツを敗北へと導いた、という解釈もありました。
 
 この匕首伝説については、1925年の「匕首事件」の訴訟の際に多くの関係者が証人として喚問されています。その中で、革命直前の11月6日に、社会民主党幹部及び労働組合総委員長代表と会見した参謀本部次長グレーナーは、「革命のために努力していると思われるような言葉は誰からもひと言も発せられず、反対にいかにしたならば王制を維持しうるかということが話題になりました」と証言しています。

 歴史の一断面を凸レンズで、それも歪んだ凸レンズで拡大したこのデマゴーグが、なぜ、かなりな知識人にまで簡単に受けいれられてしまったのでしょうか。

「匕首伝説」が生まれた時代の空気と現代日本の閉塞感にtoxandoriaさんが共通するものを見いだして、すでに昨年5月にご自身のブログで語られています。

以下
toxandoriaさんの言葉を、一部ですが引用します。

 戦後賠償問題を始めとする「ヴェルサイユ条約」の重荷がドイツ国民の上に圧し掛か駆り始めると、次第にドイツ国民の間に共産主義者に対する『匕首(あいくち)伝説』(共産主義者の卑怯な背後からの匕首での一突きがドイツを不幸に陥れたというルサンチマン/一種の八つ当たりor人身御供を求める恨みの感情?)と呼ばれた怨念と復讐の感情が広がります。特に、このルサンチマン(ressentiment)を強く意識したのが、時代の先行きを悲観した都市部に住む中産市民層でした。慧眼にも、ここに目をつけたのがナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)の党首ヒトラーです。

 日本社会のルサンチマンは、もはや相当に重態のようです。そして、このようなやり場がない怨念と暗い情念の渦の中にとり込まれた都市部の中産層や若者たちが、唯一、希望を託せるのが、他でもないワンフレーズ・ポリティクス型の稀代のポピュリスト政治家たち、すなわち小泉純一郎、石原慎太郎、安部晋三なのです。そこで象徴的な社会操作概念(メコネサンス)として登場するのが靖国神社参拝であり、愛国心であり、軍事国体論なのです。ルサンチマンへの反動として、これらは都市部の中産層や若者たちの多くが受け入れ易い、未来への希望の代償となっているのです。かくして、日本の社会は、やり場がない怨念のルサンチマンに侵食されながら、右傾化への道を直走っているのです。

 以上引用終わり

 ルサンチマンか! 「押しつけ憲法」神話も、やはりルサンチマンの充満している空気の中で熟成・拡散されたのでしょうか。ルサンチマンに処方された麻薬のように作用して、しばし現実の痛みを忘れさせてくれるのがこの神話ですから。


 旧憲法下で特権を享受してきた人たちは、現憲法の下で、さぞルサンチマンを抱え込んだことでしょうね。でも問題は、これまで現憲法下で保護されてきた人たちが、ここに来て、生きにくさを抱えてルサンチマンの心を募らせていくことです。日本国憲法によって自分が保護されてきたことに目を向けようとせずに、逆に、「押しつけ憲法」神話にのって、自分の頭で考えることを忘れてしまうことです。

 このルサンチマンの呪縛をいかにして解くのか、痛い目に遭わないと分からない、というのでは遅すぎますね。大きな痛い目ではなく、小さな痛い目を味わううちに気づいてと、祈るような気持です。


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バウト問題の裏にあるもの

 東西冷戦が終わってほっとしたのも束の間、各地で紛争が勃発してきました。私は、ヴィクトー・バウトの足跡を辿ることで、その背景に横たわるものを垣間見ることができました。これにより、ブッシュ親子のとってきた政策がまったく同一の路線上にあることも分かりました。よくいわれるように、これが米国共和党の世界戦略なのでしょう。(パパ・ブッシュが副大統領の時にイラン‐コントラ事件が起きたことはすでに述べましたが、これは、イラン・イラク戦争中のイランへ不法に武器を売却した代金を、ニカラグアの反共ゲリラ援助に秘密裏に流用した事件です。)

 それにしても、ペーター・ランズマンのインタビューに、それまで表に出ることを極力避けてきたヴィクトー・バウトがよく応じたものだと、驚いてしまいます。ランズマンによると、バウトは、熱心にしゃべりながらも、同時にしぶる様子が見えたようです。危険は犯したくないが、それでも伝えておきたいことがある、そんな気持でしょうか。
 
無名の若者が、航空機を調達できるだけの資金を得て、冷戦時代の負の遺産である山と積まれた兵器を紛争地に売りさばく。
「私には出資者はいませんでした」と語るバウトですが、25歳のロシア青年は、事業開始にあたってアントノフ型貨物用機3機を12万ドルで購入し、さらにモスクワからの長距離運航便をリースしています。そんな資金はどうやって手に入れたのか、と尋ねられても、何も答えてくれません。内戦中のモザンビークに勤務していたとき、リクルートされたのかもしれませんね。 
「殺人は武器のせいじゃない。武器を使う人間のせいだ」というバウトの言葉は、もしかしたら本心から出たものではないのかもしれません。表向き、そうとでも強弁せざるをえない立場だったのででしょうか。自分にそう言いきかせて、なんとか良心と折り合いをつけていたのでしょうか。一度踏み入れたら抜け出すことのできない世界でしょうから。

 菜食主義者。北極圏に行って、ナショナル・ジオグラフィックとディスカバリー・チャンネル用の野生動物の映画を作りたい……と語る人間と武器商人との落差に、ランズマンは驚きの声をあげます。

 田中宇さんの記事によると、最も内戦に陥りやすい国は、石油や金などの地下資源の輸出が国の経済を支えていて、しかも極貧状態にある2民族国家だそうです。

 内部の対立・抗争を煽り、紛争を激化させる→需要を作り出して、商品である武器を売却する。紛争はさらにエスカレートする

 19世紀の帝国主義と、どこが違うというのでしょうか! 主役が、大英帝国からアメリカ合衆国に変わっただけではないでしょうか。

 小泉首相は、就任以来ブッシュ大統領との密月を演じてきました。彼に引っ張られて、とうとう私たちの国はイラクに派兵し、憲法を改正して、正々堂々と軍隊を持てる国にしよう、という瀬戸際までやってきてしまいました。
 
「日本国憲法は押しつけ憲法だ」という神話を作り上げた人たちは、さぞにんまりしていることでしょうね。そうした人たち、そしてこの神話を奉じる人たちは、やっぱりこのまま米国の世界戦略に乗っかっていく構想を支持しているのでしょうか。

 科学技術の粋を集めて造り上げる兵器を途上国の紛争地に投入することで自らの経済を潤す。これは形を変えたジェノサイドです。現在の憲法のおかげで、そんなジェノサイドに荷担せずにすんできたことを、私たちはもっと誇りにしていいのではないでしょうか。 

 敗戦後に生まれた「神話」といえば、私の脳裏に浮かぶのは第一次世界大戦後のドイツに生まれた「匕首神話」です。次回は、この「匕首神話」について、お話しします。 

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ムラの一人前、軍隊の一人前

 成人式、センター試験と若い人の話題が続くついでに、いつかお話しした子供がどこでどうして大人になっていくのか、をちょっと考えてみました。
 
 アリエスの『子供の誕生』によると、小さな人(こども)と大きな人(大人)のごちゃ混ぜ社会のような中世ヨーロッパから、ブルジョアジーと呼ばれる中産階級が歴史に登場する時代になって、こどもは単なる大人の小さな存在ではなく、それ自体独自の価値を持つ存在であるという考えが生まれ、そこから避妊の考えがあらわれ、こどもを教育の対象とする態度が生じたといいます。
 
 一方日本では同時期、百姓身分が人口の9割を占め、村落に居住し、幕藩体制下で「郷村条目」の義務を完遂すべく連帯責任を負わされていました。
 ですから、連帯責任をまっとうできないものは、嬰児なら間引き、成長しては勘当、旧離(血縁者に欠落人が出ると目上の者が届け出て人別帳よりはずした)をしましたが、一人前の大人になるとは、そうしたムラの構成員としての一人前を意味するわけです。
 その一人前を育てるものが、「若者組」、「ワローグミ」等々と呼ばれる社会的訓練の場です。私の住む町からさほど遠くない漁村部では、確か「水難救助組合」のような名前で呼ばれていました。屈強な若者たちの村での役目のひとつがうかがわれますが、遊日願い、祭礼願いを村役人に出し、芝居興行を企画するのも若者組の仕事でした。
 エネルギーのありあまった彼らは時には禁止の対象となり、一揆や打ちこわしの主力であり、倹約令下であっても祭礼、芝居興行の挙行を主張して、その費用は高持ちが負担しろ、と要求する、ときには困った存在でした。 
 
 昔も今も体制の枠におさまりきらない若者の姿が見えてきます。その若者たちを体制内に組み込もうとしたのが、明治新政府の「学制」に始まる教育制度でしょうし、学制の翌年1873年に発令された「徴兵令」に始まる徴兵制でしょう。 
 しかも徴兵令の目的は、もちろん、欧米列強に範をとった軍事力整備ですが、発足して間もない新政府を悩ます数々の反政府行動への対処の意味が大きかったようです。しかも度々改正されています。
 当初はさまざまな免役条項が存在していましたが、次第にそれが制限され、国内の支配体制が整い、対外戦争が日程に上がってくると、国民皆兵の原理が貫かれていくことになります。
 そうなると、多種多様な若者たちも、軍隊の厳しい階級制度のもとで人をも殺せる人間になって、はじめて一人前とされた、と考えられます。

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(続き)もっと大切な仕事がある――コンドリーザ・ライス

 映画「ロード・オブ・ウォー」の一場面。

 2001年9月下旬、ジョージア州メーコンの米国企業宛の積み荷の中に、ウクライナ製の300機の地対空ミサイルと100台の発射装置が、米国の空港で発見されました。地対空ミサイルは、軽くて持ち運びができ、隠すのも容易だということです。
 当局は、バウトとの関連を疑いました。これについて彼は、次のように答えています。
「それがどうした? 何を載せているかなんて、私の知ったことじゃない。積み荷を開けて中に何が入っているかなんて知るのは、機長の仕事じゃない」
「殺人は武器のせいじゃない。武器を使う人間のせいだ」

 国連には逮捕権はなく、またインターポールは地元当局の協力に頼らざるを得ません。(ちなみに、映画ではイーサン・ホークがインターポールの刑事を演じていましたね。ちょっと可愛すぎる刑事でしたが。)
 武器売買に関して、世界で最も厳しい法律があるにもかかわらず、米国ではたったの一件も起訴されたことはない、という話です。

 バウトはアフリカで、支払いさえしてくれれば、誰彼となく武器を調達して売りさばきました。ただし、アフガニスタンではタリバンで苦い経験をして、ラバニ政権のみを相手にしたようです。

 2001年9月まで、ロシアは故マスード将軍の北部同盟に武器を調達していますが、大半はバウトの仕事でした。が、それ以上の関係について語ることを彼は拒否しました。
 それ以上語ること、そしてそれ以上知ることは、バウトにとっても、ランズマン自身にとっても、危険なことでした。

 またバウトは、東ティモールとソマリアへ、そしてことによるとシエラレオネにも、国連平和維持軍を運んでいます。1994年のルワンダの大虐殺の間は、「トルコ石作戦」遂行と難民の避難を手伝うように、フランス政府に依頼されたと述べています。コンゴのモブツ大統領の逃亡を手伝ったのも彼だとか。

 さて、黒海に面した町オデッサは、密貿易の拠点となっている国際港湾都市です。この町の近くを流れるドニエストル川を80kmほど上ると、モルドバ共和国内の国「沿ドニエストル共和国」があります。ここはヨーロッパの中でも最も貧しい地域で、首都ティラスポリはかつてソビエト第14軍の本拠地でした。そのため、ソ連邦崩壊後4万トンの兵器類が残された、ヨーロッパ最大の兵器庫で、今でも武器の製造が行われている可能性があります。
 この地にもバウトの足跡を見つけることができます。高性能の地対空ミサイルや車両にとりつけた発射台が、ここから中東へ運ばれました。

 ペーター・ランズマンは、多くの当局者や元当局者から話を聞きましたが、もちろんそうしたインタビューは、秘密裏に行われています。そして分かったことは、バウトは、もっと大きな存在の単なる世間向けの顔に過ぎないのではないか、ということでした。ヴィクトー・バウトが言いたかったのは、自分は単に身代わりに過ぎない。人間ヴィクトー・バウトよりも、もっと大きく、もっと重要な政治組織の罪をかぶせられているだけだ、ということではなかったのか、とランズマンは結論します。

 2000年から2001年にかけて、西側情報部はバウトの電話を盗聴します。その結果、バウトがタリバンやアルカイダに武器を売った証拠は見つからなかったものの、少なくとも飛行機を武器の運搬に供することがあった、と米国政府は確信するに至りました。これは、バウトをアルカイダの共犯者とするのに十分な根拠となります。
 N.S.C.(米国国家安全保障会議)は英国・南アフリカ・ベルギー政府の当局者たちと協議し、バウトを掴まえる方策を講じて、彼を徹底した監視下に置きます。ところが、土壇場になると、バウトよりもっと大物を追跡しろ、とホワイトハウスに命じられるのです。

 ブッシュ政権は、始まったときから、国家を横断する犯罪を国家安全保障上の問題とみなすことがなかった、とクリントン政権時のN.S.C.高官は語ります。
 当時のコンドリーザ・ライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は、バウト問題を外交的に処理するように指示してます。

 2001年9月11日の同時多発テロの後、バウト関連の作戦は完全に中止になりました。ライス補佐官が、「もっと大切な仕事がある」と言ったようです。また彼女は、このインタビュー記事へのコメントを拒んだそうです。


 映画を軽く超えるおぞましい悪の世界。映画では、モデル出身の美しい妻、あるいは武器売買で心に深い傷を負った弟(実際は、ヴィクトー・バウトと一緒に武器売買に携わるのは、弟ではなく、兄であるセルゲイ・バウトです)のように、ハリウッドらしい甘い味付けがされていました。
 
 現実の話には、そんな甘さは微塵も感じられません。見え隠れするのは、大国のエゴと、権力を握ったもの達の表の顔と裏の顔。ジキルとハイドが一つの存在の内に同居していること。神を掲げながら、裏では悪魔と手をつないでいる姿。
  

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もっと大切な仕事がある――コンドリーザ・ライス

 2002年に、ニューヨーク・タイムズに寄稿するライター、ペーター・ランズマンはバウトのインタビューに成功しています。国連等の追跡を巧みにかわし、メディアを避けてきたバウト唯一の公衆の目に触れる写真は、前の記事に載せたコンゴで隠し撮りされたもの。そしてこのインタビューで撮ったものが、前の記事にある最初の写真。場所はモスクワのとあるホテル。
 インタビューは終始寛いだ雰囲気で行われたようですが、バウトはけっして全てを語ることはありません。もし全てを明らかにするようなことがあったら、自分の命が終わることを承知しているからです。
 この時バウトは36歳。180cmを越える恰幅のいい体格です。
 最初はグラジオラスや冷凍チキンの輸送業務を手がけた青年は、次第に鉱業機器、ダイヤモンド、カラシニコフ突撃銃、銃弾、武装ヘリコプター等を積んで、国連の通商禁止下にある国々へを飛んでいくことになります。
 処女飛行はモスクワからデンマークまで。25歳の時です。翌年、活動をアラブ首長国連邦に移しますが、ここはアジア、アフリカ、ヨーロッパ間の通商・輸送の交差点ともいうべき所です。この地でバウトは盟友ともいうべきチチャクリと出会います。(チチャクリはエア・バスの社長です)所有する複数の飛行機は、中央アフリカ共和国、リベリアといった国で登録されました。 

 1995年にはベルギーのオスタンド、ウクライナのオデッサまで飛行業務を広げます。オスタンドは鍵になる都市の一つで、この11年前にはイラン‐コントラ事件で
イラン側に売却された武器はこの地を通過して運ばれました。(同事件はレーガン政権下で起こったものですが、この時の副大統領がパパ・ブッシュです)
 ベルギー当局は逮捕状を取りますが、この時の罪状は武器取引ではなく、マネー・ロンダリングとダイヤモンドの密輸です。
 1996年にはバウトはアラブ首長国連邦160の空輸会社の中でも最大規模の、従業員1,000人の会社を経営していました。
 1997年までには、南アフリカまで商売の手を広げています。

 1967年にタジキスタンで生まれたバウトは、モスクワの軍事通訳養成機関の後、経済学の学位を得るために、ロシア軍事大学へと進みました。その後1991年まで飛行連隊で勤務しましたが、そのうち2年間はモザンビークですごしています。折しも、同国の内戦が終わる頃です。
 バウトはKGBとは何の関係もないと主張しましたが、それを証明する書類は、偽造されたか購入された可能性がある、とランズマンは考えています。

 バウトの個人的友人は、イラク北部同盟のマスード将軍、ザイールのモブツ大統領、アンゴラのサビンビ大統領、リベリアのテイラー大統領たちを含むと本人が語っていますが、すべて紛争地の指導者です。 

ふたつの超大国の下請け人だった武器商人たちですが、ベルリンの壁が崩壊してからはほとんどのブローカーが自由契約となり、イデオロギー、忠誠、結果がどうなるかといったことなど顧みることなく武器を売りまくります。
 旧ソ連のうちでもロシアを除く共和国の中ではウクライナが最も多くの武器を手に入れますが、それは100万人の軍隊を支えるほどの量です。膨大な量の原子力兵器はロシアに返されます。が、1992年から1998年の間に、およそ320億ドルの武器がウクライナから消えてしまいました。そこには、バウトたちが関わっていたということです。

 武器商人たちは密輸をごまかすためにうわべは合法的なビジネス活動を装います。武器の注文はクモの巣状に張り巡らされた人的ネットが使われますが、それを通じて、往々にして現金の受け渡しも行われます。そうした繋がりの最初によく来るのが軍隊で、将校たちには賄賂が渡されます。
 武器をいっぱいに詰めた箱には「フルーツ」のラベルが貼られることも。「給油」のために停まった所で、積み荷を交換したり、テイルナンバーが、着陸時と離陸時では異なったり。

 彼等の扱った商品の送り状には、たとえば、ロシア製MI-8T武装ヘリコプター2機、ミサイル発射装置4台、爆弾発射装置3台と予備の備品でしめて190万ドル+9万ドルなどと記載されています。これらの兵器は、表向きは象牙海岸が目的地にになっていますが、実際はリベリアへ運ばれたものだという情報部の話でした。


 

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「死の商人」のその後

 モスクワの軍事通訳養成機関を卒業して6カ国語を操り、1993年にKGBを去ってから、世界中の紛争地に飛んで武器を売りつける。かつて、当時の英国外相ペーター・ヘインが「死の商人」と呼んだヴィクトー・アナトルジェヴィッチ・バウトです。映画「ロード・オブ・ウォー」の主人公ユーリーのモデルと言われています。ユーリーの商売相手となった暴虐な大統領のモデルは、2003年ナイジェリアに亡命したチャールズ・テイラー前リベリア大統領でしょう。

 国連が2004年に定めた【資産凍結措置の対象となるリベリア前政権の高官又はその関係者等】のリストでは28名の個人のうち2番目に名前が挙げられています。肩書きと処分の根拠としては、「武器や鉱物資源に関わる実業家、売買業者及び運搬人。国連安保理決議1343に違反する武器売買業者。テイラー元大統領政権によるシエラレオネの不安定化やダイヤモンドの不正調達の支援者」と記載されています。

 また、次に見えるコンゴでの写真(一番左の男)から、コンゴの内戦にも関わったことが窺われます。

                              

 さて、この世界で最も名前を知られたロシア人武器商人を取り締まるべく、ブッシュさんは2003年夏に、バウトと米国市民が取引するのを禁止する大統領令に署名しました。
 ところが、ちょうどその頃までに、バウトのフロント企業と目されているテキサスを本拠地にする商用チャーター会社エア・バスが、イラクの米軍基地で燃料補給を受ける契約を済ませています。同社の飛行機はその年で実に142回も、イラクの米軍基地に着陸をしているということです。
 その飛行理由は、ハリバートン社のイラクの油田再建を請け負う部門であるケロッグ・ ブラウン・アンド・ルート社が貨物輸送にドバイの会社と契約し、その会社がエア・バスと下請け契約を結んでいたためだと、各企業のスポークスマンは言ってます。(つまり、バウトのフロント企業が、チェイニー副大統領が元最高責任者だったハリバートン社の孫請けになっていたという話です)
 ついでにいいますと、バウト自身は、2002年にベルギー当局とインターポール(国際刑事警察機構)の双方から逮捕状が出されて追われる身です。
 日米共に、負けず劣らずの錯綜した怪しい関係が、政権と企業の間に存在する、ということですね。 

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ロード・オブ・ウォーとブラックアフリカ

 ロード・オブ・ウォーを見てきました。シネコンのあの客席に、私を入れてたった3人の観客でした。
 それにしても、戦闘場面はありませんでしたが、すさまじい世界でした。「リベリア船籍」の語でしか知らなかったリベリアという国の病も、かいま見ることができました。
 合法と非合法の隙間をかいぐぐってグレーゾーンで兵器商売に徹する男は、問いつめる妻に、儲けが目的で商売をするのではない、と言下に否定し、才能のためだと言い放ちました。なるほど才能ゆえの商売かと、男の言葉を繰り返しながらも、それを理解する脳の回路を、私は持ちあわせていません。理解しがたい世の中の現象を、どうにか説明可能な世界に当てはめて何とか理解したつもりになり、それで安堵してきた私たちにとって、才能の発露としての闇の武器取引があるとは、まったく想像すらできない世界です。
 自分の提供する武器によって、国土も、そこに住む無数の人々の心も体も破壊されることに、あくまでも心動かされず、残虐な独裁者の望むまま、ダイヤと引き換えに武器の調達に走る男。車だって、タバコだって、人を殺すことに変わりはないと自己弁護して、ひたすら商売に励む男。
 でも、最後に言ってくれました。自分が1年間で取り扱う銃を、合衆国の大統領は1日で売ってしまう。冷戦後の(冷戦前も)各地の紛争に使用される武器はすべて、米・仏・英・露・中という国連安保理常任理事国でつくられている、と。
 タミフルでラムズフェルド国防長官が大もうけしたとか、タミフル騒動の背後にいるのはウォルフォヴィッツ国防副長官だとか、鳥インフルエンザ問題を必要以上にあおり立てているのが「世界の黒幕」のひとり、現在の欧米国際金融資本の秘密会議、ビルダーバーグの現議長エティエンヌ・ダヴィニオン子爵だとかいわれていますが、彼等も、私たちの思考回路では理解できないような動機で、結果として大もうけしているのでしょうか。
 それにしても、アフリカの貧困、いつまでたっても解決に至らないのはなぜでしょう。抗争で武器を手にしていがみ合う前に、もっと人の持つ力と知恵を、普通の生の営みに使えないものでしょうか。あのおぞましいほどの生の現実を見ると、そんな普通の生活を営む文化も伝統も、どこかで断ち切られてしまったような気がします。
 ほとんどゼロから、いえ、銃や戦車で蹂躙されて荒廃しきった国土では、マイナスから出発して、文化と伝統のひとつひとつを積み上げ、築き直していく必要があるのかもしれません。その気の遠ささに耐えられず、つい武器を手に取る、そんなことを考えてしまいました。

 冷戦終結後の紛争勃発地域のひとつ、ブラックアフリカは、私たちにとっては、いわゆる帝国主義の時代に突如としてあらわれてきた世界です。でもほんとうはそれ以前から人々が歴史を刻んできたはずなのです。何しろ、最古の人類の生まれた地なのですから。1985年に発刊されたアナール派マルク・フェローの著書『新しい世界史』は、書名だけは新しい○○、と似ていますが、編集姿勢はまったく違います。世界史の埒外におかれた民族の歴史を追求するこの本をもういちど紐解いてみようかしら。なにか、アフリカの理解に繋がるヒントがあるかもしれない、などと思っています。

 

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かつてのポーランドに、この国の姿を見る


 雑談日記さんに教えられて、北海道新聞の「外資企業の献金緩和 資金確保で自民検討」という記事を読んでみました。これによると、 

「自民党は14日までに、外国人や外国法人の持ち株比率が高い企業からの政治献金を事実上、禁止している政治資金規正法の規定を緩和する方向で検討に入った。外資系企業による日本企業の買収が容易になる改正会社法が2007年に施行され、規制対象となる企業が増える事態を想定。資金ルートを確保する狙いがあり、公明党や民主党の同調を求めて今国会にも議員立法で改正案を提出、06年度中の施行を目指す。」とのこと。

  これを読んで、私は思わず、かつてのポーランドを思い起こしてしまいました。
 15・6世紀、ポーランドは、リトアニアまでも版図に加え、ヨーロッパの中でも名だたる大国でした。バルト海貿易で西欧へ穀物を輸出して富を貯え、クラクフを中心にルネサンス文化が開花し、コペルニクスもこの頃に活躍しました。1572年にヤギェウォ朝が断絶してからは、「シュラフタ」と呼ばれる人口の8%を占める貴族身分が選挙で国王を選ぶ、一種の共和制も始まります。そこでは、貧しいシュラフタもマグナートと呼ばれる大貴族と等しく1票を行使して、政治に参加しました。
 シュラフタやマグナートは自分と同等の身分のものが国王になることを好まず、たいていの場合、外国から国王候補者が連れてこられました。もちろん、その候補者達の後ろ盾にはポーランド国内の大マグナートのみならず、それぞれ他のヨーロッパ諸国や教皇といった外国勢力がついていました。周辺の国々は、虎視眈々とポーランドの地を狙っています。
 一方、ポーランド国内では、シュラフタからなる国会は、ひたすら、自身とそれぞれのシュラフタが帰属するマグナートのための利権追求の道具となります。また大マグナートの中には、己の野望を達成するために、スエーデン軍の侵攻を手引きするものさえ現れました。まさにこれは、売国的行為に違いありません
 そしてポーランドは、18世紀の3次にわたる分割で、完全に独立国の地位を失うことになります。
 1918年、第一次世界大戦後独立を回復したポーランドですが、1939年9月にナチス・ドイツの侵攻を受け、その月のうちにドイツとソビエト連邦の間で2分されました。その後の歴史は、私たちの記憶にも新しいところです。
 一度独立を失ったポーランドが、その主権国家の地位を再び得るのに、いかに長く暗い道程を必要としたか、もう一度思い出してみましょう。
 このシュラフタ民主制といわれる当時のポーランドが、どうも今の日本の現状と重なって見えてしまいます。自民党よ、いい加減にしてくれ! 
 

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